第27話 動物と会話する少女

 茶室はもちろん、学院内にあった。

 ゲストハウスからバイクで二〇分ほど。数寄屋すきやの純日本風迎賓館の周り。

 懐石料理にすることに決心したばかりの綾は、勢い込んで見て回ったが、どの席もあまり気にいらなかった。

「ここも違う気がする。けれど、しょうがないわね……」

 最後に入った八畳の広間ひろまの茶室と、その寄付よりつき露地ろじの様子を見て、腕を組んで嘆息した。

 どこを見ても、懐かしい気がする。場所は覚えているのに、人の記憶がおぼつかない――そのことは、意識しないようにする。

「綾様、それより、お茶室は全部で四つですよ? 現実問題、とてもとても、一二五人のお客様をおもてなしするには足りませんよ」

「そうよね、少なくともあと八軒から一〇軒は必要か……。諦めなくちゃ、だめねぇ」

 せっかく自分が食事会を催すのだったら、というアイデアは沢山あって、大事にしたかったのだが。

「まあ、洋室で、テーブルの上で主菓子おもがし薄茶うすちゃを供する茶会もありますし。寺や神社のおおせの茶席で五百人とか相手にするみたいに、一つの茶室に入れ替わり立ち替わり来て頂くのと、どっちがマシかっていったら……」

「そうよね。ゲストハウスで真似ごとするしかないわね」

 早々に、下見をきりあげた。

「和モノに似合うクロスや照明器具、見つかるかしら? 改装屋さんの手配も、頼まなきゃ!」



 カラカラカラ…………

 塔の少女は、庭園のような学院内を、一人きり、無言で散策していた。

 ときに濃い緑の夏の木々を見上げ、木漏れ日をじっと眺める。

 ときに、けだるい日差しの中でむせ返るような香りを発している鬼百合の花を、飽かず見つめる。

 農場に出ていたマーサ・ウィンドは、垣根に近寄る彼女の気配に、テンガロン・ハットのつばをあげた。

 スプリング・ヒルの南に広がる牧場、東苑サイド。

 オーストラリア出身の東苑三年生、生物部の部長であるマーサ・ウィンドは、授業がないときはいつでも、この農場にいる。

 彼女が見守る中、囲いに車椅子の少女が近付くと、メェメェと鳴きながら、羊の群が集合しだした。

 垣根越しに、手を伸ばすでもなく、声をかけるでもなく、少女は微笑している。

 足元をニワトリが首を振って行き来し、放し飼いにしているウサギが、納屋の日陰に点々といる。

 しばらくすると、車椅子は、草を噛んでいる牛達を遠くに眺めながら、ポニーの囲いのそばに移動して、また、じっとしていた。

 塔の少女が去った後で、ブタ達に飼い葉をやりつつ、マーサは、ブヒブヒと鼻を鳴らす彼らに、相づちを打っていた。

「え? ああ、うん、うん」

――ブー、ぶひぶひぶー

「ふーん、そうなの、あの方って、へーなるほど」

――ぶひぶひ、ブブブ

「うんうん、はいはい」

 真偽のほどは定かでないが、自称、動物語を解するというマーサ。



「え? 結局わからなかったの?」

 雅は、三人の少年達を机の前に立たせて、声をあげていた。

 《聖女会館》の奥の翼、エスコート服の隊長室。

「はい。おそらく、その情報はコンピュータを通っていません。あとは、盗聴を始めるか、トラブル防止に電話機にレコーダーがついていることを祈って、源学院長の私邸に忍び込むくらいしか……」

「しょうがないなあ。少しでもエマねーさんに有利にって思ったのに」

 同じ三年生なのに姉御あねご呼ばわりして、雅は頭をかいた。

「いいよ、続行して。分かった時点で報せても、あの女王様なら、機転を効かせて何か役に立てられるはず…… 僕らには、それぐらいしか仕事がないそうだし」

「いや、他にもできることはあるぞ?」

 朗とした声が響き、少年達がハッと振り返った。

「エマ様?!」

「何故、ここに!!? わざわざ?!」

、通りがかったので、ついでに頼みごとに来た。明後日の夜、我らが料理を試食して、忌憚きたんない意見を述べて欲しい」

「モニターにご招待、ということですか?」

「明後日と一日おいて本番と、二度同じメニューを食すことになる故、無理にとはいわないが」

「いえいえ、行かせていただきますよ、喜んで!!」

 長身の賛成派総長は、口の端をあげる微笑で浅くうなずくと、

「そういえば、那智ライムント。エスカドロン・ヴォランでたった一人、鮎川美月ミツキは、こちらに引き入れたぞ」

 ゆっくりとロングヘアを翻し、立ち去っていく。

 赤毛ソバカス少年の顔が、だらしなく緩んだ。

 雅は、オイオイ餌を撒くか、と、思いつつ、

「わー、那智、じゃあ頑張らなくっちゃ」

 にこっと笑って、作業続行を促した。



 翌日。西苑ゲストハウス、厨房。

 昨日と同じく、制服の上に色とりどりのエプロンを着けた女生徒達が、ごく早朝から包丁を操り、かつらき、末広ルビを入力…切り、蛇腹ジャバラ切りなどに挑戦していた。

 今日は二日め。四日めは本番前日で正午にコイン・トスがあり、予行練習と、本番のための下ごしらえを始める時間しかない。実質、三日めまでが勝負で、つまり、今日と明日が頑張りどころだった。

 魚のエラ取り、三枚おろしは当然の技能になってきている。

 懐石に合わせて、大急ぎでユニフォームを和装に変え、その面倒を見ていた綾は、昼前になって、厨房に顔を出した。

「練習の方はどうですか? 皆さま、そろそろ厭になってはいませんか?」

 刃物や火を扱うから緊張するし、繊細な作業の上、変な力が入るから、慣れない台所仕事は、見た目や想像する以上に疲れる。

「いいええ、楽しいです!!」

 無邪気な少女の声が飛んで、綾は目を見張った。

「まあ、頼もしいことですわ!」

「あの、ほんとに楽しいんです。今まで、どうしてやってこなかったんだろうって」

「教授が、料理は愛情ですって。愛する人に食べて貰うと思って作れとおっしゃって」

「そう思うと勝手に手が動きますから不思議」

「――愛する人のために……愛する……ううっ、泣けるお言葉ですわ~~っ」

 綾は、涙を指先で押さえるジェスチャーをした。

「なんや、綾、また響也はんのこと思うておりますのやろ」

「おほほ、ちょっとね」

 冗談めかして頭をかく綾に、今日は登校できたリリーが、拳骨で小突く真似をしてみせる。

 少女達の明るい笑い声が、ゲストハウスに響きわたった。



 浅黒いが小さな顔と、取りようによっては小生意気なつり目ぎみの目、どこかさびしそうな眉。

 エマとは似ても似つかない、日本人の祖母の血が色濃く発現した娘、アンネ・ヘルフェリッヒは、豪奢な華をもつご令嬢達の合間で、息を潜めるようにして、立ち働いていた。

 東苑ゲストハウス、賛成派の厨房。

 仕事は、仕入れた特上のバターをソースパンに入れ、弱火にかけて低温でとろかし、底に沈む白っぽい凝固物を残して、キンポウゲ色の上澄みをスプーンで掬いとる。たったそれだけ。

「澄ましバター係…… かの女帝の妹姫が、こんな仕事しかできないの?」

 初めてアンネを目にするご令嬢が、麗しい眉目をひそめて見せた。

 元来気弱な高等部一年生は、きゅっと唇をむすんでいた。

 エマの取り巻きが、アンネをおもんぱかって、ん! ん!!と、咳払いをしてくれるが、好奇の目は、まとわりついてくる。

――お姉様に初めて任されたから、こんな仕事でも、嬉しかったのに……

 圧倒的な存在感の姉に比べて、取るにたらない存在。頼りなさすぎて目をかけて貰えないみたい、と嘆いてきた少女には、どんな仕事でも、エマに頼まれたというだけで、嬉しかった。その気持ちに水をさす上級生や下級生の視線が、哀しかった。

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