第八章 フォロワーズ
第31話 マーガレットの美耶姫探し
用済みになった資料を暖炉にくべるために立ち上がりつつ、ひとりごちた。
いや、それどころか、日本にも記録がないという事実に、マーガレットは先に直面していた。
妹尾美耶の成績その他のデータが、何も、学院にはなかったのだ。名前がどこにも出てこない。
ソファに戻って、手元で開く、一年前の、濃紫色の革の表紙の卒業アルバム。
マーガレットは、初めて見た。
彼女や綾が、一年前におしいただいて中等部を卒業したのは、東苑カラーの臙脂色の革の表紙の卒業アルバム。編入生の綾は、それに、中二の年度からしか登場してこない。
中二の学園祭、中三の学園祭、球技祭、合唱祭、日常のスナップ。
中一の年度の綾だけは、西苑の、濃紫色の表紙のアルバムの中にいる。
行事ごとに振袖や
今より四年も前の中等部入学式のスナップなどは、本当にあどけなくて愛おしげで、もともと子供好きで童話作家になったマーガレットは、見た途端に同級生ということも忘れて目を細めてしまった。
「……それにしても、やっぱり、おかしいですわねぇ……」
困惑した表情で、中等部一年生の四月から三月のスナップのページを、何度もめくる。
綾がこれだけ載っているのに、あらゆる行事で綾とともに華の双璧を務めたという姫の姿が、ひとこまも写っていない。
美耶姫の顔が知れればと思って借りてきた、卒業アルバムだったのに。
「夜分遅く、申し訳有りませんが……」
マーガレットは、西苑二年睡蓮組のクラス委員長に、電話をかけた。濃紫の中等部卒業アルバムを貸してくれた相手。
詳しい事情は語らず、それとなく話をもっていく。
『ああ、美耶姫は、有名な写真嫌いでしたの。初等部のときもそうでしたけど、自分の写真が載るのを極端に厭がって、アルバム委員を困らせて。そこだけは、ちょっと変わった方でしたわ』
まあ、そうですの……と、マーガレットは言った。ふと、頭の中で、何かが閃く。
つかぬことをお伺いしますが、と、控えめな声音で言った。
「塔の姫様は、美耶姫と似ていらっしゃいます?」
『はい?』
西苑睡蓮クラス委員長は、直後、ころころと笑いだした。
『まあ! いいえ、面差しも、何も、全く違いますわ。どうしてそんなことをお尋ねになりますの?』
素晴らしい閃きかもと思ったが、外れていたらしい。がっかりしつつ、マーガレットは、丁重に礼を述べて、通話を終了した。
暗い。暗い。重い。深い。
どこかで、電話が鳴っている。
暗闇の中、薄目を開けると、廊下で、家政婦の一人が近付いてきて、電話を取る気配がした。
「はい、いえ、綾お嬢様は床につかれていらっしゃいます。ええ、ちゃんといますよ、なにか御用でございますか?」
綾は半身を起こそうとしたが、夢うつつ、朦朧として、そのまま意識が布団の中に崩れ込んだ。
背中に羽根、海の中を泳ぐように魚を従え、
――ああ、あのときも、羽根をつけていた。
まるで、半人半鳥、美声の海の魔女たちの一人。ギリシャ神話のセイレーンのような……
オデュッセイア……
――あのとき……
咲き
『……花の下にて春死なん、その
様々な連想がぐるぐると踊りだして、綾は再び昏睡していった。
「大丈夫ですか、綾様」
「ええ、一晩寝たら、全部が夢だったみたい。――ねえ沙記、お願いだから何も聞かないで。リリー達にも、黙っててほしいのだけど」
「おやすい御用ですよ、綾様の頼みなら!!」
からっと答えた沙記の笑顔に、綾はホッとした。
朝の西苑ゲストハウスの外れの庭で、今日は仕事があるのに一旦登校した沙記と、綾は顔を合わせていた。
どういうわけか分からない。幻覚を見てしまったのかも知れない。確かに地面に流れて染み入る一面の赤い血潮を目にしたと思ったのに、その痛みもだるさも生やかに感じたのに、手首には傷がついていなかった――古いもの以外は。
意識を失った綾は、前夜遅く、見知らぬ少年に式部家の邸宅まで連れてこられたという。家政婦がそう話してくれて、綾は、
――響也様かしら……なんて、私ったらまだ何か期待してるのかな……
思ってから、かすかに頬に笑いを浮かべた。
『沙記だわ。いやだ、あの子は女の子よ。男の子っぽい恰好してるから、間違えるのも分かるけれど』
『まあ!! お坊ちゃんにしては可愛らしい顔立ちだと思ったんですよ。やっぱりそうだったんですねぇ!!』
ふくよかな家政婦は、オッホッホッと、陽気に笑って、綾に応じた。
食堂で顔を合わせた父母も、内心では心配していたのかも知れないが、いつもどおりの朗らかな様子を装っていた。
綾も、さりげない振りで、式部邸を出てきていた。
三年になってほとんど登校しなくてもいいカリキュラムのおかげで、響也は、自分の高校には滅多に登校しない。
送迎の習も、相手のエスカドロン・ヴォラン三年生に断られ――どのエスコート服も、昨日から皆断られている――、朝から真っ直ぐ、聖女館学院東苑内の音楽堂に車を向けさせていた。
音楽堂地下のレッスン室は、自宅に負けず劣らず設備がいいし、運良く指導者の教授が学内に居合わせれば、聴きにきて、アドバイスが受けられるときもある。
「わぁっ!!」
と、突如、運転手が叫びをあげて急ブレーキを踏み、狭間家の御用車は、私道の路面で派手な音をたてて停車した。
どうした、と、怪訝な顔でフロントグラスを見透かす響也。が、横合いから、コココン、とリアシートのウインドウが叩かれた。
「……なんだ?」
「バ、バイクが突っ込んできて!!」
そのバイクがこちらに回ってきていて、ライダーに向かって響也が質問を発したことに、使用人は気づいていなかった。
ウインドウを下げ、窓を叩いた黒い革スーツを見上げる響也。
「おっはようございます、狭間隊長」
ヘルメットを取ると、結った髪がパッとなびく。気の強そうな釣り目の一年生のエスカドロン・ヴォラン。わざとらしくニッと笑っていた顔を、次の瞬間、凄むように変えた。
気付いたが、響也は臆しもせず、しれっと、
「隊長、ではなく副隊長だけどね。――何か用ですか、
「ああ、用だよ!」
沙記は勢いこんで言った。
「あんたね!! 自分一人でもこっちに協力するとか、したらどうなんスか!! 振られた上に共学になったら、綾様が恥ずかしくてお困りだとは、思わないんスか?!」
「……」
響也は呆れて絶句した。わざわざそれを言いに来た女生徒は、初めてだった。
軽く額を押さえて沈黙してみた後、睨み顔の沙記に、ため息混じりに言う。
「世界はあなたの綾様のために回ってるんじゃないんですよ。ちなみに、こちらだって、振られたと吹聴されて、迷惑している」
「綾様はそんなことしてないよ!! リリー隊長やマーガレット様も知らなかったくらいなんだから!!」
「……これは驚くな。本当に綾様中心に世界が回っているようだ、このお方には」
響也はひたすら嘆息したい気分で、やれやれ、と首を振った。
「時間の無駄だ、車を出して下さい」
運転手は、いいんですか、と怯えて言ったが、構うものか、と、響也は平静な顔で重ねて命じた。
「ちょっと!! マジで綾様を疑ってるのか?!!」
沙記の声が、後ろに流れる。
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