3.「顔、真っ赤」

 ど、同棲……いやいや、部屋の一部を貸してあげる、ということにしておこう。といっても、ワンルームなので貸せる余分な部屋も、スペースもないのだけれど。


「あの、ほんとにこの狭いとこに住むつもりですか?」

「?はい。僕は狭かろうが気にしませんよ」


 一度一緒に住むことを了承したものの、冷静になって考えてみれば、どこで寝たりすんの?って話なのだ。

 今なら考え直してくれるんじゃないかと再確認してみたが、彼はきっぱりと言い切った。きみが気にしなくても、私は気にするんですけど……。

 しかもその後に「あ、でも不潔なのは無理ですから」と、ご丁寧に付け加えまでしてくれたわけだ。


「あ、というか生活費……」


 これはマジのマジで死活問題である。そりゃ私がお金持ちなら気にしないのだろうが、なんてったって私は平々凡々。ただのしがない会社員なわけで。

 そんな私が突然現れた男一人を養うだなんて、到底無理な話なわけだ。


「早急になんとかします」


 千石慧はハッキリとした口調で答えたが、なんとかってどうやって?

 彼の言っていることを丸々信じるならば、この世界に彼の戸籍はないはずなのだ。ということは住民票もないので、そうなれば銀行口座が作れない。そんなん、できる仕事限られすぎじゃん?


「え、どうやって?私、ほんとーに養えないからね!もっとお金持ちの人のとこの方が「うるさいので、黙ってください」


 はぁー!?!?うるさい?こっちは真面目に心配してあげてんのに、うるさい?もう知らなーい。

 分かりやすく臍を曲げた私に、千石慧は苦笑いを浮かべる。そんな些細な仕草さえ、今は腹立たしい。


「とりあえず!私、今からご飯食べるので!」

「あ、ありがとう。僕もいただこうかな?」


 ……まじで頭痛くなってきた。話すの疲れるわぁ。もう言い返すのも面倒臭い。

 はぁ、と全身の疲れを吐き出すように重たいため息をこぼし、今朝作ろうと決めていた豚の生姜焼きの調理に取りかかった。




「へぇ、意外と手際いいんですね」


 意外とは余計だよ、と思ったが、口論する気力はゼロだ。姿形が見当たらない。


「まぁ、一人暮らしも長いので」


 と投げやりに返事をし、料理中ずっと背後から覗き込んでいた千石慧に「お皿出して」と、調理台の真上に設置された収納棚を顎で指した。


「そこにいられちゃ邪魔で取れませんよ」


 ……たしかに。収納棚の真下に調理台があるということは、私がそこに居るということだ。そりゃ私が邪魔で取れないか。

 コンロの上に一度フライパンを置き、横に避けようとした時、ふわりと背中に微かな重みを感じた。

 あ、これは……。千石慧は私を囲うように収納棚へと手を伸ばしたのだ。瞬時にそう理解すれば、私の身体は自ずと硬まる。これ以上千石慧に触れないようにと思うと、勝手に肩が上がり、今にも耳たぶに引っ付いてしまいそうなほどだ。


 思わぬ接触に、こちらは嫌というほど緊張しているというのに。千石慧は、私の背後で余裕そうにくすりと笑みをこぼし、あまつさえ「あれ?恥ずかしかった?」などと揶揄ってきたのだ。


「べ、べっつに!これぐらい……」


 やっとーーこれはあくまで私の体感の話だがーーお皿を取り終えた千石慧は、強がった私の顔を覗き込み、ニヤリと口角を上げた。悔しいことにその表情にさえドキドキしてしまう。イケメンって卑怯だ。


「るりこさんっていくつ?女子高生みたいだね」


 と、さも楽しげに声を弾ませた千石慧は、私の頬を触り「顔、真っ赤」と、今度は困ったように眉を下げた。

 ……性格わっるー!!!性格わっるー!!!しかし図星すぎて何も言い返せない。せめてもの仕返しにと、私は千石慧の手からお皿をぶん取り、「ふんっ」と鼻を鳴らし勢いよく顔を背けてやった。

 だけど千石慧にはノーダメージ。背後でくつくつと含み笑いが聞こえる。どんな顔で笑ってるのかも脳裏に浮かぶ。だって、漫画の中で幾度と見てきたもの。

 そうだ、こいつの穏やかさは見せかけで、実のところ永良くんの無茶に付き合えるほど、頭のおかしな奴だった。

 あ、永良くんに関しては、そんな頭がぶっ飛んでるところも好きなんだよ。




 まだ怒ってるんだからね!?ということを暗に伝えるために、お皿やお茶碗を少し乱暴に置いてみたけれど、彼は全く気にする素振りを見せない。

 そうなると、一人プリプリと怒ってることが段々と馬鹿らしくなってきたので、大人しく「いただきます」と手を合わせた。

 千石慧も同時に挨拶をし、見惚れてしまうほど美しく、優雅な所作でご飯を口元へ運ぶ。そして、豚の生姜焼きを一口食べると「美味しいです」と感想まで添えてくれた。……これは素直に嬉しい。


「そ?」


 と、あまりにも素っ気なく返事をしてしまったが、完全に照れ隠しだ。それはもちろん千石慧も分かっただろう。その証拠にこちらをうかがうように、またニヤニヤと笑みを浮かべている。


「すごく下世話な質問かもしれませんが、僕が使っているお茶碗とお箸は誰のものですか?」


 千石慧は、手に持った食器をまじまじと見つめながら、そう質問をしてきた。それに、下世話だと思うなら聞くなよ、と思ったが、馬鹿正直になんでもかんでも言うのはやめよう。


「お察しの通り、元カレのものですが?」

「やっぱり!これを使うのは今回限りにします。明日新しい物を買いに行きましょう」


 ……言うと思った。そうなることは分かっていたのに!ついさっき、馬鹿正直にうんたらかんたら、と思ったばかりなのにー!!!なんで言っちゃった!?

 私が吐いた大きなため息は、自己嫌悪からくるものだ。だけど知られてしまっては仕方がない。


「明日は無理です!予定があるって言いましたよね?」

「あぁ、そういえば。では、僕もその予定に同行します。それが終わったあとにでも」

「ちょ、ちょ、ちょっと!待って!私の予定が何かも知らないよね!?」

「まさか……デートでしたか?」


 そんな驚いた顔しなくても……。微妙に、いや、かなり失礼なんですけど。

 なんだか、デートではない、ということを伝えるのが癪すぎる。そんな思いを反映した「デート……ではないけど……」という言葉は、いつもの私の半分以下の声量であった。

 それなのに千石慧は聞き逃すこともなく、「やっぱり!」と、これまたかなり失礼な返事をしたのだ。


「じゃあ、なんの予定ですか?」

「うっ、それは……」

「それは?」


 まだ完全に信じていないが、自称本物の千石慧を目の前にして「あなたたちのコラボカフェに行くんですぅ」と言えるほど、私は恥じらいを捨ててはいない。

 しかし言い淀んだ私のことなどおかまいなしに、千石慧はグイグイと間を詰めてくる。そんなイケメンの圧に押されて、ついに「コラボカフェに……」と言えば、「なんですかそれ?」と肩透かしな言葉が返ってきた。


 

 

 自称本人にコラボカフェの詳細を説明するのって、どんな罰ゲーム?

 そんなことをずっと思いながら、淡々と話した私よりも、千石慧はさらに淡々と話を聞いていた。


「へぇ、つまり僕たちのイメージが料理になってると……え、たかっ」


 私は説明がてら、明日からのメニューをスクショしていたスマホの画面を見せた。そしてそれを覗き込んだ千石慧は、率直な感想を漏らしたのだ。

 そりゃ、これに価値を見出せない人間からすれば高いでしょうとも!そんなことは今さら言われなくたって分かっている。しかし!私にとっては感謝のお布施なのだから、これぐらいの価格は痛くも痒くもないの!


「まぁ、この予定なら僕も行けますね」

「え、ほんとに行くの?」

「?はい。何か問題でも?」


 いや、問題らしい問題はないよ?事前予約制だが、1名を2名に増やすことは連絡なしで可能だし。

 だけどこの人の前で、「永良くん〜(ハート×∞)」って騒げるのかって話だ。……絶対無理じゃん?


「予定が終わる頃に待ち合わせは?だいたい2時間ぐらいだよ?」

「うーん。いえ、一緒に行きます」


 にこりとした微笑みは優しいけれど、圧がすごい。そこまで言い切られてしまえば、私には断る術などなかった。

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