31.ちぎれて、結ぶ
当たり前だけれど、千石とはあれっきりだ。今日の今日まで夢にさえも出てきてくれないことを考えると、夢だ夢だと思っていたあれは夢ではなかった気もする。
世界を超えてきたのだ。夢にぐらい登場できそうだよね。と、そう思えば思うほど、夢に出てきてくれない今を悲しんでしまう自分にほとほと呆れたりもした。
予定通り、年が明けてから壊れたマグカップの金継ぎ教室にも参加した。当初は一日で完成するコースに参加しようと思っていたのだが、結局全ての工程で本漆を使用する本格的なコースに参加した。全部で5回も通った。その甲斐あってか出来上がりは大変素晴らしく、納得いくものが出来たと思う。
元通りとはもちろんいかなかったが、割れたマグカップが再び形を取り戻したことは、暗く沈み込んだ私の心を持ち上げてくれた。離れていても繋がってるよね、二度と会えなくても、確かに愛は存在してたよね。
タンスの上に大事に置かれたマグカップを見つめて考えることは、いつだって一つだ。千石は幸せに暮らしているのかな。幸せだったらいいな、とも思うし、思う存分私のことを引きずってたら最高だな、とも思う。そもそも生まれ変わった千石に私の記憶があるかどうかが分からないんだけれど。私だけ覚えてるのはかなり癪なので、千石にも覚えていてほしい、絶対。
そこに関しては漫画を読めばある程度は推測できるかもしれないが、やっぱり勇気がなくて読んではいない。でもさすが人気漫画。閉ざしていてもある程度の情報は耳に入ってきてしまうのだ。ネットでちらりと見たサイト情報だと、どうやら今日最終回を迎えるらしかった。
朝からそんなことに想いを馳せていたせいか、危うく電車一本乗り遅れてしまいそうになる。なんとか間に合っていつもの時間に会社に到着すれば、後ろから「おっすー」と緩い声がかかった。
「おっすー!米屋、眠そう!」
「ねみぃ。まじでねみぃ」
「彼女と映画観てたの?」
「おー、当たり!」
半年ほど前にできた彼女と順調そうな米屋を見て少し切なくなったのは内緒だ。
千石がいなくなってから季節はぐるりと一周していた。サエちゃんはターくんと結婚したし、楓ちゃんは彼氏と同棲するからと引っ越して行った。みんなが進んでいる中で私だけが立ち止まっている。先ほど感じた切なさはなにも米屋のことが惜しくなったのではない。勝手に取り残された気になって、それがただただ悲しくて寂しいのだ。
だけど毎日こんなふうに悲しんでいるわけではない。今日が特別悲しいのは、今日が千石の誕生日。すなわち千石が居なくなった日だからだ。あれから一年。私は相変わらず、どうしようもなく、千石のことを好きでいる。
今日は年末も年末。一人でいたくないと、飲みに誘えば「この前忘年会したよね?!次は新年会ね!」と断る薄情な友達ばかりだ。ふーん、いいもん、31歳は一人で飲みにだっていけるもん!と不貞腐れて、帰る頃にはそこそこに酔った。なんだか楽しくなってきて、スキップはしないまでも鼻歌なんて歌っちゃう程度にはご機嫌だ。
ふんふーん、と歌いながら、頬に当たる冷たい風に酔いを徐々に奪われて頭がクリアになっていく。これ以上は近所迷惑か、と鼻歌をストップした私の目に飛び込んできたのは、大きな塊。「ひっ、」と悲鳴を思わず出しながら既視感を覚えた。あ、れ、これって……もしかして千石!?とその塊に駆け寄れば、「ゴミかよ!」と大きな声を出してしまう。
そうだそうだ、明日はゴミの日だ。もー、夜に出すのはだめなのに!本当紛らわしい!と、いったい何に腹を立てているのか。ぷりぷりと怒りをそのままにボタンを連打して呼びつけたエレベーターに乗り込んだ。
もう随分と遅い時間だ。エレベーターから降りて音を立てないように慎重に廊下を歩く。いつもより時間をかけて着いた我が家の玄関前。そこにまた大きな塊。こんなとこに誰がゴミを置いてんのよ!?と瞬間的に腹を立ててそれに近づけば、僅かに塊が動いた。
「……やっと帰ってきましたね。……って、また酔ってんですか?」
「…………」
「まさか米屋さんと一緒だった?……付き合ってるの?」
「…………」
ねぇ、なんとか言ってくださいよ。と、言って、のっそりと立ち上がったその塊。その塊は腰を折って私の顔を覗き込んだ。変わらない紫色の瞳がうかがうように揺れている。
「キスしちゃいますよー?」
「……家の中でして」
私の言葉にそいつは「あははっ」とお手上げだとばかりに笑った。全然笑うとこじゃないんだけど?!説明してよ!?なんで、なんで、なんで。
「なんで、千石がここにいるの……」
「ただいま。……迷惑でしたか?」
年末だしね。夜も遅いしね。アポイントなしの来訪だしね。だけどだけど、そんなのどうだっていい。迷惑なわけない。
私は首が取れそうなほど何度も何度も横に振れば、「頭痛くなるから」と千石の手のひらに両側から頭を押さえ込まれた。
「おかえり、千石」
「寒いから、部屋入れてもらっていいですか?」
「…………」
うん。こいつは間違いなく千石慧だわ。ま、こんな目が覚めるほどの顔面が何人もいたら困るけど。
私は無言で鍵を開け、部屋に入るようにと顎で示した。千石は苦笑いだが、あんな感動的な再会をぶち壊したんだから文句は言えないと思う。あそこはキスの一つや二つしてほしかったな!
ふーん、と拗ねた私を前に、依然苦笑いを崩さない千石は「機嫌直して」と私の髪を柔らかく撫でた。せっかくまた会えたのだ。私だってこんなことで険悪な雰囲気にしたくない。また会えたんだから。
「えっ?!千石なんでここにいんの?!」
「……うるさいです」
そんなのなんだっていいから!、と返した私に「気がついたらこの世界に帰ってきてました」とさらりと告げた千石は、勝手知ったるなんとやら。靴を脱いで、そのまま洗面所で手を洗い始めた。
「え、え、え?!これ夢?!私酔っ払って夢見てんのかな?!」
「いや、もうほんとうるさい」
一人騒ぐ私を無視して、千石は我が物顔で部屋に繋がる扉を開ける。そして目に入ってきたのだろう金継ぎを施されたマグカップを徐に手に取り、「直ったんですね」と感慨深げに呟いた。
「うん。5回も通った!すごく素敵でしょ?」
ふふんと得意げに鼻を鳴らした私に千石は「ええ」と向き直り、「突然消えてしまってすみませんでした」と頭を下げた。
千石が謝ることではないのだ。だって不可抗力。消えたい、帰りたいと願ったわけではないのだろうし。だけどその言葉で私の悲しみやつらさは包み込まれた。
あの日の絶望や苦しみは消えることはないだろう。だけど千石が今ここにいる。その事実がそれを丁寧に優しく包み、癒してゆく。
「もう、消えない?」
千石の意思とは全く関係のないところで起こる事象を約束させるこの問いかけは、かなり酷だろうか。それでも千石はしっかりと「はい、もういなくなったりしません」と頷いた。
「なんで分かるの!!?また消えちゃうかもじゃん!信じらんない!」
期待通りの返事をくれた千石に当たり散らして、私はいったいなんと言ってほしかったのか。例えば「分かりません。また急にいなくなるかも」と言われても腹を立てていただろう。
しかし理不尽に責められても、千石は少しも苛立ってはいないようで、昂った感情が涙となって溢れ出てきた私の背中をさすりながら「"リング"読んでないでしょ?」と肩をすくめた。
「えっ?!リング?読んでないよ!」
「僕ね、生まれ変わったんですよ」
千石の首が傾く。何を今更、というようなことを言われ、私の涙腺は新しい涙を流すことをやめた。
「知ってる」
「なーんだ、じゃあ話は早い」
楽しそうに目を細めた千石が「この世界にね、生まれ変わったみたいですよ」と私の頬を大きな手のひらで包んだ。
まるで他人事のように、事もなげに重要な事実を言ってのけた千石。驚きに目を開いた私の顔を見て愉快そうに笑う千石は、本当に意地が悪い。
「……え?な、んで?」
そんな都合の良いことあっていいのだろうか。つい先ほど止まったはずの涙が再び流れ出し、千石の指先を濡らす。どうして、と問いかけた私に、「さぁ?神様からのプレゼントですかね」とおとぎ話のようなことを返した千石がとても幸せそうだから。もうそれでいいか、と私も微笑み返した。
頬に当たる指輪の感触にふと疑問がわき、千石の手の甲に私の手のひらを重ねた。「ん?どうしました?」と目尻を下げた千石の声はあの日から何度も思い返していたものより、ずっとずっと甘い。
「指輪、……光らないね」
そのまま指輪を触っても、紫の光は放たれず、何の変化もないことにホッと胸を撫で下ろした。それはまるで千石がこの世界の住人になったことの証である気がしたのだ。
「親友を裏切り、たくさんの人の命を奪い、壊した僕がここで幸せになってもいいのでしょうか?」
あまりにも重い。私が千石の感情を想像したとして、どれほどの正しさで理解してあげられるのだろう。ほんの僅かでもそうできると思い上がることさえ憚られる。
「いいよ。私と幸せになろう?」
それでも。それでも。私は、私だけは、千石の幸せを心の底から願っていたい。
指輪のように継ぎ目のない綺麗な丸が理想だろうか。
ううん、そうじゃなくていい。離れていきそうな糸を必死に結んで、なのにほどけて、ちぎれて、それでもこうやってまた結べた。
継ぎはぎだらけ、結び目だらけの私たち。だけどそばにいられるなら、歪だってみっともなくたって、なんだっていい。
「あ、そうだ、千石」
「ん?」
「お誕生日おめでとう」
固く結んだ手に愛が流れた。
結んで、ほどけて、ちぎれて、結ぶ 未唯子 @mi___ko
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