結んで、ほどけて、ちぎれて、結ぶ

未唯子

1.結んで、ほどけて、

 毎日同じ時間に出社して、だいたい同じ時間に帰宅する。たまに"天気が悪くてうっとうしいなー"とか、"電車遅延してんじゃーん"とか思う程度で、まぁ変わらない。毎日同じだ。


 そんな中の楽しみといえば、"漫画を読むこと"、これに尽きる。漫画を読んでいる間だけは心が軽くなるのだ。

 没入感というのだろうか。自分が主人公やヒロインに成り代わるとかそういうのじゃない。ただ時間を忘れてなにかに集中する。

 架空の人物や出来事に感情移入して涙を流したり、声を出して笑ったり。それが最大のストレス発散方法なわけだ。


 そんな私が今一番ハマっている漫画は"リング"というモノだ。

 それは、左手に嵌めた指輪を一周触れば具現化される武器を手に、人類を滅ぼそうとする魔物たちと戦うという王道戦闘漫画だ。しかも今年の"売れる!漫画!"とかいう企画にも選ばれた、絶賛人気連載中の漫画である。


 ちなみに魅力的なキャラは大勢いるものの、私は主人公の永良隼人を一途に推している。もちろん連載開始時からずーっとだ。彼の推しポイントを熱弁したいのだけど、そうすると時間がいくらあっても足りないのでここでは割愛させていただく。それは追々知ればいい話だ。


 とりあえず私の変わり映えのしない単調な日々は永良隼人きゅん(ハート)に支えられている、と言っても過言ではないのだ。というか、それが真理である。

 しかしここ最近、リングが炎上問題を抱えているのだ。私からすれば完全に言いがかり、八つ当たりの飛び火でしかないのだけれど。その飛び火は思っていたよりずっと大きな炎となり、連日ワイドショーなどで取り上げられていた。


 ほんとに勘弁してほしい。作者様にはなんの心労もなく素敵な漫画を描き続けていただきたいのだ。そんなことを考えながら、私は今日も会社から自宅への道を歩く。

 

 憂鬱とさえ思わなくなった仕事をこなし、明日は念願の休日。し!か!も!コラボカフェがオープンするのだ!

 周囲から聞こえてくる雑音には耳栓をして思う存分楽しみたい。その為に今夜のお風呂上がりには、肌が整うと評判のパックをしてみてもいいかもしれない。

 あ、なんだか楽しくなってきたぞー!スキップでもしてしまいそうな気分だ。さすがに29歳の女が夜道をスキップだなんてただのホラーでしかない。ので、自重したが。まぁ、鼻歌ぐらいは許されるだろう。


「ひっ……!」


 気分の良さを表す鼻歌がその大きな塊を捉えた瞬間に、短な悲鳴へと変わった。私の住むマンションの目の前の歩道にうずくまった人……?……人、だよね?ピクリとも動かないのだ。え、死んでる?

 普段の私なら危機感知をするか、そもそも面倒ごとに関わりたくないので素通りしていただろう。しかし今日の私は気分が良いのだ。それもスキップを我慢して、鼻歌を歌うぐらいには、とびっきり。


「あ、あの、大丈夫ですか……?」


 さすがの私もその人に触れるのは躊躇った。おずおずと声をかければ、全く動かなかったそれがピクリと反応し、緩慢な動きで頭を上げたのだ。


 は?え、なにこのイケメン。透き通る様な白い肌に、日本人では、というか世界でもほぼ見かけない紫色の瞳が私を捉えて、ニコリと柔和に細められた。それだけで私の警戒心は粉々に砕け散ってしまうのだから、危機管理能力だなんて初めから備わってなかったのかもしれない。


「こんばんは。実は僕、とても困ってて……」


 そんな風に弱々しく微笑まれて断れる人間がいるのかな?イケメンにだよ?暗がりで見ても引くほどのイケメンにだよ?いないでしょ。

 私はコクコクと壊れた人形のように頷き、素性や名前すら知らない彼を部屋へ上げたのだった。あ、掃除してないや……。




 キョロキョロと物珍しそうに忙しなく視線を動かすイケメンに「あの、狭くて汚いですが……」と断り、ワンルームの部屋へ促す。


「いえ、そんな。お邪魔します」


 と丁寧な言葉に美しい笑みを添えて、靴をきっちり揃えて、彼は部屋に上がった。そして「洗面台をお借りしても?」とこれまた上品な所作で首を傾げたのだ。


「あ、はい、どーぞ。こちらです!」

「ありがとうございます」


 彼を洗面台まで案内し、続いて私も手を洗う。背後を取られるのはなんだか怖かったが、部屋に上げてしまっているのだから、今さらか……。

 しかし彼は後ろに立っても襲ってくるどころか、キョロキョロと何かを探すように視線を彷徨わせる。なんなんだろう。イケメンに絆されて招いてしまったが、やはり危ない系か?っていうか、明日朝早いんだよー。よし、とっとと帰ってもらおう。


 そう判断し、手をタオルで拭きながら今一度彼の顔をマジマジと見つめた。まっじで綺麗な顔してるなぁ。毛穴とかないじゃん。死滅。髪もサラッサラだし。まぁ、銀髪は好みじゃないけど。でもこの瞳はドンピシャだなぁ。

 私がドンピシャだと評した紫色の瞳は明るすぎる蛍光灯の下で、魅惑的に煌めいていた。

 

「あの、突然ごめんなさい。迷惑ついでに僕の話を聞いてくれませんか?」


 私の穴が開きそうなほどの凝視にも、彼は動揺など少しも見せず、低姿勢にお願いをしてきた。低姿勢なのだが、彼の言葉や態度には断れない何かがある。イケメンだとかそういう類のものではない。得体の知れぬ圧力。

 危ない。これ以上関わらない方がいいと頭も、心でも理解しているのに、気がついたら「はい」と頷いていた。


 そしてその次の瞬間には、たった一つの部屋ーーワンルームなのでこの部屋にベッドも置いてあるのだーーのテーブルの前に座ってもらい、あまつさえ飲み物まで淹れてしまっているのだから……。まじで私の危機管理能力どうなってんの?!仕事しろよー、仕事!


「あ、これ、どうぞ。で、話って?」

「ありがとうございます。いただきます」


 私が差し出した飲み物ーー友達の結婚式の引き出物に入っていた高級お紅茶だーーに口をつける前に、わざわざ手を合わせた彼を見てギョッとする。今時いるの?こんな人。

 そしてこくりと一口飲めば、ふぅと息を漏らす。その姿にこのイケメンは私よりも随分年下かもしれない、と思った。

 

 一挙手一投足を逃すまいと見つめすぎていたのを、話の催促と勘違いされてしまったようだ。


「お待たせしてしまってすみません」


 と眉を下げた彼は「信じてもらえないかもしれないんですが……」と弱気な前置きをし、自分のことを語り出した。

 なるほど、たしかにそれは弱気な前置きをしたくなるだろう。そう納得してしまうぐらい、彼の話は俄に信じがたいものであった。

 

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