#31 両性具有

「もう一人のふたなり――噂なら聞いたことがあるんスよね」


 不意にムツキが呟く。


「何でも、元は『去勢を免れた女装男子がいる』って報告だったんスけど、よくよく調べたらふたなりだったって話で」


「去勢って、生まれてすぐにするものじゃないの?」


「基本はね。正確には去勢した状態で配布される、か」


 人類の先鋭化を望む世論では、子供を望むカップルのもとに子供が配布される――というシステムが採用されている。


 何てことはない、昔より続く養護施設のシステムを流用したものだ。


 基本的に乳幼児の時点でカップルの下に配布されることが多く、配布の時点で男子幼児には去勢が施されているはずだ。


「どうやって去勢の網をかいくぐったのか、それは分からない。多分ふたなりの成長過程に原因があるんでしょうけど……と、まあ、それはさておき。そういう奇跡的な確率で生き延びたのが、件のふたなり――一人目の両性具有だ」


 日本で報告されている両性具有は二人――と言われている。片方がシロであるならば、もう片方が件の『女装男子』であろう。


「でもでも、研究所って世界各国にあるでしょ? ここにいるか、そもそもまだ生きているかなんて分からないんじゃ……」


「そこで例の手紙ッスよ」


 例の手紙、つまり『あん』より出された過去の手紙。精液の他に女性器と思しき陰部にまで言及されていた、拙い手紙。


 両性具有は稀少だ。女性と男性、二つの性を一つの身体に併せ持つ異常体質。それがホイホイと生まれるはずがないし、あってよいはずがない。


 もちろんそれは人道的な観点からの評価であり、生産性の点においてはこれ以上の効率化はない。たった一つの食い扶持で男と女の両方の性を全うできるなんて。なんておぞましく、理想的だろうか。


「どれにせよ、シロちゃん以外にふたなりがいることは確定なんス。シロちゃんの捜索ついでに会いに行っても損はない」


「そ、それはそうだけど……ムツキちゃん、ふた――両性具有の子がいる場所、知ってるの?」


「何のために暗号を解読したと思ってるんスか」


 そう言ってムツキはひらりと紙をはためかせる。ユイの部屋で見せた紙だ。どうやら先日発見した暗号を写し取ったもののようだ。いつの間に解読したのか。


 ベランダを見下ろして、それから目をすがめて、呟く。その声色には失望の色が写っていた。


「何てことはない、ヒントは全て『見つけた場所』にあったんス」



   ◆◇◆



 ふわりと漂う甘い香り。微かに覚える空腹感。喉の奥を掻く不快感に後押しされるように、シロは目蓋を持ち上げた。


 薄暗い室内。身体を包み込むベッドにクッション、柔らかくも温かい掛け布団は白く、今にも境目が溶けてしまいそうだ。微睡みの中で感じる気怠さに眉をしかめつつ、再度布団に顔を埋めようとした――その時であった。


 背中が揺れた。


 くふくふと、聞こえてくるのは小さな笑い声であった。思考が停止する。肩越しにそうっと振り返ると、そこには見たことのない人物が横たわっていた。


 赤い髪を真っ白なシーツに散らす、一人の女性。それがシロと同じ布団に入り、頬杖を突いている。


「ふ、わあっ⁉」


 驚きのあまりころりと身体を転がす。


 ベッドには十分なスペースがあるようで、床に落ちることは免れた。ぱくぱくと口を開け閉めしていれば、その女性もまたゆったりと身体を起こした。


 長い髪が、剥き出しの肌を滑る。


 豊かな乳房、腰回りは健康的に肉がつく。


 かあっとシロの頭が熱くなる。


 白と赤の対比があまりにも生々しい。室内を満たす芳香は、この毒花から漂うかのごときであった。見てはいけないものを見ているようで、自分の目を覆いながらシロはずり下がった。


「あは、ごめんな。驚いた?」


「だっ、誰……?」


 頭に指が触れた瞬間、ずくりと頭が痛む。指先に髪とは異なる感覚――布と比べると目の粗い触覚。


「ああ、まだ痛む? せやろなぁ、なんせ二階から落ちたねんから」


「落ち、た……?」


 思い出してきた。悲鳴を聞いた夜、木の上に取り残されたネコを助けるべく、シロは欄干から身を乗り出したのだ。そしてそのままバランスを崩して――。


 頭を覆う布――ガーゼは、どうやらその処置を施した名残であるようだ。


「ネコは、あの、木の上にいたネコは!?」


「あの子ならちゃぁんと回収したよ。ほら、そこにおるやろ?」


 女性が指差すのは、今にも消えそうな暖炉の傍だった。


 足が半円状に歪んだ椅子――ロッキングチェアーというらしい――の上に、黒い毛玉がある。ゆらゆらと尾を揺らしながらくつろぐ黒ネコ。木の上で見た、あのネコだった。


「こいつ、昨晩脱走しよってな、それで探しに出てたん。そうしたらたまたま『庭』に倒れていたシロちゃんを見つけて。焦ったでぇ、流石に。セックスより自殺を先に覚えたんかと思ったわ」


「ネコちゃん、怪我は……?」


「ないよ、ピンピンしとる。ついさっきも元気にエサをねだってきてなぁ、ようやく眠りについたとこやねん。シロちゃんとは逆やんな?」


 からからと笑うアン。その表情は明るく、以前より親交のある気さくな友のように思えてくる。


 警戒と緊張はなくなっていた。強張っていた肩から力を抜いてほっと息をつく。


 その時、不意に甘い香りが強くなった。はっとしてその方を見れば、今にも唇が触れてしまいそうなほど近くに女性の顔がある。


「見れば見るほどかわいい子やねぇ。やっぱ囲うんは勿体ないわぁ」


 するりと白い手が頬を撫でる。滑らかでありながら、少しだけ冷たい手。


 親指の腹が唇の端を撫でた。


「ふふ。よだれ、垂れとるで」


「あ……ありがと、ございます……?」


「お、ちゃんとお礼言えるんやね。偉いわぁ」


 女性の目が柔和に細まる。女性の指はシロの唇を割り、形のよい前歯を撫でる。その瞬間、全身のありとあらゆるアラートが作動した。


 びょんと飛び跳ねるように距離を取ったシロは、さっと自らの口を覆って、瞠目した。普段ならば触れるはずの袖がなかったのである。


 ひやりと背を冷気が這う。恐る恐る視線を落としてみると、そこには一糸まとわぬ肢体があった。二度目のアラート発動である。


「は、え、えっ!?」


「あは、驚きすぎやって」


 布団を掴んで身体を隠すシロの一方、女性はカラカラと笑って、


「同じふたなりなんやし、そんな気張らんといて。気楽にいこ」


「ふたなり?」


「両性具有」


 ふと女性の股座に視線を落とせば、そこには自分と同じものがあった。シロのそれと比べると何倍も立派であるが、確かに彼女は、女性の身体を持ちながら男性器を生やしていた。


 他人のそれは初めて見た。自分のものとは比べものにならないほどたくましく黒っぽい。


 目をぱちくりとさせていると、女性はわざとらしく「いや~ん、エッチ」と股間を隠した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る