7,バン爺の術式

──


「それで……どうするんじゃ?」


 シアンと移動を始めたマゼンタにバン爺が耳打ちをする。後ろにいるシアンは、畑の作物のまわりを飛び回る蝶々を、まるで初めて見るかのように夢中になってながめていた。


「あの子を親元に返すなら、どちらかが連絡を取る必要があるが……。」


「……ねぇ、バン爺」


「なんじゃい?」


「あの子、絶対に返さないと……ダメかな?」


「……何かあったんか?」


「うん……実は今朝、あの子の裸を見てから、家には帰したくないなって思ってさ……。」


「……お前さん、要点をはしょって多分とんでもない話をしとることになっとるぞ」


「え、まじ?」


「……まぁ、何を見たかは予想はつくがのう」


「きっとあの子、親父さんの所に戻ったらひどい目にあうんだと思う……。」


「ふむ……。とはいえ、ワシらは赤の他人じゃ。やれることもやって良いことも限られとるがな……。」


「そうかもしれないけど……。」


「お前さん、下手をしたら伯爵の子供を誘拐したとして、おたずね者になるかもしれんのじゃぞ?」


「それは……困る」


「じゃろう?」


 マゼンタとバン爺は後ろを振り返った。シアンは次は遠くに見える牧場の牛を眺めていた。


「……動物が好きなの?」

 マゼンタが言う。シアンは小さくうなずいた。

「……そうなんだ。ところで、バン爺はどこに向かってるの?」


「ワシの家じゃ。しばらくそこで今後の事を考えよう」


「……分かったよ」



 マゼンタたちは、丘の上のバン爺の家に到着した。


「……うわぁ」


 驚くマゼンタたち、そこは廃屋はいおくと呼んだ方が良いような酷いありさまだった。


「仕方ないじゃろ、じじいの独り暮らしじゃ、家の手入れ何ぞろくにできん」


「なんで村から遠いところに住んでるわけ? 集落しゅうらくのすぐそばに住んでたら、手伝いとかしてもらえるんじゃ?」


「……まぁ、ワシは最近こちらに移り住んできたからのう」


「そうなんだ?」


「さ、お入んなさい」


 マゼンタたちは家に入ると、バン爺にうながされ奥の部屋に荷物を置いた。


「……ここって」


 そこは、ある時から時間が止まったような奇妙な部屋だった。服や小物は、老人の私物にしては若者趣味であるものの、長い時間それに誰も触れていないようだった。


「物が多くてすまんな」


「あ、いや、別に……。」


せがれのもんじゃ」

 バン爺は荷物をあごでしゃくって説明する。


「へぇ……。息子さんは今どうしてるのさ? バン爺をこんなところに残して」


「死んだよ」


「……ごめん」


「やめんか、がらにもない。……さぁて、久しぶりの来客じゃ。もてなしをせんとのう」


「別に、気ぃ使わなくったっていいのに」


「ほっ、どちらかというと、じじいがそうしたいんじゃよ。若いもんがいるだけで嬉しくてのう」


 マゼンタは、こういうところは本当にただのじいさんなんだなと思った。


「さて、村へ降りるか」


「見た所、お店もないような村だったけど、どうすんの?」


「まぁ、物々交換かのう。それか村の手伝いじゃ。こんなじじいでも、頼ってくれる人もおる」


「ふぅん」


 マゼンタたちは丘の上から村へと降りていった。

 村では農夫が畑を耕し終えたところだった。


 バン爺たちに気づいた農夫のマッソが言う。

「おや、バン爺じゃないか。そちらの若いのは? お孫さんかい?」


「親戚の子供たちが、さびしいジジイのために遊びに来てくれたんじゃよ」


「はは、そうかい。バン爺にも身寄りがいたのか」


「のう、マッソさん、何か手伝えることはないかね?」


「おお、ちょうどよかったよ。たった今、畑仕事が終わったところなんだ。以前やってくれたアレ、また頼めるかな」


「ほっほ、お安い御用じゃ」

 バン爺は畑の前に座り、地面に手を置いた。

「マッソさん、植えたのは小麦かね?」


「ああ、そうだよ」


「……ふむ」


 そうしてバン爺は目を閉じた。ぶつぶつと独り言のような声も聞こえる。


 遠巻きにその光景をながめながら、マゼンタはシアンに訊ねる。

「ねぇ、あれ何やってんの?」


「……多分、術式」


「術式? これから魔術を使おうっての? いったい何で?」


「この土地の……精霊と……話したり……。それで、たぶん……。」


「あ~、まぁ、ようするに、魔術師同士なら分かることをやってるってことね」


 バン爺の服が風に吹かれたようになびいた。バン爺は大きく肩で息をすると、さらに深く手を地面に押しつける。


「……ん?」

 マゼンタは足元を見る。風もないのに、草がゆるやかにざわめいていた。

「え……これって、もしかして……。」


 シアンが「すごい……。」とつぶやいた。シアンの目には大地のマナが渦を巻いてバン爺に集まり、さらにそれが川の流れのように畑に流れ込むさま・・が見えていた。


 座っているバン爺の体が、激しくゆれはじめた。

「こぉおおおおおおっ! こぉおおおおおおっ!」

 バン爺は体中を使って勢いよく呼吸をくり返す。はた目から見ると、気がふれているようだった。

「こぉあっ!」


 力をふりしぼるようにして両手を地面に押しつけるバン爺。すると、バン爺の座っている地面がもっこりと隆起りゅうきした。


「すっげぇでっかい屁ぇ……。」

 マゼンタはドン引きしてシアンを見る。シアンは首をかたむけてマゼンタを見た。

「あ、違うよね……。」


「こんなことができるなんて……。」

 シアンは言った。


「バン爺は何をやったの?」


「農作物の育ちを良くしてくれるよう、大地の精霊にお願いしたんだと思う。ここら辺の地面のマナが、少しづつ畑に集まってたから……。」


「魔術師ってそんなこともできちゃうの?」


「上級の人なら……できると思う」


「バン爺って確か7級なんだよね。7級でもそんなことができるんだねぇ……。」


 シアンは驚いてマゼンタを見た。


「……なに、シアンくん?」


「いやぁ、ありがとうバン爺。これで今期もうちの畑は安泰あんたいだよぉ」

 マッソは上機嫌に言った。


「お安い御用、と言いたいところじゃが、さすがに疲れたのう」


「無理をさせちまったね。何か必要なものがあったら用立てるよ」


「ほ、そりゃ助かる。それじゃあ、あの子たちをもてなしたいんで、今晩食べるもんを恵んでくれるとありがたいんじゃが」


「それこそお安い御用さ。今晩だなんていわずに、あの子たちがいる間はウチを頼ってくれよ」


「これはこれは」


 すると、遠くからまた別の農夫が手を振りながら歩いてきた。農夫は足を軽く引きずっていた。


「おお~いっ」


「何だいザビさん?」

 マッソは言った。


 足の悪い農夫のザビが言う。

「バン爺さん、ちょうどよかったよ、ちょっとウチの家畜かちくを見てくれないかな?」


「ほ、どうしたね?」


「豚が病気にやられちゃってさぁ」


 バン爺は顎に手を当てて考える。

「家畜の病気……。まぁ、専門分野じゃないんじゃが、見るだけ見ておこうかね」


「助かるよぉ」


 バン爺たちは農夫のザビの後をついていった。


 マゼンタが訊ねる。

「ねぇバン爺、獣医さんに見せた方が早いんじゃないの?」


「こんな辺ぴな村じゃあ、町まで医者を呼びに行って戻ってくる頃には夜になっとるよ」


「ふ~ん。じゃ、また魔術で何とかするわけ?」


「ま、見るだけ見ておこう」

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