#30 ハイブリット

「まあ、ここでウジウジ考えていても推測に推測を重ねるようなもんッスからね。生産性なさすぎて干からびるのがオチ。――仮にユイ氏。もしアンタがシロちゃんを誘拐しようとしたら、どうやってする?」


「え?」


 ぽかんと、ユイは隣のムツキを見遣る。


 今にもたばこを蒸かしそうな横顔は、どことなく憂いを含ませながら欄干らんかんに頬杖をついていた。それから視線を外して、ユイは目を伏せる。


「……無理、だと思う」


「へえ?」


「私は走ることしかできない。ムツキさんみたいに頭がよく回るわけでも、コトニさんみたいに愛想がいいわけではない。だから無理……だと思うわ」


「じゃあどういう状況だったらできる?」


「どういう状況って?」


「たとえば今の小生たちみたいにつがいって立場だったり、トモミさんみたいに研究員だったり」


「それなら番一択よ。研究員は、人の目が多すぎる」


 面白がるように、ムツキの目が細められる。


 ユイはこの目が嫌いだった。人を値踏みするような、あざけるような。手の平に溜めた水の中で、泳ぎもがく小さな虫を見下ろすかのごとき、その目が。


「番になって、信用を勝ち取る。それで――」


「それで?」


「……何のために誘拐するの?」


 ずるりとムツキの肘が滑る。


 素なのかそれとも大仰な仕草なのか、欄干とあごがぶつかりそうになってひやりとしたが、彼女はといえば前髪をくしゃりと掴んだ。


「そうなんだよなぁ、目的、目的なぁ。向こうから何かアクションでもあれば分かりやすいんだが……」


 そう、一番の疑問点はそこである。何のためにシロを誘拐したか。


 シロは両性具有だ。その稀少性に加え、卵子を孕ませることができる種を持つ。逆に言えば、それだけだ。それ以外に彼女に価値はない。誰かの弱みになることも、まだないだろう。


 そうなると犯人の目的は、必然的に金か精子かのいずれかに絞られる。金にはなるが自ら望んで子供を作るメリットは薄いから、金目的である可能性が八割か。ぶつぶつとムツキは呟く。


 縹ユイと二人静ムツキの付き合いは長くない。研究所より出頭の紙面が届き、それに応じた時に初めて出会ったのだ。


 総勢数万の準候補者から選び抜かれた、三人の嫁。しかし三人の中で誰よりも、一対一で対話を行ってきた。彼女の野望すらも、きっとユイだけが知っている。


「随分と、必死なのね」


「……そりゃあね」


 ムツキはそれ以上を語らなかった。


「ねえ、何の話してるの? 難しい話?」


 のすりと背中に柔らかいものが圧し掛かる。


 コトニはだらりとユイの背に身体を預けている。その視線はユイでもムツキでもなく、欄干の下――芝生の這う庭にあった。二階の高さに位置するベランダから落下しようものなら、無傷では済まないだろう。


「……まあ、庭に一度降りた線が濃厚か。外に出るにしろ所内に潜伏するにしろ、室内を歩き回るのはリスクが高すぎる」


 シロは多くの時間を、ユイを始めとした嫁たちと過ごしていたし、そうでない時間は鴨ノ羽ムツキが傍についている。部外者が接触できる隙は無に等しい。そうなると、何者かによる入れ知恵は度外視される。


 ではこれからどう動くのか。ぶつぶつと呟くムツキ。その横顔を眺めながら、ユイは溜息を吐く。


 自棄にになってシロの行方を追う少女。その目は爛々と、さながら獲物を横取りされた獣のごとく輝いている。


「ねーえー、無視しないでよ。何の話ってば」


「もろもろの話ッスよ。……はー、犯人がふたなりだったら話が早いのに」


 それは希望観測も甚だしい仮説であった。この研究所に存在する両性具有はたった一人――『シロ』と呼ばれる少女だけだ。少なくとも、そう公表されている。


 そもそも両性具有は稀少だ。普通の人間は男性と女性に分かれており、両性が一つの肉体に宿るのは異質である。そう簡単に、それこそ隣人感覚に存在してよいものではない。


 しかし、ふとコトニが挙げた声に瞠目することになる。


「いるじゃん」


「え?」


「あの手紙の人」


 書物庫で見つけた三通の手紙。『あん』――そう名乗る子供が記した、小さな小さな悲鳴。その一文を思い出す。


 ――いつも私の体をいじくって、精液を採取して出ていく。怖い。知らない人にちんこをいじられて、おっぱいもおまたも、きもちわるい。赤ちゃんなんて作りたくない。


 立ち並ぶのは、男性器と女性器の存在を示唆する言葉。『あん』と名乗る子供は両性具有である可能性が高い。


 探し求める少女と全く同じ境遇の子供。もしも邂逅かいこうしようものなら、この場にいる誰よりも惹かれ合うはずだ。


「異常と異常のハイブリット、ね」


 そうなれば、両性具有が誕生する確率がぐんと上がる。少なくとも突然変異を待つよりは。


 デザイナーベイビーもクローンも、国際法において固く禁じられている現世において、それが最も『効率化された人間』の作り方だった。


「シロ氏の貞操が危ない」


 唱えるムツキの顔は、揶揄の一刺しすら許さないほどまっすぐだ。まっすぐではあるが、ユイは何となく目が据わるという感覚を覚えた。


 確かにそうなのだが、むしろ性的なあれそれの手解きを受けてもらった方が、今後やりやすいのではないか。そんな予感がしてならない。


 それを言い始めると、やけに張り切っているコトニも剣呑としたムツキも敵に回すことになる。口喧しい二人を同時に相手取るのは骨が折れる――それを身をもって知るユイは、ただ深い溜息を吐くに留めた。


 私たちも大して変わらないのに。

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