第30話 塔の姫の御名

 いちばん新しいものは、二年前の西苑の中等部のもの。年度でいうと三年度前の中三生の、卒業アルバムだ。

 濃紫こいむらさき色の革の表紙。

 三年度前の西苑中等部、三年睡蓮組に、彼女の顔写真があった。

「あの方だわ……」

 その睡蓮組が二年生だったときの写真のページにも。一年生だったときの写真のページにも。

 一年、二年、三年と、急速に成長する少女達にまじって、全く変わらないような顔だち。中学一年生のときすら、回りの少女達のほうが先に大人びているような、童女の顔。それでいて落ち着いた深い微笑。

 ただし、その下に記されている姓名は、〝セレイン・スプリング〟ではなかった。

「〝セリーヌ・ミズモト〟……?」

「そう、セレイン様ではありません。ところで、こちらの〝セリーヌ・ミズモト〟が二年前に西苑中等部を卒業したなら、西苑高等部に入ったはずですよね? 二年前に入学して一年生、去年は二年生、現在は高等部三年になっているでしょう。なのに、今年の西苑高等部の名簿には、〝セリーヌ・ミズモト〟はいませんでした。――では中等部を卒業後ではなく中等部入学前、つまり初等部には在籍していたかと、五年前の西苑初等部の卒業アルバムを見ましたが、そこにも、〝セリーヌ・ミズモト〟の名も、顔写真もなかった。そのかわり、東苑の中等部の卒業アルバムに……」

 臙脂えんじ色の革の表紙。

 五年前、つまり六年度前の東苑中等部のアルバム。三学年続けて睡蓮組に、八年前の四月から五年前の三月まで、三年度在籍していた少女が、同じ顔。

「名前は、〝瀬里奈(セリーナ)・水元(ミナモト)〟。彼女の名も、顔も、高等部このあと初等部この前、どちらのアルバムにも、出てきません」

 次に沙記は、八年前の、西苑中等部のアルバムを開いた。年度で言うと、九年度前。

 濃紫色の革の表紙。

 同じ顔の少女が、違う名で、西苑中等部睡蓮組に、十一年前から八年前までの三年度、在籍していた。

「この生徒にだけは、この前があります。ちゃんと初等部に在籍していて、中等部にあがったんです。十一年前の、西苑初等部の卒業アルバムです」

 濃紫色の革の表紙。十二年度前の初等部六年睡蓮組。

 さかのぼって五年睡蓮組。四年睡蓮組。やっと、周囲の少女と同い年くらいに見える。

 十二年前。十三年前。十四年前の四月、彼女は四年生になったところで、以来、ほとんど変わらない、顔……?

「遡って探せるのは、ここまでです。源聖女館学院・西苑が開校したのは、十四年前の四月でしたから」

 綾は、言葉にされて、息を飲んだ。

「それで、彼女の名前が、これなの……?」

 震える指先でなぞる活字。――〝源(ミナモト) 聖蓮(セレン)〟。

「実は、源姓の小学生が、この年、もうひとり、東苑に編入しています。こちらは五年生で、聖蓮の姉さんッスかね。五年・六年・中一・中二・中三と東苑に居続けて、高等部を六年前の三月に卒業してます。写真、見ますか?」

 沙記は鞄から、新たにアルバムを取り出した。

 臙脂色の革の表紙。六年前の東苑高等部の卒業アルバムに、ほっそりした上品な乙女の近影があった。所属クラスは、学年によって違う。カラーのスナップのページにも登場し、木陰や階段の下で、友人達と微笑みあっている。

「ちゃんと高校三年生、一八歳くらいに見えるわ」

「そうです。今も源学院長の屋敷へときどき里帰りなさってます、この学院長のお嬢様の御年は、二十四歳。対して、二十三歳のはずの聖蓮セレン様の消息は……聞いたことがない」

「……」

ミナモト 聖蓮セレン瀬里奈セリーナ水元ミナモト、セリーヌ・ミズモト。瓜ふたつ、瓜三つの別人ていうよりは、名前を変えた同一人物でしょうね。〝セレイン・スプリング〟は恐らく『四つめの瓜』だ。ボクは、来年三月に発行される東苑中等部卒業アルバムの中の彼女の顔が、聖蓮セレン瀬里奈セリーナ、セリーヌと同じでも、少しも驚かない。塔の姫様は、今はセレイン・スプリングの名で在籍していらっしゃるんだ。最初のお名前の名字と扱われかたからして、学院長の血縁なのも確か。……ただ、他人が追求できるのは、このあたりまでッス」

「……そうね……」

 綾は、言いながら、上の空だった。

 十四年前の、小学四年生の顔写真。

 白黒だから怖くないが、色がのったらと思うと、綾にとっては恐ろしくていられない、碧い瞳……。

「返してきます、すぐですから、ここで待ってて下さいね」

 沙記はバイクをスタートさせた。図書館に向けて、車道を遠ざかっていく。エンジン音と、ジャンプスーツの後ろ姿。

 街灯に背をもたせかけて、綾は車道のアスファルトを見つめていた。身体がこわばって、動く気力もない。

 待って、行かないで、一人にしないで、手をつないでいて。

 喉元まで声が出かかっていたが、子供っぽい気がして、飲み込んだ。

 沢山の友人がいて、家族も使用人達もいて、けれど、どうしようもなく心細く、誰とも繋がっていない気がしている。それは普通でないと分かっている。けれど、うち明けられない。

 そのとき、聞こえてきた物音に、ハッとした。

――カラカラカラ……

 まさか……こんな夜更けに?!

 暑いのに、急に寒くなる。背筋が凍るほど。

 街灯の陰、小径をめぐってくる、軽くなめらかな車輪の音。

 茂みの陰の暗がりから、セレインが、現れた。

 怯えて、歯の根が合わず、かたかたと震え出す綾。

 薄く暖かな微笑を浮かべた唇。にっこりと、無表情な瞳。

「あ……あ……」

 セレインの顔が、碧い大きな瞳が大写しになって、視界を席巻する。

 恐ろしいほどに美しい、


深い、


あおい、


無表情に、


微笑わらっている


――エマ姉様……美耶……響……也……様…………!!

 無意識のうちに、手が動いた。瞳に魅入られたまま、呻き、もどかしく、鞄の中をまさぐる。

「あ…………あ…………ぅ」

 手探りで、ペンケースを取り出した。中から、震える手が、カッターを引きだし、握りしめた。その他のものを取りおとした。鞄や中の書類、教科書がバサリと広がって、地面に散り敷く。

――碧い……吸い込まれそうな……碧い……瞳……

 セレインが、顔を歪めた。つらそうに、胸が張り裂けそうに。

 哀しい……つらい……

――響也、様……!!

 左手首を目の高さにかかげ、右手で長く刃を繰り出したカッターを、同じく、目の高さに。

 そして、目の前で……

「綾姫!!」

 どん、と後ろから激しく体当たりをくらって、綾は意識が遠のいた。

――碧い……

 夜目にもあかく、あふれだす、血潮。



「綾様?! 綾様? あれ……どこですかぁ?!」



 マーガレットは、自邸の居室で、いく枚もの資料を繰っていた。

 四隅の塔を繋いだ形の城館の二階。

 古いだけに湿気がこもりやすく、その湿気よけに、夏の夜だというのに暖炉には火が燃えている。

 使い勝手は悪いし、どこか陰気だったが、この館のたたずまいを、マーガレットは愛していた。

 緑のビロード張りの猫足のチェアに腰掛け、繰っている資料は、外交官の父のつてを借りて取り寄せた、アメリカ合衆国の公文書のコピー。勿論、悪用するつもりはない。

 美耶姫の消息を、調査していた。

「やっぱり、アメリカに、渡っていない……?」




――

この物語はフィクションであり、実在の団体・個人・事件とは一切関係ありません

また、この物語は自殺・自傷を推奨するものではありません

――

お読みいただきありがとうございます。

これからも面白い物語にしていきます。ぜひブックマーク・応援・レビューをお願いします。作者のモチベーションに直結します。


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