第32話 誰が綾の失恋を吹聴したのか

 沙記は、走り去った狭間家の御用車を、唖然と見送ってしまってから、チッと舌打ちした。

「まったく!!」

 いらいらして、バスッとタンデムシートを殴る。今日はこの後、仕事があって、沙記は『綾様』の側を離れなければならない。



 響也は、リアシートで、今さらのように首を捻っていた。

 沙記の直情には呆れたが、まあ、あれはあれで、面白かった。

 ただ、中にひとつ、引っかかることがあった。

――あの式部の姫さんが黙っていたとすると、誰が、あのときのことを知り、暴露バラせた――?

 響也の口から話した相手は、一人きりだった。あの日の夕、普段通りを装っていたのに、『どこか想い乱れている様子ですけど』とあっさり看破した、身近な少女に白状した。ただし、彼女から噂が広まるはずはないと、響也は信じている。

 といって、綾も本気で疑えない。

 二ヶ月ごとに東苑生徒会主催で開かれる夜会に、東苑高等部クラス委員の義務として手伝いに来ていて知り合った、一学年下の美姫は、闊達で颯爽としていて、確かに沙記が言うとおり、失恋を根にもって悪く言って歩くほど抑制の利かないご令嬢には、見えなかった。



 明日は決勝前日、コイン・トス。

 今日中に全ての献立を確定しなければと躍起になっていた反対派スタッフのところへ、ジュリアが、思いも掛けない報せを持って走ってきたのは、夕闇迫る頃だった。

「ヘルフェリッヒ様側は、今日の夕方、フルコースの試食会をなさいますぅ……!!」

「えーっ!!」

 メインダイニングに皿を並べているところだった、和装に割烹着姿の少女達、漆蒔絵のお盆を持ったエスカドロン・ヴォラン達が、悲鳴を上げる。

 調理は一応ひととおり出来るようになったし、給仕のプランもマーガレット達がまとめにかかっているところだし、本番は大丈夫かも知れない、という気分が盛り上がってきた矢先だった。

「きーっ、悔しい! エマはん側の方が、一歩先をいっとるようどすな」

「ジュリア、それ、覗くことはできそうになかったの?」

 綾は、咄嗟に聞いていた。

「そうできればよかったんですけど、厨房係も給仕係ももぬけのカラです。東苑ゲストハウスでも生徒会館でも聖女会館バンケットホールでもなくて、ヘルフェリッヒ邸で、行われるみたいで。味見役には、E服一〇組の各組長様達と、正・副隊長、十二人が招待されていて、形的にはエマ様が皆さまを慰労する意味を込めて晩餐を振る舞うという趣向で、ご招待状もできてるの、見ちゃいました。今頃、配達されてるんじゃないでしょうか……」

 と、そこへノートやファイルを抱えた上級生達の一団と一緒に、ドアのところに現れたマーガレットが、

「まぁ……。ジュリアがここまで辿り着くタイムラグに、配達が済んで、あまつさえエマ様宅まで移動していてもおかしくないですわ。招待状前に、話は通っていたかも知れませんし」

「ええ。でも、電話は――」

「いいのよジュリア、あなたは間違ってないわ」

 エマ側が傍受を図らないとも限らない、とジュリアに限らず全員に電話の使用を用心するよう徹底したのは、マーガレットと綾だった。

 と、ひょっこりジャンプスーツの上下が顔を出した。

「あ、沙記、お帰りなさい、どこ行ってたの?!」

 離れていた彼女が戻ってきた安堵で、一瞬、すがるような視線になってしまった綾。沙記が反射的に心配顔になる。

「仕事って言いませんでしたっけ? 何かあったんですか、綾様」

 綾は、慌てて顔を外むきの表情にひきしめた。

「ううん、そうだったわね。そうそう、見て? とうとう献立が仕上がったのよ!!」

 沙記は、へえ、と、並んだ向付むこうづけ煮物椀にものわん八寸はっすん、その他の品々を、ぐるっと見渡した。

「おいしそーっ。腹へってるんですよ、ちょっと味見してもいいスか?」

 無邪気な顔に、エスカドロン・ヴォランたち、クラス委員たち、厨房長に厨房係全員が、一瞬でジュリアの一報を忘れて、うなずいた。

 沙記はぱくぱくぱくっと、料理をつまんで口に放りこむ。

 もぐもぐもぐ、と大きく口を動かす一年生の表情に、酷なほどの注目が集まった。

「……。うっまー……」

 ごくんと呑み込んで、顎をあげる沙記。じいんと余韻を味わう顔。

「きゃああ、本当っ?」「おいしい? おいしい?」「そうでしょ、すっごい苦労したもの、その出汁ダシ!」

 皆がいっぺんに叫ぶ。

「いや、めちゃうまいっすよ、これも、これも!」

 ばくばくと、女の子とは思えない速度で口に運ぶ沙記。

「あ、これもおいしそ、これも、あれも。わーおいしいっ、うまいっすねー、いけるいける」

 ほんの数分で、沙記はひととおり味見をしながら、言い続けた。

 綾も、目を丸くして、その顔を見つめる。

 初めて口にしてもらった相手に、率直に嬉しそうに平らげられて、きゃあきゃあと少女達が抱き合い、手を叩き、有頂天な歓声が盛り上がった。

「うちも食べよっと」

「あ、リリー隊長様、ずるいっ!!」

「わははっ、なーアヤ、うちらも試食パーティーといこうや」

「ええ!!」

 料理は、大人数ぶん作るコツも会得するため、大量にあった。小皿と塗り箸が配られ、

「あ、わたしパントリーからジュース持ってきまーす」

「食後のお茶の用意もしてきましょうか」

 給仕係の少女達が気を利かせてパタパタと動き出し、立食パーティが始まる。

 飾り気もなにもなかったが、楽しく、皆で笑いながら分かち合う食事は、これ以上ないごちそうになる。

 マーガレットだけが、腕を組んで顎に手をやり、憂鬱そうにつぶやいていた。

「エマ様陣営の試食会……盗聴器をしかけたり、モニターをしようにも、私邸じゃ手を出せませんわ…… やっぱり、試食会終了後に、エスコート服の殿方に友好的にお話していただくしか、ないですわね」

「あのなマーガレット、ものは正直に言い、拉致してきて強制的に吐かせるくらいのつもりでおるくせに」

「あら、いやですわ」

「って、笑いつつ、否定しないところが怖いわよね、あなたは」

「ちょっとちょっと、綾様、エマ様の試食会って、なんのことっすか?」

 綾は、沙記の声に、微苦笑して言った。

「今夜、お姉様の自宅で、予行演習みたいに、エスコート服様達に試食して頂く晩餐会が開かれるらしいって、ジュリアが報告してくれたところだったのよ」

「もうリミットですわ。始まったでしょうね」

 マーガレットがため息をついて見る、腕時計。

 綾は、その真剣そうな様子に、

「そんなに気を揉まなくてもいいわよ。私達は私達で行きましょ?」

「いいえ、アヤ。もし、ヘルフェリッヒ様がグランドメイン審査員様を知っていたら? それが反映されたメニューだったら? そう思うと……」

 残念そうな灰がかったすみれ色の瞳と、思案するような綾の黒曜石の双眸を見比べて、沙記は、ごくんと、最後のイモの煮っ転がしを、飲み下した。

「はいはいっ!! ボクボク!! ボクがお役に立ちます!!」

 叫んで勢い良く挙手した黒いジャンプスーツに、皆がなんだなんだと振り向く。

「沙……沙記?」

 沙記はニッと笑って両腕をあげ、両手で首の後ろで黒髪を手早くまとめた。片手に持ちながら、

「ねぇ綾様、ご存じでしたか? ボク、エマ様の妹さんに、こうすると超ソックリなんですよ」

 ザクッ。

 取り出した七つ道具のナイフで、胸まであったストレートヘアを、削いでしまった。

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