聖女館の方程式/わたしをふった彼が編入してくる共学化なんて断固阻止します

春倉らん

第一章 東の苑から

第1話 綾さまの初恋



「悪いが、それはできない」

 端正で怜悧な顔だちに似合う、はっきりとした物言いだった。

 告白した瞬間、ほぼカウンターで返ってきた返事。綾の喉は、ひくっと引きつった。

 背の高い少年と綾は、二人きりで立っていた。

 薄暮の迫る東苑(とうえん)音楽堂――学院内のホール――のロビー。

 雨のそぼ降る馬蹄型の車寄せを、内側から眺めつつ、迎えを待っているところだった。

――そんな、まさか……!!

 ガラス越しに、視界の彼方まで続く、広大な敷地に、激震が走った気がした。

「あのっ、理由は……!! 理由を、お聞かせ頂けませんでしょうか!!」

 腰まで届くストレートヘアの先が、薄い肩の振れるのに従い、踊る。濡れたような漆黒の瞳は、必死に彼の視線を捕えようとしていた。

 少年は――綾が、ここ半年想いを暖め続けた、遠い男子校の三年生は――、その長めのさらさらとした前髪の下の眼鏡に、そっと、手をやった。

 角度を微妙に直すふりで、さりげなく表情を隠し、

「他に付き合ってるヤツがいるもんでね」

 声は、あいかわらず、冷徹なほどに落ち着いていた。

――がああん。

 初恋はおおよそにして実らない、というのは真実(ほんとう)らしい。



「響也(きょうや)様っ!! ――はッ?」

 ガバッ。

 自分のうめき声に、綾は布団から飛び起きた。

 寝室の真ん中に延べられた高級羽根布団。

 二十畳敷きの広々とした和室で、縁側の障子ごしに、やわらかい日差しが満ちている。

――ああ、なんだ、夢かぁ……

 綾が想い迷った末に告白し、あっさり振られたのは、梅雨の時期。一ヶ月ほど前だった。

 だが、まだ立ち直っていないらしく、夢に見る。

 げんなりしながら枕元の置き時計を見ると、ちょうど、起き出して身支度を始める頃合いだった。

――学校、行きたくないなー……

 ため息をつく。

 何故ならば、学校に行けば、響也と会ってしまう可能性が高い。

 綾の通うエスカレーター式の女子校は、世界各国から、政財界の大物や芸能人、貴族・名流の親達がこぞって娘を通わせるという、桁はずれのお嬢様学校。広大な敷地面積、莫大な生徒数、豪華で充実した数々の施設を誇り、それだけでも十分有名だったが、ある制度によってもまた、特に知られていた。

 『課外研究かがいけんきゅう特待生とくたいせい制度』。

 近隣の中学・高校から、成績優秀、もしくは一芸に秀でた男子生徒を募って、月額奨励金を支給し、課外活動時――放課後と休日のみ、『研究生』として、取り扱う。

 名門女子校といえば、通常、男子禁制だが、この制度のおかげで、《みなもと聖女館国際学院》には、他校の男子中学生・高校生が、大勢、出入りしていた。

 響也もその一人で、バイオリンの才能でその『課外研究特待生』の資格を得ていた。

 自分の高校で部活に所属していないこともあって、ほぼ毎日、放課後になると、学院へ登校する。

 学院は彼に、源聖女館楽団嘱託の世界的指揮者から個人レッスンを受けられるという特権を用意していた。

 国内外でその才能を高く評価されているバイオリン奏者・狭間はざま響也きょうやの才能は、学院の宝。綾が彼の登校を阻むことはできない。

 また、響也は、近隣といいつつ、広く一都八県から募られている課外研究特待生・一四〇〇名を束ねる、『課外研究特待学生会 会長』でもあった。

 ため息をついて、布団を抜け出す。

――我ながら、ブスじゃあないと思ってたんだけどな――

 寝るときに結った三つ編みを手ぐしでときほどきつつ、羽根布団からとてとてと移動して、からりと障子をあけ放つ。

 ブスどころか、白襦袢(じゅばん)に素直な黒髪の流れるその姿は、客観的に見れば名工の手になる日本人形のような美しさだった。

 生徒数の多さに比しても美少女揃い、といわれる学院の中でも、かなり目立つ。

 凛とした唇とすっと伸びた背筋で、品性の点でも家柄を取っても抜きん出ての姫君と謳われていた。

 その綾を袖にした、狭間響也のカノジョといったら、どれほど可愛い女の子だろうか……。

――ううん、そもそも響也様は、顔で女の子を判断するような方じゃないはずだわっ。

 綾は誰にともなく拳をにぎり、それからしかし、再びはぁっとため息をついた。

 障子を開けはなった濡れ縁の向こうに広がる日本式の庭園は、かなり広い。見上げると、ひらけた空。

 今日もいい天気になりそうだった。

 いい天気にまたうんざりして、もうひとつ、ため息をつく。

 が、すぐ、しゃきっと背筋を伸ばした。

 戻って丹前を羽織り、逆の廊下から出て、数十メートル離れた洋館へ行き、二階の私室と書斎、バスルームを行き来して身支度を整え、食堂に降りる。

 とにかく、だだっぴろい邸宅。

「だけど響也様ったら、彼女のいそうなそぶりなんて全っ然見せてなかったくせにぃ~~~い!」

――それでも、理由が聞けたからまだいい方だったのかしら……。

 思った瞬間、綾の胸に、いい知れぬ細い痛みが走った。

――エマねえ様――。

 かすかに手首に残る、一年以上前の傷。



 見上げるような両開きの扉をくぐると、両親はもう食卓についていた。

「おやおや、浮かない顔だねぇ、うちのお姫様は」

 真っ白な本物のリネンのかかった長い長いダイニングテーブルの彼方から、背の高い椅子に座った父親が、芝居がかった口調で言って、笑う。

 早朝だというのに、既にワイシャツにネクタイ姿。

 母親も既に訪問着で、紅茶だけを飲んでいて、おはようございます、綾さん、と無邪気な笑みで一礼した。

 並んだ窓から見渡せる前庭は、また妙にだだっ広く、門扉(もんぴ)が遠い、イギリス式庭園。

 まだ早朝なので、芝生の鮮やかな色みには、薄もやのベールがかかっている。

「浮かない顔って、そんなことないわ。お父様、お母様、今日はお天気よくなりそうね。私、学校をさぼって一緒にピクニックに行ってさしあげてもいいわよ?」

「私達のために?」

「そうよ」

 にっこり、と綾は笑う。

 テーブルを回ってくる執事。掛けるのに合わせてトールチェアが出し引きされ、綾は椅子に収まった。

 コーヒーが注がれ、ミルクのジャグを差しあげて見せる執事に、手振りでいらないと教えると、銀色のワゴンから、まだ湯気を立てているコンチネンタルブレックファスト一式が、優雅にサーブされ始める。

「ありがたいお申し出だけれど、特に希望しないなぁ、パパは」

 コーヒーを口に運びながら、見事な白髪頭と日によく焼けた肌の父は、頑丈そうな白い歯を見せてニッと笑った。

「綾、一体どんなことがあったのかは知らないがね。いつも言っているように『私達はロバを河に引っ張っていくことはできるが、水を飲むか否かはロバが決めることだ』よ」

「あら、朝から愛娘(まなむすめ)を捕まえてロバ呼ばわりはよかったですわね」

 綾はちょっと笑って、娘のことを何でも見通しているような顔の父親を見た。

 彼はこの表現をよく使う。親は子に出来る限りのものを用意してやるが、それをうまく利用するもしないも、子の判断であり、将来への自覚次第だ。そういう意味である。

 学校に行きたくないという軽い綾の戯れは、打ち切りになった。

「でも、それなら何故私は〝エスカドロン・ヴォラン〟に入れて頂けませんの?」



――

この物語はフィクションであり、実在の団体・個人・事件とは一切関係ありません

また、この物語は自殺・自傷を推奨するものではありません

――

お読みいただきありがとうございます

これからも面白い物語にしていきます。ぜひブックマーク・応援・レビューをお願いします。作者のモチベーションに直結します



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