第2話 あこがれの〝エスカドロン・ヴォラン〟
「でも、それなら何故私は〝エスカドロン・ヴォラン〟に入れて頂けませんの?」
「……さあ、どうしてだろうねぇ」
綾の父の口許が、少しだけへの字に曲がった。
この質問になるといつも、彼は返事を濁す。その人柄からすると珍しい歯切れの悪さに、正真正銘、何か事情があるらしいと、綾は、悟ってはいた。
綾が入りたい〝エスカドロン・ヴォラン〟とは、源聖女館学院の、もう一つの特殊な制度、『能芸特奨生(のうげいとくしょうせい) 制度』の学生会の自称。
〝遊撃騎兵隊(エスカドロン・ヴォラン)〟は、フランス語だったが、すっかりお馴染みの通称になっていた。
『能芸特奨生(のうげいとくしょうせい) 制度』は、学院の外で活躍しようとする少女達のための制度。学業以外の各方面、いわゆる芸事で、プロ活動をする学院生に、出席日数軽減などの特典を与え、単位取得や卒業がさほど難しくないように優遇する。
実はこちらの制度のほうが、狭間響也達の『課外研究特待生』の制度より、古い歴史を持つ。
当然、認定の基準は、芸ごとで所得を得ていること。このため、『課外研究特待生』とは違って、月例奨学金――一部の人々には〝体のいいお小遣い〟と言われている――は、出ない。
綾は、モデルクラブに所属しているモデルで、和装を含めたフォーマルからカジュアル、トラッド、アバンギャルドまで何でも着こなし、業界の評価も高い。
なろうと思えばすぐにでも『能芸特奨生』の仲間入りができるはずなのに、親が反対しているという理由で資格申請をしていない、珍しい一般生徒だった。
学院の教育方針ともずれるのだが、父母と学院長の間で、話がついているらしい。
――まぁ、響也様に振られた今となっては、〝エスカドロン・ヴォラン〟になっていなくて正解だったけど……
学院の花形同士、『課外研究特待生』と『能芸特奨生(エスカドロン・ヴォラン)』は、交流する機会が多かった。
――あの〝送迎(そうげい)の習(ならい)〟もあるし……
朝の団欒を終えて、ほぼ一時間半後。綾の黒くつやつやに磨かれた御用車は、学院の東門(ひがしもん)へ到着した。
広大な学院内は、果樹に街路樹、芝生に花壇と緑豊かで、四季の彩りも鮮やかだ。その中に、繊細で優美なデザインを持つ、ありとあらゆる贅沢な教育施設が、ゆったりと配置されている。
例えば、門柱から続く塀越しに見えている、淡い桃色のガラス天蓋をかぶった銀の建物は、プール棟。大小の温水プール、ジム、ダンススタジオを内包している。
東門を入り、大通りを行った正面にかすむ、ロココ調の宮殿風建築は、オペラハウス。
綾にとって悲劇の現場となった音楽堂は、もっとずっと奥まっていて、門の付近からは見えない。
門前は、ロータリーを置いて、ショッピングモールに面している。その洒落た商店街は、まっすぐに駅に通じていて、電車通学の少女達が続々と、その駅『聖女館東(ひがし)駅』から流れてきている。
敷地があまりに広いので、門の内側の半月状の広場を起点に、数種の路線バスが走っていて、生徒達は学院内を移動するとき、普通これらを利用した。
ただ、朝と夕だけは、生徒の自家用車が乗り入れて、父兄や使用人が学舎まで送り迎えしてよいことになっているので、綾の運転手も、そのまま車を滑り込ませた。
彼方、朝日の中に、学院のシンボルタワーが立っていた。
広い学院内で、どこにいても目に入る、孤高の塔。
海抜七〇〇メートルほど――学院中央にぽっかりと持ち上がった緑の丘の上に立つ、三〇メートル超の白亜の塔、エンプレス・タワー。
遠く高く眺められる、そのほっそりした塔のフォルムの側面には、天辺(てっぺん)から緩くうねりながら降りてくるようなガラスのラインがついていた。陽光の加減で、時々、純白の塔を黄金の輝きが駆け上っていくように見える。
車がオペラハウスの前を回って、並木道をゆったり二〇分近く走ると、中等部の学舎を過ぎ、その後、小川の流れる果樹園を縫って、高等部の学舎へ着いた。
どの学舎でも、車寄せは、毎朝、ちょっとしたラッシュになる。今日も、赤や紺色やダークグリーンの二階建ての学院内路線バスと、各家の御用車、数十台が、カープールにあふれていた。
それでも滑らかに、綾の車は停められ、運転席から降りて回って来た白い手袋に、リアシートのドアが開かれた。
綾は、鞄を携えて、煉瓦の歩道に降り立った。
「いってらっしゃいませ」
丁寧な礼がされる。綾はにっこり笑って、彼の仕事をねぎらった。
「行って参ります」
長いさらさらの黒髪を翻し、歩き出す。
そのとき、前の自家用車からも、少女と少年が降り立った。
少年が先に降りて車を回り、リアシートのドアを開けて、車の中の少女の鞄を恭しく受け取って抱える。高等部の学舎の昇降口まで、木立の中の小径を、送っていく。
『課外研究特待生』の少年達には、学院生達自慢の象徴的存在であるエスカドロン・ヴォラン達を、登校の際に自宅まで迎えに行って、学校へ送り届けるという伝統があった。
人呼んで、〝送迎の習(ならい)〟。
勿論、親から車と運転手をあてがわれているような、お金のあるお坊ちゃん達の間でだけだ。
一説によると、かなり昔、源聖女館では、由緒正しいご令嬢達が、身分に見合ったご令息達とさりげなく出会えるような会を設けていたことがあった、その時代の名残(なごり)らしい。
『課外研究特待生 制度』が始まったのは、そんな時代よりずっと最近のことだったが、ご令息達の親や祖父・祖母の世代には、往時の印象が強く残っていた。それで、いつの間にか、シフト表にしたがって二週間ずつ違う相手と登下校するという〝送迎の習〟が始まったようだ。
――〝エスコート服〟だわ……
綾は、深々とため息をついた。
『課外研究特待生』が学院に登校するとき着用を義務づけられている、学院支給の男子制服。
各種大会や文化会館での活動のとき、学院のご令嬢達に陰に日向に付き添い従い、まるで選ばれた親衛隊員のように振る舞う彼らの姿から、ついたあだ名が〝エスコート服〟。
それは、羨望と嫉妬のこもった、近隣住民や他校生徒による揶揄(やゆ)だったが、その名はすぐに、一能一芸に秀でていることを証す俗称として、定着した。
近県の男子学生にとっては、一種のステイタスシンボル。
狭間響也が一番よく似合う、と綾がまだ密かに思っている、人目を引く、クールなデザイン。
だけど――というより、だから、最近、見たくない制服。
「……はぁっ」
またもため息をついた綾に、
――バタン、ダン!
「アヤ!!」
後ろで激しくドアの開閉する音が聞こえたと思ったら、ハスキーボイスが飛んできた。
「リリー?!」
驚いて、振り向く。
褐色の肌にサングラス、バンダナから溢れるソバージュの茶髪を腰まで波打たせた、抜群にスタイルのいい美女が、ショートブーツでカッカッカッと綾を追ってきた。
源聖女館生徒の上品で愛らしい制服でなく、ビスチェと皮のタイトスカートに黒ストッキングという出で立ち。
「おはようさん!」
意外にやわらかな抑揚で喋る。
リリー・ラドラムは、サングラスを取ると鳶色(とびいろ)の双眸が覗く、ラテン系の血をひく東海岸北部出身のアメリカ人だが、日本語は、他の外国籍の学院生達同様、流暢だ。
日本から渡米したきり何十年という老貴婦人たち、複数に習ってきたという。
「珍しい。今日は登校なさったの? しかも定刻じゃない」
綾が先ほど声を聞いて驚いたのは、リリーがふだんあまり登校しないためだった。
リリーは歴(れっき)とした芸能人――絶大な人気のロックシンガーで、仕事に忙殺されている。
「ちょっと学校のことで気になるニュースが入りましてな。今朝、急に登校することに決めましたん。これから着替えどす」
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