第39話

 勉強合宿は二日目も滞りなく行われた。

 新たに姉辺りが侵入してくるわけでもなく、無事に杏音に文句を言われながら、俺と芽杏が必死にシャーペンを走らせるだけ。


 その間天薇は邪魔するわけでもなく、たまに俺達の教材を眺めたりスマホを弄ったりしていた。

 イライラした杏音が癒しを求めてハグしてもニヤニヤ笑って嫌がらず、芽杏が近づくと表情を強張らせるだけ。

 何も起きなかった。


 地味に杏音が天薇に夢中なのはさて置き、そんなこんなで二人は帰る。


 良くも悪くも何も起きなかった。

 俺の恋愛恐怖症が治るわけでもなければ、ピンク色のシチュエーションも訪れない。

 これでいいのだ。


「楽しかったね」

「そりゃよかった」

「お兄ちゃんなんでそんなに疲れてるの?」

「古典現代文世界史英語で計百ページ以上の課題をこなしたことを考慮したら元気な方だぞ」


 今日だけで俺は文系マスターに昇格した。

 もう何も恐れることはない。

 休み明けの明日には職員室で全科目の課題を提出できそうだ。


「ご飯は?」

「ちょっとは兄を休ませてくれよ」

「自分が課題やってないのが悪いんじゃん」

「……」


 こいつと杏音は二度と合わせない。

 かなり思考が寄っているような気がする。

 俺の知る天薇はこんな悪魔みたいな正論は吐かない。

 絶対悪い魔女に誑かされたせいだ。


「あとでな」

「ん」


 頭を撫でたあと、俺は服を脱ぎ捨ててベッドに転がる。

 暖房全開なため可能な事だ。


「もう! 服着てよ!」

「気を張ってて疲れたんだよ」


 本来自宅ではラフな格好でいたい。

 全裸はあれだが、寝る時なんかは特に服がまとわりつく感覚が大っ嫌いだからな。


 天薇はパンツとインナーシャツ一枚の俺を、顔を両手で覆った指の隙間から覗き見ている。

 まぁ女とは言えど、こいつに見られる分にはなんともない。

 しかし。


「ちょっと忘れ物したぁぁぁん?」

「あ」


 勢いよく俺の部屋を開ける馬鹿女なんてこの世には二人しかいないだろう。

 一人は姉。

 あいつは弟に遠慮がないからな。

 夜中俺が自室に籠っているときでさえ勢いよくドアを開け放つ強敵だ。


 そしてもう一人は先ほどまでうちにいた女。

 単純に物事を深く考えない馬鹿だ。


「ごめっ……え?」

「もうおせえよ」


 今更顔を覆ってどうする。

 普通に指の隙間からチラ見してるの見えてるし。


 俺は急にやってきた芽杏に溜息を吐く。


「あがれよ」

「……大丈夫なの?」

「もうすでに大丈夫じゃなくなったから大丈夫だ」

「意味わかんないけど、お邪魔」


 芽杏はそう言うと部屋に侵入する。

 そして置き忘れていたバッグを手に取った。


「なんだそれ」

「昨日着てた服」

「……」


 警戒心がなさ過ぎる。

 俺が紳士だったらクンクンしてたぞ。


「あのさ」

「何?」

「服くらい着てあげなよ。天薇ちゃん嫌がってるでしょ?」

「……」

「そういうの性的虐待って言うんじゃないの?」

「……すみません」


 最後にお叱りの言葉を残して出ていく芽杏。

 こいつも杏音に影響されてきたのか。

 もうわからない。

 俺に不都合な言葉全てが杏音の受け入りに思えてくる今日この頃である。


「……」


 じっと横の天薇を見ると、彼女はまだ顔を赤くしていた。

 仕方ないな。


「ほら、服着たぞ」

「うん」

「で、お前はいつになったら帰るんだ?」

「わかんない」

「一週間以内には帰れよ」

「ん」


 こんなのがずっと転がってたら面倒だ。

 好きな格好で過ごせないし、飯の用意もしてやらなければならない。

 これを毎日十何年もと考えると、親ってのは偉大だな。


「ほんとにありがと」

「はいはい」


 ただまぁこうやって。

 感謝されると嫌な気持ちにはならないものだ。




 ‐‐‐




 そうこうして中間テストがやってきた。

 無事に天薇のメンタルも回復して実家に帰したため、頭の中に雑念も残っていない状態で受けることに成功。


 その結果。

 杏音の指導が正しかったのか、ただ単に俺がやればできる子だったのか、最高の成績をマークした。


「俺つぇぇぇぇ」

「お前はなろう主人公か」

「実は最強だった」

「隠す気もないくらい寄せてきたな」


 教室で小倉とそんな会話を交わす。

 今日は順位公開日だった。

 帰ってきた成績は、二百人中まさかの五十位台。

 もはや成績上位層と言っても過言じゃない感じだ。


「でも晩年百位以上のお前がよくこんなに上がったな」

「課題をやったんだよ」

「めっずらし」


 ただやっただけではない。

 答えを移すやっつけ作業じゃなくて、本当に一問ずつ解いたからな。

 俺一人じゃこうはいかなかっただろう。

 全てはやはり孤高魔女のおかげ……そう、孤高なのだ。

 ハイスペックなのは事実だったらしい。感謝しておこう。


 なんて浸っていると、担任が歩いてくる。

 顔はいつになく無表情だ。


「宮田、職員室に来い」

「何でですか?」

「話があるからだ」


 そりゃそうだろうけど。

 俺が聞きたいのはなんの話かって事なんだが。

 不穏に思いつつ、拒否権もないため俺は溜息を吐いた。



 ‐‐‐



「よくやったな」

「へ?」

「なんだ間抜けな声出して」

「怒られる事しか想定してなかったので」


 開口一番にお褒めの言葉をくれた担任に、俺は動揺する。


「みんな褒めてたぞ。課題も遅ればせながらきちんと提出。書き込みも良かったしな」

「はぁ……」

「まるで夜月杏音みたいな解答作りだって」

「……」


 ぼっちな拗らせJKである面ばかり見ていたが、本当に教員からの評価は高いんだなあの人。

 杏音みたいだと言われて、若干嬉しかったのは内緒だ。


「なんだにやけて」

「いえなんでも」

「夜月さんみたいって言われたのがそんなに嬉しいのか? 可愛いしな~あの子は」

「……絶対に本人には言わないでくださいね」

「随分と殊勝だな。気持ち悪い」


 教員が生徒に発する言葉では絶対にない。


「どうしよっかな~。お前には手を焼かされてるからな~」

「靴でも舐めるので許して下さい」

「ふん。靴くらいで許すと思ってんのか」

「じゃあ足の指も舐めますから」

「気持ち悪い事言うな」

「仕方ないでしょう。それだけあの人には伝えてほしくないんです」

「……はいはい。今回の頑張りに免じてただで許してやるよ」

「マジですか!? よかった~、口の悪い女性の足を舐める趣味はないですからね。安心しました!」

「やっぱり舐めるさせるぞクソ坊主!」


 怒鳴る先生を無視して俺は逃げ帰る。

 今日は上機嫌なのだ。

 このまま帰宅して余韻に浸っていたい。


 爆足で階段を駆け下り、玄関口に直行。

 靴を履いて駐輪場にやってきた。

 自転車に跨ったところで、そういえばと思い出す。


 芽杏はどうだったのだろうか。

 自分の成績に夢中で、同じクラスにいた奴と話すのを忘れていた。

 同じく杏音に指導を受けた彼女だし、多分いくらか成績は上がったはずだが。


「まぁいいや、今度聞けば」


 俺はそんな独り言を吐きながら自転車を発進させる。

 杏音への報告もしたいが、後日で良いだろう。


 とにかく一月末の今日は、久々にとてもいい日だった。

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