第七章 呼び歌

第28話 アヤは塔の姫とまみえて

「さて。任せておいたユニフォームだが、どうなった?」

「じゃじゃーん!! はいっ!!」

 エマが顔を出すと、ソフィーの隣からカーテンが開き、美月ミツキが飛び出した。

「こんなん用意してみたよっ!!」

 くるりと廻って、腰に手を当て、にこっと、立ちポーズ。

 サワーグレイのカーペット。寄せ木の床に並ぶ二〇余りの鏡台とワゴン。衣紋えもんけやマネキンなどの置かれた、衣装室兼メーキャップ室の最奥。

「あの……これを、皆さまが、着るのですか?」

 ソフィーが頬を真っ赤に染めた。

 パフスリーブの綿ブラウスに、ハート型の胸当てがついた、フリルとレースのミニエプロン。ピンクのギンガムチェックのミニのタイトスカート。

 健康的な脚線美を強調するかのように太股から下が剥きだし、足元は、同じくピンクのパンプス、ストラップつき。

「か、かわゆらしすぎっていいますかその」

 トレイまで持った美月が、泣きそうな顔で、

「ムネ上げタイプのエプロンスカートの方がよかったですかぁ?」

「それはもっと困るといいますか、えーと……」

「いや、その方がよいやも知れぬな」

 確固とした声が聞こえ、全員が耳を疑いながら、女王然とした女生徒を振り返った。

 賛成派総長は、なんだ?と真顔で小首をかしげる。

 美月がひきつり笑いつつ、

「あっではこちらを……」

と差し出す、別のユニフォーム。受け取ったエマは、試着室へ踏み込み、シャッとカーテンを閉じた。

「――どうだ?」

 わずか一秒後、カーテンが開き、紫のギンガムチェックのそのスタイルで現れたエマ。ほー……、というタメ息が漏れたのは、はっきりいって似合っていないこともなく、それでいて異様な迫力を醸し出していたからだった。

「ソフィーは水色のを着ろ、ロザーナは赤が似合いそうだな?」

 ふふ、と不敵に笑うエマ。

「馬鹿馬鹿しくて、宴のしつらいに似合っている」

 ソフィーがアセアセと、困ったように小首を傾げ、

「エンターテイメントに徹するおつもりって……ことですの?」



 西苑、ゲストハウスの一階、小会議室では、綾達の献立会議が行われていた。

 綾がホワイトボードの前に立って、

「夏ですからやっぱハモ? 湯洗いで、ガラスの鉢で……」

「グランドメイン審査員が分かったら、さりげなく好物を添えるのにね」

「ところで、今さらだけど、審査員名簿に〝セレイン・スプリング〟ってあるの、これ、スプリング・ヒルのあの方じゃないの?」

 お喋り好きなルーシー・ヘイワードが、言い出した。

「へ? あの塔の嬢ちゃん、そんな名前だったんかい?」

「名字がスプリングでは、逆に違うのではありません? 塔の姫様は、学院長の娘って噂ですから、源姓では?」

「え? そんな説があったの?」

「やだ、琉華、知らないの?」

 ルーシーが言った横で、黒髪の美少女マジシャンが、

「あ、噂をすれば、ホラ……」

 壁一面の大きなガラス窓の外を、指さした。

――カラカラカラ……

「あら」

 車椅子の少女は、今日もまた、一人きり、無言で散策していた。

 ゲストハウスの前庭、噴水の池の近く、濃い緑の木々の葉群を見上げ、ふと、車椅子を停めて、木漏れ日を眩しそうに見上げている。

「え……?!」

 遠目に見た綾の顔から、ザッと血の気が引いた。

「マーガレット…… あの方は? ……あの方は、一体、何者なの?!」

「どうなさったの、アヤ?」

 自らの肩を両手で抱きしめ、ドッと膝をついてうずくまった綾の傍らに、マーガレットがかがみこんだ。そっと包むように手をあてる。綾の肩は、小刻みに震えていた。

 遠目に見るだけでも、怖い……何故?

 エマのことを思い出そうとするときよりも、美耶姫のことを思い出そうとしたときよりも、大きな恐慌。

 見つめている少女達の中心で、目眩にぐらぐらと頭が回りだした。

「綾様、ご覧になるのは始めてだったんだ」

「沙記……?」

「〝塔の姫様〟っスよ。エンプレス・タワーにいらっしゃる」

「知ってるわ。歳を取らないっていう噂の、でしょう? でも……でも、本当は、誰なの? 何者? あれは、なの?」

 少女達は、シンと静まりかえった。

 誰も、それについては、触れないのが、暗黙の了解。まして、彼女と会ったことのある者は全て、彼女に悪くない印象を抱いている。愛らしく、守るべき聖少女。その彼女を、初めて声を大にして疑う女生徒。それが式部の綾姫であるということに、気まずい沈黙が、席巻する。

 これ以上その話をしないように、綾を遮らなければと、マーガレットは、リリーに目配せしようとした。

 それを見るまでもなく、リリーの飄々とした声は、その場を救っていた。

「なんや今さら……そんなん気にするの、あんただけやで?」

 呆れたようにつぶやき、ははっと笑ってかがみこみ、ぐしゃぐしゃと綾の頭を撫でるリリー。

「急に忙しゅうなって、ちょーと疲れが出たんやな? まあ、休みぃ」

 涙目になっている綾は、う、と喉をつまらせて、上目遣いにリリーを見た。

 彼女の肩の向こう、窓の景色に、車椅子の少女の姿はもうなかった。


 リリーは、以前に何度も、綾がこんな顔色になったのを見ていた。

「また、エマはんに関係あることやないやろな?」

 ゲストハウスの上階客室の一つを借り、ソファに沈み込んで、丁寧に煎れる淹れられた紅茶を英国の名陶で供され、温かい湯気と甘い香気を吸い込み、ようやく人心地をとりもどした綾に、尋ねた。

 綾は、自信がなかった。

 そうかも知れない。エマを思いだすときと似た不安感があるのは確かだ。いや、より強い不安感。恐怖。

――怖い。

 ただ、リリーを心配させるのがわかっていたから、黙ったまま、首を振った。

 リリーとマーガレットは、後ろ髪をひかれる想いだったが、階下の仲間の少女達の動揺を沈めに、降りていかなければならなかった。客室の廊下まで着いてきていた沙記を呼び入れ、後を頼むと、その場を去る。

 綾は、二人が出ていったあとで、少し、泣いた。

「泣かないで下さい、どうして泣くんですか、綾様」

 沙記は、おろおろして、その手を握った。綾は首を振った。

「分からない。分からないのが、哀しいの……気にかかって、見たことがないのに、見たことがあるような…… あの子は、あの方は、一体何者なの? 誰も、どうして私の気持ちを分かってくれないの?」

 沙記は、綾の弱りきって混乱した姿を、このとき初めて目にした。


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