第36話 「変わったね、綾姫」

「やめて、お姉様!」

 豪奢な金の髪と秀でた額の下のアーモンド・アイが、意外そうに蠢いた。

「恐れながら、言わせて下さい……この人は、綾様のことが好きで、お役に立ちたかっただけなのよ。あたしにはよく分かります、お願い、そのお気持ちに免じて、赦してさしあげて……」

 沙記もエマも、彼女を見つめた。

 特にエマは、初めて真っ向から自分に意見した妹の顔を、穴のあくほど見つめていた。



 締めきった、教室二つ三つぶんほどの板張りの工具室。荒彫りの木像やレリーフ、ブロンズ像、拙い鉄のオブジェが、窓辺や壁ぎわの棚に並ぶ。

 式部家当主の無邪気な道楽の木工もっこう金工きんこうのアトリエ。裸電球が一列にぶら下がるむきだしのはりの下、二メートルほどずつ等間隔に、椅子に座らされている少年達。

 とり囲む少女達の視線にさらされて、縛りつけられているのでもないのに、皆、動けなかった。

「ひーっ、嬉しすぎ~~~ッ!」

 悲鳴をあげて涙をちょちょぎれさせている忍組しのぶくみ)の組長に、滅入って頭を抱えたくなる響也。

 確かに、回りにいるのは学院よりすぐりの名花達。気持ちは分からないでもないが、

「伊能、お前までニヤけている場合か?」

「あ、いや楽しくって、つい~っ。あははははは……」

 雅はへらへらと、響也に返事をした。

 先ほどから、演技派のエスカドロン・ヴォラン達が、優しい色香を振りまいたりしつつ、たらし込もうとしている。

「ね、どんなお料理だったのかしら? ちょっと教えてくれるだけでいいのよーぅ」

「うわぁぁ、カンベンしてくださいーっ、おねぇさーんっ」

「あらイヤよ、ママって呼んで。わたしとあなたの仲じゃない?」

 ドアを細く開け、ちょっと覗くだけのつもりだった綾は、バンッとドアを開けて、飛び込んでしまっていた。

「アヤ?」「綾姫!」「綾様っ?!」

 全員が振り向く中、

「ほ……ほほほほほほ」

 真っ赤になり、ドアノブを握りしめたまま、ドッドッドッドッと、心臓が鳴っている綾。

「あのっ……」

 へどもどして、どもりどもり、アセアセと、

「えーとっ……、そそそそそ、そのっ! 総長権限を、発動しますっつ!!」

 叫んだ。

「だ、だって、響也様が口を割るわけ、ありませんものっっつ!!」

「――は?」

 響也が、目を点にする。他の少年達も、少女達も、きょとんとしている。

 そんな中、マーガレットだけが、

「あらやだ、アヤったら、話が前後してますわ」

 と苦笑して、

「まずは皆さまに、こう、ね?」

 こしょこしょこしょ、と内緒バナシで耳打ちした。

「そっ、そそそそそ、そうっ!! ――あのっ、皆さまっ!! 響也様だけ、開放してくださいっっっつ!!」

 やっと全員が、綾の赤面を理解した。あっけに取られたような表情が、全少女達の顔にうかぶ。次いで、響也に視線がゆっくりと集まる。響也は、苦虫を噛みつぶしたような顔で天井を見上げた。

 アヤは湯気の出そうな顔で、つかつかつかッと直線的に響也に近付くと、彼の回りを囲んでいた学院生達を、ぐいっと両手で押しのけた。

「さささささ、さぁっ!!」

 その場の全員が、冷やかすに冷やかせず、なんともいえない顔で、

「ヒソヒソヒソ……」「まぁ……綾姫をソデにするくらいの殿方ですし……」「あたしたちが誘惑するくらいじゃ、無理よねぇ?」「確かに」

 綾は、ボソボソとあがり始めた小声を遮るように、まだ紅潮したまま、

「さあっ、響也様っ!」

 響也は、ため息をついて、立ち上がった。

「いいのか? そこにいる隊長の方が、よほど一筋縄じゃいかないと思うが?」

「え?」

 雅を囲んでいた学院生が、困惑する。

「そいつの方が、オトすにはおそらく、面倒くさい。何しろ、神経が通ってないようなものだからな。つつきようがない上、逆におちょくられて、どっぷりと無駄に疲労するのがオチだ」

「何を響也、人聞きが悪い」

「えー、そうなの?!」

「狭間様がそうおっしゃるなら、開放しても……」

「いいんですっ!! その方はっ!!」

 一瞬その気になったエスカドロン・ヴォラン達を、綾が一喝した。

「ず、ずいぶんな」

 雅がボヤく。綾は、スプリング・ヒルでの仕返しとばかり、雅からツンと顔を逸らすと、

「さ、早く、響也様!」

 身を翻した。

「じゃ、お先に、隊長殿。他の諸君のことは頼みました」

 響也は雅に軽く片手をあげると、綾に従って、あっさり退場していった。



「変わったね、綾姫」

 外に出て、開口一番、狭間響也はそう言った。

「ご迷惑かけてすみません、すぐに当家の車で送らせますから!!」

と、ちょうど口走った瞬間だった綾は、え? と、響也の顔を振り返った。

 あとでリリー達になんと言われるだろう、と、しどろもどろに頭の中が回転し、夏の夜の庭を、真っ直ぐ駐車場に向かって早足に歩いていた脚。響也の顔を振り仰いだまま、一瞬止まる。

 響也は、手振りで綾の歩みを先へと促してから、笑い、

「変わったね、綾姫――と、言ったんですよ」

 綾は面食らった顔をした。

「まあ。私はちっとも進歩してませんわ……悔しいくらい……」

 いきなりしゅんとなった綾。そんなことはないですよ、なんて慰めを欲していないのは明らかだな、と、思った響也が、そのまま黙っていると、

「――でも!!」

綾は、顔をきっぱりとあげた。

――そらきた。

と、響也は微苦笑した。

「このことの決着が着くときまでには、きっと、必ず、本当に変身しているつもりですわ! そうありたいと、思ってますの!!」

 はきはきした物言い、黒曜石の瞳。このお嬢さんは、妙に強いところがあって、このへんが面白い、と響也は思っている。

 おまけに彼女は、母屋の横を通る小径の角を曲がるとき、くすっと笑って言い足した。

「で、響也様から見て〝変わった〟私なら、つきあってもいい、とでも言って下さいますの?」

 今度は、響也が面食らった顔になる番だった。

「しゃらっと言うな、しゃらっと」

「ほほほ。勿論、冗談ですわ。実は、もう、吹っ切れてますのよ。……だって、理由は言っていただけましたし……私の友人達が騒いで、響也様にはご迷惑でしょうけれど」

「ああ。でもあんたは喋ってないって、エスカドロン・ヴォランの広慈宮嬢は弁護してたな」

「え? いつの間に、沙記とお話なさいましたの?」

「今朝ですよ。オレに反対派へ移れと、勧告にいらしましたが?」

「えええっ?! 沙記が、そんなことを申し上げたんですの?!」

 綾は、しばらく絶句してしまった。

 居ない相手に、もぉっと頬を膨らませる。

「いや、いいさ。――あー、その、噂に関しては……その、オレも、話を広めては……」

 我ながら言い訳がましいな、と横顔に書いてある響也を見上げて、綾もまた、微笑した。

「あら、私、響也様を疑ったことなんてありませんわ。きっと誰かに聞かれてたんでしょう。物陰が全くない場所ではなかったですし」

「……そういうところが好かれるんだな、あんたは」

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