第38話

 あったかいベッドの中、俺は目を覚ます。

 尿意を催したのだ。

 ちらっとスマホを見たところ、既に日は跨いで午前三時。


 ベッドの中には俺のほかにもう一人いる。


「んぅ……」


 額の髪が目にかかって鬱陶しそうだったので、はらってやる。

 そっと天薇を起こさないよう、俺は布団から這い出た。

 床に足を下ろして手さぐりに歩く。

 周りを起こすわけにはいかないため仕方がない事だ。


 と、足に温かくて柔らかい感触があった。

 暗闇に目が慣れるまで凝視すると、寝袋に包まって爆睡する芽杏だったことがわかる。


「……無防備だな」


 今ならちょっかいをかけてもバレなさそうだ。

 しかし、ぼーっと芽杏の寝顔を見ていると横から視線を感じる。


 窓の方を向くと、二つの目が真っ直ぐに俺を射抜いていた。


「ひゅぃっ」


 声にならない悲鳴を漏らしながら俺は急いでその場を離れる。

 しかしトイレで用を足してから戻ると、目の前に女の姿が。


「で、出たぁ」

「人の事を幽霊みたいに言わないで」

「なんだ、魔女か」

「……」


 幽霊も魔女もあまり変わらない。

 と、トイレの前で突っ立っている杏音に俺は首を捻った。


「杏音もトイレですか? 一応掃除しましたけど、杏音が使えるかどうかは……あ、漏れそうなら使ってください。部屋で漏らされても困るのでゃんっ」


 言い終わる前にみぞおちを殴られた。

 崩れ落ちる俺の耳元に、不意打ちした魔女は囁く。


「ちょっと表出てよ」

「……ついに真正面からやる気ですか」

「冗談よ」


 既に眠気はない。

 変なタイミングで驚かされたせいで、頭が冴えてしまった。


「わかりました」


 そうして俺達は上着を羽織って、夜の散歩へと出向いた。



 ‐‐‐



「眠れなかったんですか?」


 家の外に出たおかげで通常音量の会話ができる。

 俺の問いに杏音は無表情で答えた。


「なんだか思い出しちゃって」

「何をですか?」

「中学生の頃の記憶」


 さっきの天薇との会話が原因だろうか。

 またトラウマセンサーが反応してしまったのだとしたら申し訳ない。


「すみません。まさかこんなことになるとは」

「優しいね。別に悠のせいじゃない」

「それはそうですけど」


 この人の過去の傷の深さを知っている身としては、心配になる。

 と、不安げな俺の顔に杏音は微笑んだ。


「嫌な記憶じゃない。ただ恋愛の楽しさを思い出してたって感じ」

「恋愛の楽しさ……?」

「ここ最近恋愛なんて諸悪の根源だとか、ゴミだなんて言ってたけど、天薇ちゃんの初々しい話聞いてたら、案外昔の自分も楽しんでいたような気がしてね。元カレと取り合ってた連絡なんかを思い出してた」

「そうですか」

「ごめんね。悠にはわからないよね」

「いいですよ別に」


 散々杏音には支えてもらったし、今彼女の話し相手くらいにはなりたいものだ。


「恋愛恐怖症治りそうな感じですか?」

「そんな簡単じゃないよ。ただ昔は楽しんでたなって思い出しただけ。今恋愛しようと思えないのは変わらない」

「そんなもんですか?」

「そんなもん」


 ただそう言いつつ、杏音の顔は若干スッキリしたようだった。


「ずっと認められなかった。恋愛なんて嫌いだって思うばかりで、過去の感情を封じ込めてなかったことにしてた」

「……」

「天薇ちゃんには感謝してる」

「そうですか」

「ほんとごめんね。今は話聞いてもらいたかっただけ。悠には退屈だろうし、嫌な気持ちにさせちゃったかも」

「そんなことないですよ。俺なんてどんどん使ってください」

「随分献身的だけどどうしたの?」

「わかりません。深夜テンションってやつかも」

「なるほど、確かに私もそうかも」


 杏音もいつにも増して素直だ。

 こんなに心を開き合って会話したのは初めてかもしれない。

 これが普通の人間なら『良い感じ』な雰囲気だと言うんだろう。


 しかし、前の恋愛の記憶か。


 俺の場合すべて片想いだったが、確かに全てが嫌な記憶ではなかったはずだ。

 特に芽杏との関係や思い出。

 あいつが俺の言葉に笑ってくれた時なんて、声にならない嬉しさがあったように思える。

 当時は詳細を知らなかったが、杏音の事を相談されていた時も誇らしかった。

 あいつとの二人きりの時間は、幸せだったのだ。


 そういえば忘れていたな。

 一括りに恋愛はゴミだと、過去の思い出を捨ててしまっていたのかもしれない。


「良いこと聞きました」

「それはよかった」


 でもそんな恋愛の良い面を思い出したところで、恋愛したいとは思えない。

 これは収支の問題だな。


「俺達恋愛恐怖症って、恋愛による幸せの獲得よりも精神的ダメージの方が大きかったんでしょうね。その釣り合いが取れていないから、恋愛の良い面を思い出しても恋愛願望は戻らない」

「比べて他の人は獲得した幸せの方が大きいのかな。わかんないね、私達には」

「そうですね」


 そう簡単に完治をさせてくれる気はないらしい。

 まぁ昨日の出来事は一種の特効薬みたいなものだったのだろう。

 とりあえず大事な感情の一部を思い出すことはできた。


「ほんと、こんな事言ったらあいつには可哀そうですけど、天薇に感謝です」

「そうね」


 俺達は夜風に吹かれながら、その後も少し夜の辺りを徘徊した。





 ◇


【あとがき】


 "毎日更新を目標"と高らかに宣言した初日である昨日、早速更新をお休みしてしまって申し訳ありません!

 とりあえず本作はこの話で一応の区切りとし、ここからクライマックスに入っていく予定です。


 そして、一昨日連載を開始した新作が思いの外伸びております。(既に本作のフォロー数に肉薄してて複雑な心境)

 よかったら是非読んでみて下さい(╹◡╹)


 https://kakuyomu.jp/works/16816927861054636465

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