第23話 恋する者への警告

「生徒会長室なら、生徒や校内の施設についてのデータも全て揃っていますのに……遠慮なさらなくても」

「いや、お前のテリトリーを侵すつもりはない。新しく空き部屋を作戦本部にした方がいいだろう。ここへ、資料を貸し出してくれ」

 エマの言葉に、ソフィーは微笑して踵を返した。賛成派の生徒会役員、部長会長などを連れて、エレベーターホールへ去っていく。

 東苑の《学生会館》四階の小会議場には、エマ一人だけが待つことになった。

 肘付きの回転椅子に掛ける。下校を指示したため帰りだす生徒達の群れを、窓から眼下に眺めていると、後ろから、声がかかった。

「ごきげんよう、西苑の現生徒会長にして賛成派総長、エマ・ヘルフェリッヒ殿。お目もじよろしいでしょうか?」

 振り向くと、重厚なドアが開かれ、顔をのぞかせている少年。

 廊下に立ったまま、ときどき左右へ視線を送るが、室内へ入ってくる気はないらしい。

「伊能雅・新隊長か」

「『聖女会館』のバンケットホールでは、どうも。噂には聞いてましたけど、あなたも残酷な方ですね」

 響也に見せている剽軽な表情は、なりを潜めていた。

 口の端を上げてわらい、エマは髪を掻き上げた。

「そなたこそ底が読めぬが…… 何を考えておる」

 雅は答えず、代わりに質問した。

「綾姫の自殺の原因があなただったというのは本当ですか? というか、そう自覚なさってるんですか?」

「――これは妙なことに詳しい」

 エマは言ったが、ゆっくりとうなずいた。

「そなたの言うとおりだ。わたしはあやつを殺しかけた」

「僕はそのことで、あなたが許せないんで。実は――憎んでるんですよ」

 にっこり、と、邪気のなさそうな顔で、雅は笑った。

「は……。ずいぶんと手厳しいではないか」

 エマは、面白そうに雅を見返した。

「つまるところ、そなたはアヤの味方という気か。……許せぬ、と言ったな。許せぬなら、どうする」

 雅は、肩をすくめた。

「別に、どうも。エスコート服は全員、あなたがた賛成派の手足となって働く意志がある。あなたのことは、放っておく」

「何の算段もなく、ただ、敵対宣言をしにきたというのか。これは面妖な。そなたはアヤの味方でありながら、アヤの敵となるE服隊長の座を降りる気はない。狭間などは、学院生徒になるのに両手を挙げて賛成したいところが、アヤとの一件があったためにそれもできず、呻吟しておるようだというのに、そなたはその立場を楽しんですらいる。そして、許せぬ、憎むと言いながら、私をうち放っておく…… そうか、それは、手駒として使うという宣言だな」

 込み入った利害関係の糸を解きほぐし、エマはおとがいに手をやった。

「どういう算段かは知れぬな。分かるのは趣向のみ。……伊能雅とやら、そなた、あやつに惚れたか」

 雅は曖昧な微笑を浮かべただけだった。

「そなたの工夫を察して、私が、妙な動きを見せたらどうする」

「妙な動きをしようもないんですよ、あなたは」

「自信家だな。それでわたしに告白に来たのか? わざわざ? わたしはあやつの母でも、姉でも、後見人でもないぞ」

「僕の認識としてはですね――」

 雅は、まじめくさって言った。

「あの人を傷つけた、昔の恋人ってとこですか」

 エマが、失笑した。くっくっくっと、低く喉を鳴らす。

 しかし、しばらく笑った後、数メートル向こうに立つ美少年へ、鋭い視線をくれた。

ものが。では、さような者として、昨日今日あの娘に近付いた無知むちしゃに忠告しておく。あれに惚れ、手懐てなづけるとはな」

 苦々しげに、言って捨てた。

「恐ろしいことよ」

 冷気を含んだその声には、並みの少年なら青ざめて逃げ出す迫力があった。が、雅はそうせず、ただ、渋い顔をした。

 エマが、れ、というように片手を振る。

 そのとき、雅がにわかに右を見て、表情を変えた。

「ああ、いたいた。いきなり消えるなよ。――っと」

 雅の横まで来て室内が見え、エマの姿に気付く響也。西苑高等部生徒会長――賛成派総長へ向けて、恭しく一礼する。

「失礼。もう自己紹介を済ませましたか。オレから紹介しようと思っていたのですが、建物に入ってすぐ、こいつがはぐれてしまったものですから」

「……よい」

「いやーははは、探した? ごめんな響也。迷っていたら、偶然エマ様に遭遇してね」

 白々しい笑い。エマは咳払いをすると、

「そろそろ役員どもがうち揃い、作戦会議が始まるだろう。エスコート服代表のそちらも、よければ参加してくれ。賛成派本部は、歓迎する」

 雅は笑って揉み手した。

「ええ、そりゃもう。エマ・ヘルフェリッヒ様麾下きかの御前会議に出席できるなんて、エスコート服隊長及び副隊長と致しましては喜びの極みとするところですよぅ」



 赤や青の小さなスポットと間接照明を多用した、暗くてごちゃごちゃした店内。形を変える光線のアート。リズムメインの小うるさい楽曲。

 踊っている人の群を柵の向こうにした、小さな丸テーブルと、窮屈なストール。後ろの壁までの隙間も、細長いダンスフロアになっている。

 綾、リリー、沙記の三人は、街へ繰り出し、とあるクラブに入っていた。

「誰よ、今夜ここにセンセイが来るって言ったのは」

 コツコツ、とテーブルを叩く綾。学校から離れたせいか、私服に着替えたせいか、いつもの調子に戻っている。

 ノースリーブの白いワンピースにミュールを履き、皮紐を編んだチョーカーの半貴石と、ピアスのジルコンをぶらぶらさせてつぶやいた。

「変どすなぁ、携帯で運転手に聞いたんどすけど……」

 黒タイトに派手プリントのブラウスの襟を開けたリリーが、ぽりぽり耳の後ろを掻く。

「まあまあ、もうちょっと張り込んでみましょうよ」

 沙記はポニーテールを下ろし、ジャンプスーツはやめて、襟ぐりの大きいパフスリーブのチェックのブラウスにデニムの短パン、生足にサンダルという恰好。タンブラーの中の丸い氷を短いマドラーでつつき、ころんからんと音をたてた。

「うち、ちょーと踊ってこようかしらん」

「遊びに来たんじゃないわよ、リリー」

 謎の最後の審査員を突きとめるために、綾達は、教職員組合に依頼されて一二五名の審査員を選んだ男――テレビ番組制作会社のコーディネーターに、ダメもとで接触しようとしていた。

 他の五人のメイン審査員の顔ぶれは、

――毎日放送される短いクッキング番組の枠を監修、出演している日本料理研究家。

――奥様雑誌でカリスマ的な扱いを受けている家事エッセイスト。

――都内有名フレンチ・レストランのチーフ・シェフ。

――日本滞在が長いイタリア料理のスペシャリスト。

――アメリカ西海岸からやってくる、仏伊東洋中南米複合新鮮健康料理(カリフォルニア・キュイジーヌ)の権威(オーソリティ)。

 この中心に、どこの国のどんな料理の料理人なり評論家なりを持ってくるのか、考え得る可能性は、あまりに広い。

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