24.「夜は長くなりそうですね」

 タイミングが良いのか悪いのか、よく会うなぁと思っていたけど。わざわざ私の誕生日デートの日にまで会うことなくない?と、「旅行ですか?」と和かに笑った楓ちゃんを見て思う。


「うん、そう!一泊でね!楓ちゃんは?」

「わたしはこれからデートです!それじゃあ!」


 拍子抜けするほどあっさりと、彼女は私たちの前から去って行った。あれだけ好きだった千石のことは完全スルーだ。と、それこそ当たり前か。千石の言葉を丸っと信じるなら、楓ちゃんは千石に振られたことになる。私が割と引きずる方なのでどうしても身構えてしまったが、楓ちゃんからすればもう終わった恋なんだよね。新しく好きな人でも見つけたのだろうか。彼女の笑顔はなおも眩しかった。


 楓ちゃんが一目で「旅行ですか?」と分かったのは、私がキャリーケースを引いていたからだろう。家を出るときに「僕が持ちますよ」と千石が言ってくれたのだが、ガラガラとうるさいこれを引く千石はいつも以上に人目を引きそうで、私が遠慮したのだ。


 私の誕生日。お祝いとして私たちは、電車で1時間かかるかかからないかの同県の温泉街へ一泊二日の旅行をすることにした。

 かなりギリギリで宿の手配をしたのでお高い部屋しか空いていなかったが、まぁいいだろう。なんて言ったって、ここは千石が代金を出してくれるみたいだし。そうしてしまえるほどここ最近の千石は"話を聞く"だかでお金を稼いできていた。それこそまじで怪しいぞ、と思うが。この顔の良さで簡易ホストみたいなことやってんじゃなかろうな?とも思わないでもない。




 電車に揺られて着いた温泉街は、駅から降りただけで非日常空間だった。色々な温泉巡りを楽しむ観光客たちが浴衣姿で歩いている。土産物屋や食べ物屋も賑わっていてキョロキョロと目移りしてしまう。

 そんな私を見た千石が「先にチェックインしましょうね」と子供を諭すように声をかけた。


 チェックインをして案内された部屋は、温泉宿というに相応しい厳かな雰囲気と、畳の主成分であるい草の香りがした。それだけでまたテンションが上がってしまう。

 仲居さんの宿の説明や地元のオススメ情報を真剣に聞き、夜の食事の時間と翌日朝の食事方法を決めた。千石も時折頷くが、仲居さんの話より、食事のことより、私の反応が面白いみたいで、私の表情をジッと見ては幸せそうな笑みを見せた。いや、それは私の思い違いでただ面白がってるだけか?


 仲居さんが部屋を出て行くと、先ほどまで私の顔ばかりを見ていた千石が徐に立ち上がり、部屋についている露天風呂を覗きに行った。

 温泉旅行の魅力はなんと言ってもやはり温泉にゆっくり浸かることだろう。しかし女友達となら話は別だが、千石と2人きりの温泉旅行は結局男湯と女湯に分かれて入ることになる。それが寂しいね、と言えば、「じゃあ、部屋に風呂がついてるとこにしましょう」と千石が提案してくれたのだ。そのおかげでさらに宿代が跳ね上がったけれど。


「わぁ、すごい!」


 千石の後を追って私も露天風呂を覗いた。外だというのに、檜の良い香りが鼻をくすぐる。私が漏らした感嘆の声に気を良くしたのか、千石は満面の笑みを見せ、私に「さっそく入りますか?」と聞いてきたのだ。


「いいね!でも千石先に入りなよ」

「…………は?」

「?ん?」


 千石はいったい何に気を悪くしたのだろう、と見当がつかなくて、真面目な顔で首を傾げれば、千石の「一緒に入るんでしょう?」と地の這うような声が聞こえた。


「えっ!?恥ずかしい!」

「……瑠璃子さんが別々に入るのは寂しいって言ったから風呂付きの部屋にしたんですが?!」


 そこまで言われて、あぁそうか、と納得するのは、さすがに鈍感だと責められても致し方ないと思う。


「あ、そっか、そうだよね、あはは。けど、昼間はほんと恥ずかしいからだめ!夜にしよう?」

「はいはい。じゃあ、僕が一人で入ってきますよ」

「怒った?千石怒った?」


 うかがうように聞いた私を見て、千石は吹き出した。そして「もう慣れました」と穏やかな笑みを向けた。その表情に固まってしまった私に、今度は呆れたように「なに照れてんの」とおでこを小突く。もうもう、なんかいろいろとずるい!「照れてなーい」とふいと顔を背けたけれど、千石の含み笑いが「照れてるじゃん」と私の強がりを否定する。


「くくっ、説得力なさすぎる。耳まで真っ赤ですけど?」


 と千石の指先が私の耳を優しくなぞった。唐突なその行為に「ひゃっ、」と大袈裟なほどの反応をしてしまい、また一段と顔に熱が集まる。


「あぁー、夜が楽しみだなぁ!」


 なんて、棒読みすぎるセリフを吐いた千石は私の唇を奪い、真っ赤に茹で上がった私をその場に残して悠々と露天風呂へと向かったのだった。





 晩ご飯が配膳されると同時に、千石が「あんまり飲まないでくださいね」と忠告をする。


「え?なんで?」


 と真剣な眼差しを向ければ、千石は"こいつマジかよ"とでも思ってそうな表情を見せた。それに慌てて「いや、そんな飲まないよ。ただなんでかなぁ?って思っただけ!」と口早に言葉を紡いだ。だって、こんな豪華な料理を前にしてお酒を飲むなと言う方が無理な話な気がするし。


「いい加減、自分の酒癖の悪さを自覚した方がいいですよ」


 辛辣だけど身に覚えがありすぎてぐうの音も出ない。一応ね、酒量の調整はできるんだよ?ただ米屋と飲むとそれがバカになっちゃうんだよ。と心の中で誰宛にか分からない言い訳を並べた。

 ぐっ、と言葉に詰まった私を見て気を良くしたのか、千石は前菜の内の一品である雲丹を口に運びながら「夕飯が終わったら、露天風呂に一緒に入るんでしょ?」と声を弾ませた。

 あ、あぁ。チェックインをした昼過ぎにそんな約束してたね、と一気に焦り出す。そりゃガバガバとお酒なんて飲んでる場合じゃないな。明らかに緊張してしまう状況と温かいお風呂とお酒の相性は良くないだろう。気分でも悪くなってしまえば最悪だ。






「ね、黒毛和牛のすき焼き美味しすぎたね」

「ですね。さ、お風呂入りますか」


 懐石料理を食べ終え寛いでいると、千石が急かすようにお風呂への誘いを口にした。「もうちょっとゴロゴロしてたい」と思ったままを告げた私に、「僕は一刻も早く入りたい」と正反対の意見をぶつけてくる。なんでそんなに急いでるのよ、なんかのっぴきならない事情でもあんのかー?と、訝しむように千石に視線を向けた。


「なんですか、その目は」

「怪しい……!なんでそんな急かすの」


 さらにじとりとした目で千石を見つめれば、面白くないと、千石が眉間に皺を寄せた。


「一緒に露天風呂入れるの楽しみにしてたのって、僕だけですかねぇ」

「え?」

「瑠璃子さんはぜーんぜん楽しみじゃなかったんですね。いーですいーです、僕一人で入ってくる、」

「入ろ!お風呂入ろ!ねー?」


 そんなん反則じゃん。普段はほぼほぼデレない千石が、唇を尖らせて、なんなら少し頬まで染めて、かわいく不貞腐れているのだ。猫や犬を可愛がるような声を出して千石の腕に絡みつけば、「もう『待った』は聞けませんからね?」と私を挑発するように眉を上げた。



 外はもう真っ暗で、オレンジ色の優しげな外灯の明かりが丁寧に整えられた中庭を、ぼんやりと照らし出している。

 後から入って来て、と土壇場になって恥ずかしさから千石に告げた私は、身体をさっと洗い流して、急いで温泉に肩まで浸かった。これなら千石に裸を見られることはないだろう。私がほっと一息ついたのと、千石が露天風呂に現れたのはほぼ同時だった。


「もう覚悟はできましたか?」


 と物々しい言い方で半ば私を脅すような声音を出した千石に、思わず肩が跳ねる。それでも一切千石の方を見ずに頷いた私に呆れたのか。千石は湯から僅かに出ている私の肩を徐に舐めた。


「きゃっ、ちょっ、舐めたぁ」


 舐められてぬめりとした感触を覚えたその部分を手のひらで覆い、反射的に振り返った私を見て、千石はザマアミロといった顔で笑う。


「やっとこっち向きましたね」

「…………入ろ?」


 言い返す言葉もなくって、元々端に寄っていた体をさらに寄せて千石を誘えば、躊躇なく湯船に体を浸けた千石が私の唇を奪った。


「んっ、あっ、せんごく、んっ」


 角度を変えながら繰り返されるキスに身を捩らせた私のせいで、お湯がパシャリと跳ねた。波打つお湯に肌を優しく刺激され、脳内までうっとりとしてくる。


「瑠璃子さん、今日の夜は長くなりそうですね」


 自分の思った通りの反応が返ってきたことにとても満足しているのだろう。ふふん、と勝ち誇ったような笑みを浮かべた千石のその言葉に、私はくらりとめまいを覚えた。

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