2.「あなたと一緒にいたいんです」

 ポカーン、だ。それってつまりどういうことなの?考えれば考えるほど抜け出せない迷路に入ってしまったようで、全くもって理解が追いつかない。深く刻まれた眉間の皺は、このまま続ければ表情ジワとして残ってしまいそうなほどだ。

 それは困る、と瞬時に眉間に入っていた力を抜けば、こちらを見ていたイケメンがにこりと微笑んだ。……ほんと落ち着きすぎてて何考えてんのか分かんない。


「すみません。この世界の住人じゃないなんて……どうかしてますよね」


 全く動じてないかと思いきや、そんな風に弱気で殊勝な態度を取るのだ。聞いた内容もそうだが、このイケメンこそが得体が知れず恐ろしい。


「え、え、じゃあ、あなたはどこの世界の住人なんですか?」

「さぁ?それが分からないんです。こことは似てるようで違う。それにここには魔物もいません」


 ま、魔物!?映画や漫画のフィクションの中でしか聞かない単語をさらりと口に出した彼は、またキョロキョロと視線を彷徨わせた。

 ちょ、それ、魔物探してた視線だったの?勘弁してよー。……ん?魔物?


「はぁ……魔物ですかぁ……え、というか、名前、名前教えてください」


 単語を繰り返すことしかできない私の心情を察してほしい。あ、そういえば、と閃いたように名前を聞いたが、いくらでも嘘をつける名前など聞いても意味なかったかな……。

 はぁ、と深いため息を吐いた私のことなど気にも留めず、彼は「失礼しました」とにこやかに謝罪をし、「僕は千石慧と申します」と、本当かどうかも怪しい名前を告げたのだ。


「はぁ……せんごくさとるさん……」


 ん?


「え、え、え、千石慧っ!?」

「?はい。千石慧です」

「え、千石慧ってあの?あの千石慧ですか!?」

「え……どの千石慧でしょう?」


 突然爆上がりした私のテンションに、自称千石慧は戸惑った表情を初めて見せた。

 そんな彼をもう一度じっくりと舐めるように見れば、千石慧は居心地が悪そうに身体を縮めて「なんですか?」と嫌悪感を露わにした。

 しかしそんなことは私の知ったこっちゃない。危険を冒してまで部屋に上げてやったのだ。舐め回すように見るぐらい、許してほしい。真偽を見極めるためだ。


 うん、なるほど。言われてみれば彼は千石慧そのものといった見た目をしている。




 千石慧とは、リングに登場する主要人物だ。主要人物どころか、第二の主人公と言っても過言ではない。……いや、なかった、と表した方が適切なのかもしれない。

 彼は死んだのだ。私の推しである永良隼人の目の前で。

 

 千石慧と永良隼人は親友であった。魔物を滅ぼし、世界に平和をもたらすことを互いの目的とし、切磋琢磨していた。

 しかし高校卒業と同時に千石慧は永良くんの前から忽然と姿を消し、次に会った時には彼は敵となって現れた。その時の永良くんの絶望と言ったら……今思い返しても辛くて辛くて。私が抱き締めてあげたかった。

 仲間を裏切り、晴れてお尋ね者となった千石慧は、永良くんの目の前でヒロインによって殺された。それだけでも壮絶なのに、その悲壮感をより強固なものにしているのが、千石慧はこのヒロインのことを憎からず想っていた、という事実だった。

 裏切った時に殺されることは覚悟していただろうが、まさか親友の目の前で想い人に殺されるとはさすがに想像していたかったとは思う。


 そしてこの内容が、今ワイドショーを騒がせている炎上問題へと発展したのだ。

 

 千石慧はその麗しい見た目と穏やかな口調、しかし実は冷酷で傍若無人、というギャップから、漫画内でも一二を争う人気キャラであった。もちろん人気を争っているのは私の愛しの永良くんだ。

 私もネットを見て驚いたが、千石慧の死や死に様に納得のいかない一部過激なファンーーと呼んでいいのか謎だがーーたちが、それに対して激しい抗議活動を起こした。

 展開を変えろ、千石慧を生き返らせろ、だなんてのはまだまだ可愛い方で、酷いものになると作者への殺害予告や、付き纏い行為などもあったようだ。というか、現在進行形でネットではまだ騒がれている。

 まぁ、そんな渦中の人物が私の目の前にいるのだ。もしかして生き返ってほしいと願う人たちの想いが、彼をこの世に呼び寄せた……とか?え、こわっ……!!!





 私がこの世界の千石慧についてを、目の前の千石慧に伝えると「へぇ、僕たちの生活が漫画になってるんですねぇ」と、彼は少しの抵抗もなく受け入れた。彼の恐ろしいのはこういうところだと思う。もっと、こう、驚いたり戸惑ったり、ってあるでしょ?


「で、現物は持ってないんですか?えーっと、」

「あ、美輪瑠璃子です」

「るりこさん」


 にこり。彫刻のように整った顔が、柔く口角を持ち上げ、お手本のように微笑む。そんな風に丁寧に名前を呼ばれたことなどここ最近はなくて、それが余計にドキドキさせた。


「そのリングとかいう漫画、見せてください」


 口調も声音もどこまでも穏やかなのに、そこを怖く思ってしまうのは、漫画内で知り得た冷酷な部分のせいだろうか。

 そのお願いにすぐさま「はい」と返事をし、現在刊行されている12巻全てを棚から取り出し、彼に手渡した。

 それを、読めているのか?、と疑問に思ってしまうスピードでペラペラめくっていく彼を見て、あり得ない話をすでに受け入れ始めている自分自身に気づく。


「わ、ほんとだ。これ僕じゃないですかぁ」

「え?あぁ、ね、千石くん初登場回です」


 流れるようにめくっていた手を止め、千石慧は一際明るい声を出した。そうだ、彼の話をそっくりそのまま信じるならば、その漫画の中にいる彼と私の目の前にいる彼は同一人物なのだ。

 なんか雰囲気で信じかけていたけど、よくよく考えると意味分かんないな?


「ほー、人気投票なんてのもあるんですね」


 また千石慧の手が止まる。ざっと飛ばして8巻を見ているようだった。

 彼が今しがた口にしたように、その巻には第1回人気投票の結果が掲載されている。


「ふーん、隼人が一位で僕が二位か」


 結果を読み上げた千石慧は、不満げに顔を歪めて漫画をパタリと閉じた。なにが不満なのか。永良くんはなんといっても主役なのだ。それにかっこいいし、かわいいし、普段はあんなやる気なさそうなのにいざとなったらはちゃめちゃに強いし……


「で、るりこさんは誰のことが好きなんですか?」


 私が頭の中で永良くんの魅力を羅列していると、唐突にそんなことを聞かれた。あまりにも突然なその質問に、私は脊髄反射で「永良くん」と答える。すると彼は「るりこさんって、男の趣味悪いですね」と、なんとも柔かな笑顔で辛辣な言葉を吐いたのだった。


 私の男の趣味が悪い。それはすなわち永良くんのことを貶されているのと同意だった。……イラッとした。最高にイラッとしたが、私ももうすぐ30歳のいい大人だ。そんな私が20歳を超えたばかりの人生の後輩をつかまえて、感情的に怒りをぶつけるのはさすがにいかがなものかと思うのだ。


「はい。そうですね。ところでそろそろ帰ってもらえませんか?」


 下唇を噛んでぐっと耐えた。そして淡々と事務的にそう告げれば、千石慧は「どうして?」と本当に分かっていない顔を私に向けたのだった。


「いや、私明日の朝早くから大事な予定があるので」

「あ、そうなの?困ったなぁ」


 そんな風に言うけれど、その表情は全く困っていない。ただ形式的に眉を下げただけだ。

 しかしその表情や仕草は漫画でよく見ていた、千石慧そのものであった。


「あ、そうだ!僕と一緒に住みません?」

「……へぁ?なんで!?」


 唐突に提案された無茶なお願いにクラクラと目眩がする。なんで、私が得体も知れない男と一緒に住まなきゃいけないの!?

 そりゃイケメン年下男子と甘々ラブラブ同棲生活に憧れはあったし、なんなら今もその夢は捨て切れてないよ?

 だけどそれはこんな怪しい男との共同生活ではないのだ。そりゃ彼はイケメンだけど!文句のつけようもないほどのイケメンだけど!


 冷静に考えてみれば、自分を"この世界の住人ではない"それどころか"漫画の登場人物だ"という男ってかなり危なくない?

 あぶっなー。イケてる顔面に惑わされて危うく信じかけてたわ。


「なんで?おかしなことを聞きますね。僕が困ってるんですよ?」

「えー?!何様ーぁっ!!?絶対やだ!絶対やってけない!」

「はぁ……。じゃあ、僕がるりこさんに一目惚れしたんです。あなたと一緒にいたいんです」


 どきり。またそんな風に私を惑わすように微笑むのだ。じゃあ、なんて言葉がついてる時点で、私のことを馬鹿にしているとしか思えないのに。ここで私が断れば、彼は違う女の人に同じように縋るのだろうか……。

 いくら怪しくてもこの顔面レベルだもんな……。喜んで受け入れてくれる人は掃いて捨てるほどいそうだ。


「だから僕のこと、ここに置いてください」


 イケメンのこんな殊勝な態度のお願いを断れる?私には無理だよー!

 操られたかのように頷いた私を見て、千石慧はその紫色の瞳をさらに細めたのだった。

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