第25話

「ただいま……」

「あ、お兄ちゃん」


 力なく、倒れ込むように実家へ帰ると玄関にはちょうど天薇が居合わせた。

 珍しく髪をサイドテールにしている。

 どこかへ遊びに行っていたのだろうか。


「ちょっといいか?」

「え、なに?」


 玄関に立ったまま天薇を呼び、そのまま抱きしめる。


「ちょ、ちょちょっと、なにしてるの!?」

「ごめん」


 髪を撫でながら、今日一日のストレスを癒してもらう。

 無駄に体温の高い妹の身体というのはいいもんだな。


「……なにかあったの?」

「まぁ、色々」

「そっか」


 少し前は許してくれなかった。

 というか俺も当時は中学生で、妹に抱き着くなんて恥ずかしくてできなかったし。

 ただ別の家に住み、顔も見なくなるとお互いに変わるもんだな。


「ながい……」

「ごめん」


 流石に抵抗されたため、腕を解く。

 と、そのまま彼女は走ってリビングに消えてしまった。

 いちいち反応が可愛いものだ。

 同じ家で長く暮らしていると妹の一挙一動に腹が立つものだが、距離を置くと見違えるように可愛く見える。

 いや、会ってない間に俺が完全に拗らせただけかもしれないが。


 大きくため息を吐きながら、俺はそのまま自室へ直行した。

 少し一人で考えたかったからだ。


 その時、俺は廊下の壁で一連を盗み見ていた女の存在に気付いていなかった。




 ‐‐‐




 もやもやしていた。

 ここ数日のモノではなく、今日感じた新たな違和感だ。


「なんでだろう」


 自分の胸を触る。

 異常なくらい静かな鼓動が伝わってくるだけだ。

 頭はぐちゃぐちゃなはずなのに、感情に引きずられる事なく心臓は正常に波打つ。

 いや、むしろ正常とは言わないが。


 違和感とは端的に言うと、ドキドキ感の無さだ。

 一気に安っぽくなったが、他に言語化が難しいため勘弁してほしい。

 俺は文豪でも何でもないのだ。


 違和感を覚えたのは芽杏と二人っきりで会話をした後の事。

 芽杏がトイレに席を立った直後に、何事もなくスマホをいじろうとした自分に驚いたのだ。


 会話の最初の方はドキドキしていたが、気づいたら自分でも驚く程に冷静になっていたらしい。

 恥ずかしながら、俺は今まで芽杏と二人きりでいると胸がドキドキして仕方がなかった。

 好きな女の子といるのだから当たり前だが、今まではそういう反応が体に見られた。


 別に小倉と付き合い出すまでの話ではない。

 平静を装っていたが、掃除時間に話した時も、俺の家にやってきた時も、そしてこの前の公園で遊んだ時でさえ、俺は秘かに興奮していた。

 それなのに。

 何故かさっき何も感じなくなった。


 おかしいのだ。

 今日の芽杏はかなり弱っていた。

 杏音には冗談めかして言ったが、正直好きだった女子が弱っていると気にはなる。

 当然ドキドキするはずだった。

 でも、俺の心臓は反応しなかった。

 心臓は愚か、汚い話だがいつもは無意識に反応する下半身だって何の動きも見せなかったのだ。


「まさか、ED?」


 冗談めかして呟いてみる。

 恐らくそういう症状ではない。

 ただ単にときめかなくなってしまっただけだ。


 なんて考えていると、急にドアが開く。

 皮肉なことに爆足で脈打ちだした心臓と共に、驚いて背後を見るとそこには姉の姿が。


「ノックくらいしろよ」

「ごめん。そっか、お年頃だもんね」

「いちいちそういう事言ってくんな」


 背筋を伸ばし、俺は佇まいを治す。

 と、いつも通り隣に座ってくる姉ちゃん。

 距離感の近い奴だ。


「さっきEDとか聞こえたけど」

「……盗み聞きやめろよ」

「それは謝る。でもね、本当に心配なの」


 ガチトーンで顔を覗かれ、気恥ずかしくなって頬を掻く。

 確かに朝もあれだけ心配されて出て行って、帰ってもこんな態度じゃ気にもなるわな。


「で、ほんとに勃たなくなったの?」

「……冗談だよ」


 下ネタやめろよーなんて軽口を叩くテンションではない。

 真面目に心配している姉に対し、俺も普通に疲れている。

 心身共にな。


「話聞いてくれる?」

「わたしでよかったらもちろん」

「姉ちゃんに聞いてもらいたいんだ」


 珍しくストレートな俺の言葉に姉は苦笑した。


「はいはい。で、どうしたの?」

「ときめかないんだ」

「……え?」

「好きだった子と一緒に居ても、胸が……脈拍が変わらないんだ」

「好きだった子って、この前言ってた子?」


 クリスマス前に姉には全部言ったんだっけか。

 それなら話が早い。


「そうだよ。その子と、その姉と初詣に行ってたんだ」

「……まさか、そこでまた恋愛相談にでも乗ったの?」

「ご名答」


 答えると姉は意味不明な表情をしていた。

 割と喜怒哀楽のはっきりした人にしては珍しい顔だった。

 怒ってるようにも見えるし、心配されているようにも見えるし、同情されているようにも見える。


「もっと自分を大切にして」

「……はぁ?」


 予想外の言葉に聞き返す。


「そりゃ壊れちゃうよ。悠は自分の気持ちを抑え込み過ぎなの」

「……でも、自業自得だろ?」

「それはそうよ。でもだからと言って自分から相談に乗って死にに行く必要はないよ。それとも悠はドMなの? そんな性癖あったっけ?」

「違うよ」


 確かにそうだな。

 杏音の言わんとするところも近いのかもしれない。


「悠はその子と会って楽しい?」

「……楽しいよ」

「ふぅん」


 これは嘘偽りではない。

 例え何度恋愛相談をされ、気分が悪くなろうとも、俺はあいつといて楽しい。

 まだ恋愛的に好きなのだろうか。

 そこはよくわからないが、一緒に居て楽しいというのは事実だ。


 と、姉は俺の言葉に頷く。

 そして口を開いた。


「じゃあ付き合っちゃえ」

「……え?」

「彼女と一緒に居るのが楽しい、それなら付き合いなさい。どうせ向こうも満更ではないんでしょ?」

「……っ。なんでだよ」


 急に込み上げてきた吐き気を必死に抑えるべく俯きながら、俺は静かに反抗する。


「このままだと本当に壊れちゃうから」


 姉の言葉に、俺は杏音の姿を思い浮かべた。

 彼女の言う壊れたとは、杏音みたいな人間を指すのだろう。


「これは人として正しいとかじゃない。悠のお姉ちゃんとして、恋愛の先輩として言わせてもらうけど、中途半端な関係は終わらせなさい」

「……半端じゃないだろ、明確に終わった感情だ」

「違うと思う。絶対に深層心理ではその子の事好きでしょ? まだ」

「そんなわけないだろ!」

「じゃあ言うけど、その子とSEXしたくないの?」

「……」


 反論できなかった。

 身体の一部分が首が取れるレベルの頷きを見せるものだから、俺は黙ってしまった。

 さっきはなんの反応もしなかったくせに、ちょっとクールダウンしたらこれかよ。

 人間ってつくづくクソだな。


 姉はそんな俺を鼻で笑う。


「あんまり言いたくないけど、恋愛の行き着く先は結局性欲だと思う。本能は正直よ」

「でも……」

「まだ辛うじて悠は壊れてない。心はおかしくなってるみたいだけど、身体は正常。EDじゃないこともわかってよかったね」

「……」


 姉の理屈は分かる。

 好きなら付き合え。

 付き合う気がないのなら距離を置け、と。

 その通りだな、ド正論という以外ない話だ。

 しかし、俺にはその決心がつかない。

 そもそも関係性をはっきりさせる勇気があれば、こんなことにはなっていなかったはずだし。


「ねぇ悠」

「なに?」

「いつまでも逃げてちゃダメよ」

「そうだな」

「ま、最終的に決めるのはあんたよ。付き合うにしろ、完全に縁を切るにしろね」


 姉は、話は終わりと言わんばかりに立ち上がる。

 だから俺は去ろうとする姉を止めた。


「一つ聞きたいことがある」

「どしたの?」

「なんで俺がまた傷ついてるってわかったんだ?」


 俺の部屋と姉の部屋は離れている。

 偶然部屋の前を通って、俺のED発言(笑)を聞いたとは思えない。

 と、姉はそんなの簡単と笑って言った。


「妹に玄関先で抱き着く男子高生とか、おかしいじゃん」

「見てたのかよ」

「天薇も困惑してたよ? ちゃんと後で説明しとくんだよ。わたしフォローしないからね」

「はい」


 立ち去る姉に、俺は呆然とする。

 まさか、全部見られていたとは。

 また一つ生き恥が増えてしまった。

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