第二章 スプリング・ヒル

第6話 東の長と西の長


 幼稚舎から高等部までの学舎が集中する、敷地中心部の、そのまた中央に位置する、《高等部学生会館》。

 大小会議室やバンケットホール、資料室、四十五を超える部活の部長サロンが詰まったその建物の最上部。五階から六階まで吹き抜けにした、南面全てがガラス張りのフロア、《生徒会長室》。

 くるぶしにかかるほど長いプラチナ・ブロンドがトレードマークの生徒会長は、その中央部の円卓で、副会長や書記、会計、補佐官達と顔を突き合わせ、対策協議に没頭していた。

 北欧系の澄んだ碧玉の瞳に、かすかなおびえが走っている。本物の王女という高貴な生まれには、この学園の前代未聞の喧噪は、少しく恐ろしいものだった。無論その繊細さ、慎重さこそが、彼女を立派な会長たらしめてもきたのだが。

 と、机の上の、彼女専用の電話機が、聞いたことのないメロディを奏で始めた。気が付けば、その着信音は、かつてヨーロッパの狂王に捧げられた有名な交響曲。

「これは……ホットライン? 〝西〟からの……?」

 普段は点灯しないボタンの、小さなランプが明滅している。

 震えるまつげで周囲を見回し、しかし次には誇り高い表情を取り戻すと、生徒会長は、受話器を取り上げた。

 彼女がボタンに触れて回線を開き、数秒。深く圧倒的な威厳に満ちた乙女の声が、第一声を切った。

『イッヒフロイエミッヒ、ズィー・ケネンツ(はじめまして)、と挨拶するべきかな、ストリンドベルイ。――わたしだ』

 横柄にも聞こえる口調。しかしそれが当然のような風格。

 顔を知っている。話をしたこともある。けれど彼女がこの部屋へ直接声を送り込んでくるのは、彼女がの生徒会長となって以来、初めてのことだった。




 五限の授業中。

 バイクの音が近付いてくると思ったら、

「綾様ぁ!! 綾様ぁ!! いませんか!!」

 窓の下から呼ばわる声に、教室中がざわめいた。窓辺のクラスメート達が、どっと立ち上がる。

「きゃあ、沙記さきちゃまよ!!」「広慈宮こうじのみやさぁん!!」「沙記様~~~っ!!」

 この一瞬ばかりは、学院を覆う暗雲を忘れ去ったような嬌声。

 綾が教師の了解を得て窓辺に立ってみると、可哀相に、一年生のエスカドロン・ヴォラン、広慈宮こうじのみや沙記さきは、バイクにまたがって片足を着いたままの恰好で、各教室の窓から降り注がれる興奮した視線と黄色い声にさらされ、引きつった顔をしていた。

 エスカドロン・ヴォラン高等部一年生の一番人気と言われる、背中まである焦げ茶のストレートヘアの、小麦色の肌の少女。小顔からはちょっと意外に思えるほど高い背で、取りようによっては小生意気な目に、ボーイッシュな魅力がある。

 いつもは髪をポニーテールにしているが、今日はヘルメットをかぶる都合上、低く、首根っこの後ろでまとめていた。

「沙記ったら、何事ですの?」

「あっ、綾様!!」

 顔をぱっと跳ね上げた。嬉しそうな目が綾を見る。

「リリー隊長の伝令で来ました!」

 生徒達が騒いで全く授業にならないので、教師が額を抑えて綾に片手を振っている。綾は急いで教室を出て、階段を一段飛ばしに駆け降りた。

「びっくりするじゃない、一体どうし……」

 綾が廊下から顔を出すと、先回りしていた沙記が、単刀直入に言った。

「ソフィー様が、西苑せいえん生徒会と、極秘に連絡を取り合った様子です」

「まあ! 東・西首脳会談をなさるってこと? それはまた……」

 綾は言葉を失った。

 ソフィー・ストリンドベルイ東苑とうえん生徒会長が、西苑生徒会と、連絡を取る。話し合いの場を持つ。

 エスカドロン・ヴォラン緊急召集が連続で五回あっても、この異常さには及ばない。

 源聖女館国際学院には、もう一つの世界が存在する。この綾達のいる東側とは別に、エンプレス・タワーの向こう側に、全く線対称に写したような巨大な敷地があるのだ。同じ規模の幼年部から高等部までの学舎を持ち、各種施設もそっくりそのまま対称に配置して、ほぼ同数の令嬢達が、独自の生徒会、各部活動、特殊委員会、各種行事を営み、学院生活を送っている。

 彼方、北の方角から南へ、半島の半ばへ向かって走っていく二本の平行な鉄道線路。その途中の部分を、東の路線から西の路線まで、この学院の大敷地が埋め尽くす形になっている。そのため、あちら側――西苑の向こう端にも、『聖女館西にし駅』といって西の路線上の駅があり、にし門と同じく、西にし門からもエンプレス・タワーが遠くにかすみ、そこからまっすぐに伸びた中央大通りの正面には、やはり、オペラハウスが立っている。

 源聖女館は、創立当時はこちらがわ、東苑とスプリング・ヒルにあたる部分だけだったのだが、あまりに生徒数が増えたため、あるとき反対側の駅までの土地も全て買い取って、学院を二重化したのだという。

 ただし、そびえるスプリング・ヒルの峰越しに、西苑の住人と東苑の住人がすることは、滅多にない。

 例外は、ただ、リリーやマーガレット、沙記達『能芸特奨生エスカドロン・ヴォラン』。

 東苑の『学生会館』は東苑の中心部に、西苑の『学生会館』は西苑の中心部にそれぞれ立地するが、『能芸特奨学生会』のクラブハウス『聖女会館』は、学院の中心、エンプレス・タワーお膝元のスプリング・ヒルに立地を与えられていた。

 中・高あわせて四〇〇名たらずというのは、東苑、西苑を合わせての数で、その少なさが、唯一東西合同の団体にされた理由だろう。

 エスコート服達も、『聖女会館』の枝分かれしたよくに個室やサロンを持ち、東西両生徒の注目を集めていたが、部活別・分野別に同人数ずつ東・西に振り分けられて活動していたし、あくまでも彼らは〝第二の学院生〟。

 学院生達は、一般生徒であればほぼ絶対、自分の属するそので幼年部から高等部までを過ごし、相手のそのの生徒のことは一人も知らずに卒業していく。

「ひと回りしてきたところ、ソフィー様はじめ生徒会役員は、全員授業を抜けています。昼休みから東苑高等部『学生会館』で会合があったようですし」

「スプリング・ヒルでは? 見かけた?」

「いいえ。まーあそこも広いですから、なんとも言えませんけど」

 エンプレス・タワーとエスカドロン・ヴォランの『聖女会館』のあるスプリング・ヒルは、清らかな湧水スプリングが幾箇所にも見られるのでその名を得たような丘だから、泉の保護のためもあり、みちが入り組んで通されている。見かけなくても、丘に入っている可能性はある。

「そう……」

 綾は少し考え込んだ。

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