4.「おやすみなさい。良い夢を」

 夜ご飯が終わると、千石慧は食器をシンクに運びながら「僕が洗いますね」と申し出た。が、その殊勝な態度を薄気味悪く感じてしまうほどに、彼のイメージは割と最悪だ。

 端的に言えば、傍若無人、唯我独尊、なのである。彼と永良くんは本質がとてもよく似ていた。だからこそ仲良くなって、だからこそ理解できなくて、壊れてしまったのだろうか。

 と、皿洗いをする彼を見ながら、ふとそんなことを考えた。


「終わりました」

「はい、ありがとうございます」


 食器洗いを終えた千石慧は、タオルで手を丁寧に拭いた後、私にそう報告をした。さて、後はお風呂に入って寝るだけか。


「……お風呂!?……ってか、寝るとこ!!!」


 今さらその問題に気づいた私は、頭に浮かんだままを大声で叫んだ。千石慧は、何を今さら、というような蔑んだ目をして、「いちいちうるさい」と耳の穴に指を入れて蓋をする。


「いや、だってね、お風呂はまぁいいよ。でも寝るとこどうする?!絶対一緒に寝たくない!」

「あ、そ。そんなの僕もお断りなんだけど」


 死んだ魚のような目で毒を吐きやがって。ここは私の家!週5日、必死で働いて家賃払ってんだよ!?だからあんたは、私が「一緒のベッドで寝て(ハート)」って頼んだら、断っちゃダメなの!そんな権利ないの!……いや、断じて一緒に寝たいとか、そういうことじゃなくて、ね。


 怒りをグッと堪えながら「私がベッドだからね」と言えば、「もちろん」と素直に受け入れた千石慧は「僕、お風呂入って来てもいいですか?」とまた不躾なお願いをしてきた。はぁ、と当てつけのため息を吐いたが、実のところ、この振る舞いに段々と慣れてきている自分がいることも確かだ。ほんと、慣れって恐ろしい。


 簡単なお風呂場の説明を行い、来客用のバスタオルを渡して脱衣所の扉を閉める。

 やっと、やっと一人になれたぁ!あの男に会ってからずっと忙しなかった。本当なら今頃は、明日の幸せな時間を想像しながら眠りに就いていたはずだ。はぁ、眠い。





「……さん、起きてください」

「……ん、」

「るりこさん、起きて」


 薄っすらと覚醒し出した脳が、私の体を優しく揺する人物を徐々に認識し出す。あ、そうだ、訳わかんない男と同棲することになったんだ……。


「って、なんで裸!?」

「わ、びっくりしたぁ。いちいち反応が大きいんですよ。それに裸って、下はタオルで隠してますし、」

「そんなことはいいから!服着てよ!」

「僕だって着たいから、こうして起こしたんですよ?」


 へ?きょとんとした私を鼻で笑い、千石慧は「元カレのパジャマ、あるんでしょ?今日はそれで我慢するので」と、手のひらを見せた。これはつまり"早く寄越せよ"ということだろう。

 まじで何様だよ、と思いつつも、その要望通りに、クローゼットの奥深くに眠らせていた元カレのパジャマを引っ張り出す。


 千石慧は「ありがとうございます」と、両手でパジャマを受け取り、それをマジマジと見た後「もしかしてまだ好きなんですか?」と真剣に聞いてきたのだ。その表情がとても新鮮で、思わず笑ってしまう。


「まっさかー!もうだいぶ昔のだよ?高かったから捨てられなかっただけ」

「あ、良かったです。まだ好きとかなら怨念こもってそうだなぁ、って不安になったので」

「…………私もお風呂に入ってくる」

「はい、いってらっしゃい」



 私がお風呂から上がると、長い脚を投げ出し、自分の家のように寛いでいた千石慧が「早かったですね」とこちらを見た。あ、さすがに千石慧も眠そうだ。先に布団を敷いてあげたらよかったかな。

 彼の特徴的な紫色の瞳が、今にも閉じてしまいそうな重い瞼から時折覗く。こう見ると、なるほど、たしかに20歳になったばかりの幼さが顔つきに出ている。こんな子供にムキになりすぎたな。よくないよくない。反省しよう。


「お布団敷いちゃうよ」

「はい、ありがとうございます。僕も手伝います」


 のそりと起き上がった彼を、「いいからいいから」と、とりあえず私のベッドへと追いやった。なにせ狭いワンルームだ。そこに布団を敷こうと思ったら、場所を取っているテーブルを動かさなくてはならない。

 それなのに、背が高い千石慧にどでんと居座られていたら邪魔で仕方ないのだ。


 余程疲れているのだろう。千石慧は「では、お言葉に甘えて」と言い、ゴロリとベッドに横になった。


「そこで寝ちゃわないでね」

「……はい、善処します」


 とても不安になってしまう声量と声音である。一秒でも早く布団を敷こう。


「ねぇ、寝そうだよ?座ってれば?」

「ん?うん、そうだねぇ」

「あと少しだからね、もう敷き終わるよ!」

「…………」

「ね、ちょっと!私、そのベッドじゃないと腰が痛くなるんだって!」


 絶対寝てほしくなくて、声をかけながら敷いていたのに。先ほどまでは眠そうながらも、なんとか返事をしてくれていたのに。完全に答えが返ってこなくなったことに焦り、千石慧の身体を乱暴に揺すった。

 しかし彼は眉間に皺を寄せ、「んー」と迷惑そうな声を微かに上げるのみだ。ほんとに困る!さっき言ったように、私はこのベッドじゃないと安眠できないのだ。

 彼を起こそうと数分間格闘してみたが、思っていたよりずっと彼の睡眠は深かった。まじで起きない。リング内では魔物が出れば昼夜問わず呼び出されて、その度にいくら眠かろうが対応していたことを思い出す。しかも彼の最期は追われる身で、自分の信念を貫くためとはいえ、辛い環境に身を置いていた。

 魔物が存在しないこの世界は、彼にとって安眠できる優しい世界なのかな。そうならいいのに。

 すぅすぅと穏やかな寝息を立てている千石慧は、やはり幼い顔をしている。子供みたい。人差し指で、滑らかな頬を優しくつんとつつく。あったかい。ほんに生きてるんだなぁ。


 電球の眩しさに目を強く瞑った彼を見て、そっと電気を消す。仕方ない。私は腰が痛くなることを覚悟して、敷き終わった布団に寝転んだ。





 

「……るりこさん、るりこさん。ごめん、今さらだけどベッド行きなよ」

「んー?んー、うんー」

「腰、痛くなるんでしょ」

「えー?んー」


 意識の向こう側で、千石慧の困ったような声が聞こえる。ごめんだけど、眠すぎてちゃんと答えらんないよ。


「はぁ……後で怒んないでくださいね」


 ふわり。あ、気持ちいい。子供の頃、リビングで寝てしまった私をお父さんがおぶって、寝室まで連れて行ってくれたことを思い出す。

 それよりもずっと不安定な姿勢に落ちそうな心地になって、思わず腕を回した。


「ふっ、子供みたいですね」


 ぎゅっとしがみついた私の耳元で、千石慧の揶揄うような声がする。

 

 ベッドに丁寧に優しくおろされ、膝裏から手が抜かれる。体に布団をかけられて、微かに感じる重みが心地良い。


「おやすみなさい。良い夢を」


 そう言った千石慧の手が、こめかみ辺りの髪をさらりと撫でた。

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