26.「この苦しみを覚えていてね」
誕生日にどこか旅行にでも行こうか、と決めたあの日。千石は申し訳なさげに「プレゼントは渡せません」と告げた。
そりゃ全く期待していなかったと言えば嘘になるが、旅行代金を出してくれると言うのだから、それがプレゼントでしょ?と思う。そしてそのままを口にすれば、千石は「形に残るものを渡したくないんです」と悲しげに瞳を揺らした。
酷い男だと思う。私はどんな些細なものでもいいから手元に残しておきたいのに。千石は「僕がいなくなれば、僕のことは全て忘れて」と、そう言いたいのだろう。そうしてほしいなら、私の角膜と、脳みそ、あと千石が触れた身体、全部を新しいものに取り替えて。そしたらきっと千石のこと忘れて生きていける。だけどそれってもう私じゃないじゃんね?
「いつか薄れてゆくだろう思い出を贈らせてください」
そうだね。人間の脳はよくできているといわれているから、千石のこともいつか風化できたらいいね。だけど何度も反芻しちゃって、千石は私の脳にこびりつくだろう。ねぇ、千石、諦めて?私は千石を忘れないよ。
「さとるっ、あっ、ん、、」
「はぁっ、大丈夫ですか?痛かった?」
千石は私の体を丁寧にほぐしてくれた。そのおかげで何度も絶頂に達し、お尻まで愛液を滴らせている。だのに、いざ千石の挿入を許せば、その質量に痛みが走った。
千石のそれの太さのせいもあるだろうが、長年彼氏がおらずこういった行為から遠ざかっていた私の体にも大いに原因があると思う。
痛かった?と聞いてきた千石はそれ以上奥に進めることを止め、はぁはぁと苦しげな息遣いで己を律している。眉間に寄った皺がよほど辛そうだ。
「だいじょぶ。さとる、奥まで挿れて?」
「あぁ、ゆっくり挿れるから」
本音としては恐らく今すぐ奥まで突っ込んで、腰をガンガン突きたいのだろう。だけど千石は私の体を気遣い、膣内を徐々にほぐすように小刻みに浅く腰を動かした。
「っ、っおい、やめろよ」
千石の口調が乱れたのは、そんな千石の気遣いを無下にするかのごとく、私が自ら腰を動かし千石のものを一気に受け入れたからだ。
千石のものがぎちぎちと私の膣壁を押し上げる。そして一番奥に挿入を許した瞬間、私は呆気なく果てた。声も上げられないほどの快感に目の前がちかちかする。千石の腕を掴んでいた指先にも、投げ出していた爪先にもぎゅっと力が入った。
「っ、」
「うあ、あー、やば、ごめん、腰止められないです」
「あっ、あぁ、ん、さとる、あっ、イッたのさっき、」
「知ってる、だからごめんって、」
千石は快楽に溺れて力の限り腰を打ち付けながらも、「痛くないですか?」と私を気遣う言葉をかけた。気持ちいい。もう痛さは感じなくて、ただただ気持ちいいだけだ。それに、「痛くしてほし、の」と、これが私の本音だ。
私のその言葉を聞いた千石は、理解できないとさらに眉を寄せた。だけど今は喋っている余裕がない。それは私も同じだ。千石に揺さぶられながら短い嬌声を口から垂れ流し、千石の絶頂を待つことなく、また絶頂を迎える。
体が快感に素直になりすぎている。千石が与えてくれる全てを余すことなくこの身にほしくて、両手を広げて迎え入れているのだ。
「ふっ、くっ、いきそう……っ、いく、」
「んっ、さとる、ぜんぶだして、わたしに」
さとるの全部をちょうだい。
乱れた息を整えるように深い呼吸をしながら、汗だくの千石が私に倒れ込んだ。汗をかいた肌はじっとりと冷たい。
「ごめんなさい。僕のしたいようにしちゃいました。辛くなかったですか?」
千石はそんなふうに気遣ってくれたけれど、本気でそう思っているのかは甚だ疑問だ。だって、声がすごく愉しそう。
奥を優しく突かれ、手前を何度も刺激されたせいで下腹部が重い。この痛みは翌日にまで続いて、今日を思い出しては幸せを感じる痛みだ。
「大丈夫だよ、気持ちよかった……。千石は大丈夫だった?」
「僕?大丈夫ではないですね。本当はもっと余裕たっぷりにしたかったですよ」
あなたを気遣う余裕なんて少しもなかった、と私の頬に唇を寄せた千石が呟いた。あ、また……。千石の掠れた声に反応するようにキュンと子宮が疼く。私の体、どうなってしまうんだろうという僅かな不安と、千石に作り変えられていく悦びとがない混ぜになった。
「そういえば、痛くしてほしいってなんだったんですか?」
事後処理をするためにティッシュの箱を引き寄せた千石が、私の体を拭こうとしながら疑問を口にした。お腹や胸元を拭いてくれるのは素直にありがたいのだ。だけど、千石に弄られ舐められ、挿入されてしとどに濡れ汚れたそこを拭くことだけはなんとしても阻止したい。
「あっ、千石っ!待って、そこは私が拭くからっ、」
そう言ったのに、千石はその長い指をつぷりと私の中に埋め込み「僕が拭きますよ」と爽やかな笑顔を浮かべた。違う、言ってることとやってることが全然違う!それ拭いてないし拭く気もないよね!?なんならまた新たに汚れさせようとしてるよね?
文句の一つや二つや三つ言ってやろうと思っているのに、私の口から出るのは形ばかりの拒絶の言葉だ。
「やぁ、せんごく、も、むりだから」
「うん、疲れましたよね。知ってますよ。で?瑠璃子さんは酷くされたいの?」
その言葉に「ちがう」と首を横に振る。先ほどまで散々絶頂に導かれた私の体は、それでも満足していないのか。本格的に私に快感を教え込もうと、2本に増やされた千石の指をきゅうきゅうと締め付け始めた。
「ははっ、これは指ですよ。そんな締め付けても精液は出てきませんよ」
「んっ、さとるっ、やだやだ、もっイキたくない」
「ね、イクのって苦しいですよね。瑠璃子さん、この苦しみを覚えていてね」
いつかあなたが他の誰かと身体を合わせるそのときに、この苦しみと共に僕を思い出して。
千石はやっぱり矛盾してる。忘れてくれと言ったり覚えていてと言ったり、思い出してと言ったり。だけどそのどれもが本当なのだろう。
いろんな感情をない混ぜにして最後に残るのはどの感情なのかな。私はやっぱり強烈な痛みだと思うな。だから千石、痛みを残して。今際の際にさえ忘れられないような強烈な痛みを。
私たちの長い夜が明ける。白み始めた空は息を飲むほどに美しい。それなのに私たちはお互いのことしか見ていなかった。
▼
帰りの電車の中で千石が「この旅行、結局セックスしかしてませんね」と身も蓋もないことをさらりと言葉にした。あまりにもデリカシーのない言葉に開いた口が塞がらない。
いや、事実だけどね?というのも結局、少しの仮眠の後に朝食を部屋でとり、チェックアウトの時間までまたセックスをしていたからだ。
しかしそれをわざわざ電車で言うか?と、顰めた私の顔に気づいても「なに?本当のことでしょ?」と悪びれる様子もないところが千石らしい。
千石は自分の容姿の良さに気づいているし、それが世の女性たちに好意的に働いていることもしっかりと把握している。だけど注目を浴びることが幼少期から当たり前だったからか、人の目というものに割と無頓着なのだ。気にしても気にしなくても見られるので、いっそ気にしないでおこうと開き直った感じだろうか。
しかし千石が気にする気にしないに関わらず、見られることは事実として存在している。しかも割と混雑した電車の中ではそれは殊更だった。
めっちゃ見てくるじゃん、と見られている千石よりも横にいる私の方がその視線に肩身が狭くなる。チラチラと、だけどあからさまに視線を送ってくる女の子は何かを言いたげな様子だ。
「もうすぐ着きますね」
と、乗り換え駅に着く直前、千石がそう声に出した。すると「そうだね、」と答える私の声をその女の子が「あの!」と遮ったのだ。
千石がチラリとその子を見下げ、特に驚く様子もなく「はい?」と笑顔を添えた。無駄に愛想が良い。女の子はその笑顔にノックアウト、顔を真っ赤にして狼狽えだした。
「僕、もうすぐ降りるんですよ」
用があるならその前にどうぞ、となんて優しい微笑み。その微笑みに促され、女の子はぽつりと一言「美輪慧さんですよね?」と千石に問いかけた。
それに訳が分からなくなったのは私だ。え?知り合い?美輪ってなんで私の名字?と疑問符ばかりの私を置いてけぼりにして、千石は「あぁ」と握手を求め出した女の子に和かに対応をし始めた。
乗り換え駅に到着するというアナウンスが車内に流れると、その女の子は「これからも応援してます」だなんて。え、千石のファン?と思ってしまうような言葉を口にしたのだ。
未だに状況を掴めていない私の腰を抱き、千石は電車から降りるようにと私を誘導した。「それじゃあ」と女の子に手を振り、何事もなく歩き出す。ん?私がおかしいの?
「え?千石さん?待って待って、あの子なに?千石のファン?」
それは揶揄い半分で口にした言葉だった。だけど千石はさも当たり前かのように「みたいですね」と、それを認める。益々状況が掴めなくなった私の険しい表情に千石が堪えきれずに吹き出した。
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