第35話 その女(ひと)のためなら勇気が

「えい!えい!!」

「邪魔やっ!! どきぃな!!」

 せせら笑ってかいくぐり、リリー達が舞い戻った。

 バタン!!

 捕獲したエスコート服は五人。詰め込むようにして、次々と少女達も飛び込んで、後ろのハッチが閉まり、横のドアも閉じた。

 エマ陣営の少女達が、わらわらと取り巻こうとする。

 アマリエは車を発進させた。ゆっくりと動いたノーズに、少女達がハッとして割れる。身を挺して立ちふさがるまでは、誰もできない。

 バンは景気よく滑り出した。

 賛成派達は、二、三歩は焦って追いかけた。が、すぐに地団駄踏んで歯がみする姿が、バンのサイドミラーに映って、遠のいていった。



「沙記……大変だわ……沙記が……沙記が……」

「落ち着いて、アヤ。常識で考えなさいな? ね?」

 マーガレットはゆっくりと優しく諭したが、綾は、違うの、違うの、と唱え続けていた。

 どう説明すればいいだろう。ライナスの毛布やラグドールのように、沙記を必要な気持ち。

 予定通り、アマリエは式部邸の裏手へ車を走らせた。その間に、綾はひとつの決心をしていた。

 邸へ着くと、マーガレットとリリーは、綾の深刻な表情がみんなにも伝染して、沙記のことを心配しはじめそうだと、早々に綾を隔離しようとした。

「綾はお部屋でちょっと待機なさってて? 聞きだしたことを、あとで報告に行くわね」

「あっちの館、借りますえ~」

 明るい様子。二人の思惑を幸いに、綾はあとを任せて、自室に足早に向かった。

――エマ姉様に、直接交渉するしかありませんわ!

 リリー達は、綾がそんなことを考えているとは知らず、咳やくしゃみや涙が収まりつつある五人の男子高校生達を注意深く取り囲むようにして、お気楽にさざめきあいながら別館へ向かった。



「ごほっ……ごほ、ごほっ……うぅ、ひでぇ、これじゃあエスコート服もばっちりだったこってしょうよ。リリー隊長め~~~っ」

 涙を流している沙記に、アンネは、少し硬い声で、

「どうぞ、かけて下さい」

と、ソファをすすめた。

 姉から世話を頼まれてしまって、こじんまりとした自室に、二人きり。アンネの表情は、活発なことで有名なエスカドロン・ヴォランの少女への警戒で、強ばっていた。

 だが、沙記がソファに背中から転がるように座り込むと、その無防備さに、アンネの見る目が変化した。気の毒そうに、洗面器からタオルをしぼって、差し出す。

「サンキュ」

 受け取り、ごしごしと顔をぬぐう沙記。はー、と、息をつく。

 アンネは、改めて、しげしげとその顔を見つめた。

「変な感じ……本当に、鏡を見ているみたい」

「ハーックション!! ……ずびずび。あ、その、ごめんよ、洋服、勝手に借りて」

「……。まあ、仕方がないですよね…… これが、あなたの服?」

 アンネは、クロゼットの中に畳んで押し込んであった革の上下を取り出した。

 自分には、絶対着られない。服と同じように、彼女みたいな思い切った行動も到底できない、と、思ってしまう。

「……よく、知らないうちに忍び込もうと思えましたね」

「ごごご、ごめん。ボク……」

「あ、違います、責めてるんじゃなくって……凄いな、と、思うの……」

 消え入るようなアンネの声。

 うわ、声まで似てる!と、沙記も思いつつ、

「いやちょっと……その……められたことじゃないんスけど」

「どうして、できるの?」

 アンネの顔を見て、なんかいきなりマジだぞ、と、沙記は頭をかいた。

「ええと……その、その人のために、なんでもしてあげたいって思う人、キミにはいない?」

 なーんてね、ハハハ、ちょっとキザ? と、笑ってごまかす。

 アンネは、一瞬、大きく瞳を見開いた。



 広慈宮を介抱してやれ、しかし勝手に帰らぬせぬように、と言い置いて、エマが早々に妹の部屋を出たのは、電話の取りつぎがあったせいだった。

 自らの寝室の続きの間へ戻り、長く保留になっていた受話器を取り上げる。

『エマ、姉様……?』

 臆したような娘の声が、流れた。

「久しぶりだな」

『沙記を……手当して、頂けましたか?』

 おずおずとした声。エマは、フッと笑った。

「ああ。休ませている。わが妹の部屋で恐縮だがな」



「それは、ありがとうございました……」

 言ったが、綾は、次の言葉が出てこなかった。

 数十秒も言いよどんでいると、エマの豊穣な広野を思わせる声が、

『なに、私はそう悪趣味ではない。大事な人質だからな、夜食や茶などもいずれ運ばせよう』

 もう勝ったも同然と、笑っている顔が、目に浮かんでくるような気がした。

「……結構です。そんなに長いおひきとめは、遠慮申し上げますわ」

『では、取引といこう。エスコート服達を全員即刻開放するならば、広慈宮も手放してやる。――お互いことを大きくして、少年犯罪者にはなりたくないものだな、綾?』

「……」

 綾は考えを改めた。内心で、自分を叱咤する。

「いいえ!」

『見殺しにするか?』

「沙記も大事ですけれど、そう、今のわたくしには、情報もとても大事ですの。お姉様に、勝つために」

『広慈宮を、見殺しにするか!!』

 エマが恫喝するように言い放ち、笑った。

 綾は強情な声を出した。

「私達も、エスコートの方々に、拷問などするわけではございませんわ。それに、沙記は、自力で、そちらから脱出してきてくれると思います」

『……ほう』

 まだ余裕のあるエマの声が、続こうとする。

――これ以上聞いては、飲まれてしまう!

 ぷつんと、綾は通話を切った。

 平静と余裕を装っていたが、胸の動悸は、とても激しい。

 ひどい疲労を感じ、どっと、両手をつくように、握りしめていた受話器を置いた。

 手が、震えている。

――克己心よ、綾っ!!

 沙記とエスコート服たちを交換するという交渉を蹴ったのには、もう一つの決心があった。

 自ら乗り込んでいって、ヘルフェリッヒ邸から沙記を助け出す。

――別館に行って、さりげなくリリーやパトリシア姉様から護身道具を借り出して……

 愛用しているハイブランドのミニリュックを棚から下ろすと、ホイッスルや防犯ブザー、懐中電灯などの七つ道具、その他、どんなものが必要なのか見当もつかないまま、急いで、ごちゃごちゃと詰め込みはじめる。



 古い洋館の自室で、エマは、ツー、ツー、と鳴り出した電話の受話器をちょっと黙って眺めて、静かな笑みを浮かべていた。



「……という次第でな。広慈宮よ、残念だったな」

 こじんまりとしたアンネの部屋。不遜に笑う姉を見て、アンネは、沙記を、緊張感のこもったまなざしで振り返った。

「なんのことッスか?」

 もとのジャンプスーツの上下に着替え終わっていた沙記は、ソファから、はしゃいだ瞳で、エマのオーバル型の白晳はくせきを見上げていた。

「『自力で脱出してきてくれると思います』って、綾様がおっしゃったんなら、ボクにとってはそりゃ命令も同然ッス。頑張りますよー、えっへっへ」

 アンネは、目を見張った。

 しかしエマは、余裕に満ちた声を返す。

「結構。やれるかどうか、試してみるがよい。部屋に閉じこめて鍵をかけようか、それとも服を全てそこへ脱いで貰おうか。全裸でも、逃げおおせるかな……?」




――

この物語はフィクションであり、実在の団体・個人・事件とは一切関係ありません

また、この物語は自殺・自傷を推奨するものではありません

――

お読みいただきありがとうございます

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