第40話 対決
伊藤カメラ店にやって来たマサルお兄さんが、店主であるおじさんに話しかけた。
「注文していたレンズを取りに来ました。確か、今日でしたよね?」
おじさんが、笑みを浮かべて頷く。
「ええ、届いていますよ、高井田さん。あのレンズ、最高ですね。私もね、カメラ屋を始めて長いですが、こんな高級なレンズを扱うのは初めてですよ。いや、素晴らしい。さあ、どうぞ、どうぞ。店内にお入りください」
おじさんが、先に店内に入って行く。マサルお兄さんも店内に入ろうとして、足を止めた。僕たちを見る。少し警戒しているように見えた。僕は、何か話しかけようと思い、口を開きかける。でも、お兄さんは僕たちを振り切るようにして、店に入って行った。話しかけるタイミングを見失ってしまう。店の外から、お兄さんの様子を伺った。カウンターで、おじさんから細長い大きな包みを受け取っていた。あれが高級レンズなんだろう。マサルお兄さんが、とても嬉しそうだ。受け取った後も、おじさんと熱心に話を交わしている。おじさんの表情が、先程とは違って真剣だ。カタログを開いて、熱心に説明をしている。きっと商売になる話なのだろう。僕は振り返り、小川を見た。
「どうするの?」
小川が、真剣な目をしている。
「良い機会だ。このまま、お兄さんを待っていようよ」
僕は、大きく息を吸った。なんだかドキドキする。これから、マサルお兄さんと、どんな話になるのだろう。視線を動かすと、太田がマサルお兄さんを睨んでいた。怒りが表情に現れている。よく見ると、小川は、そんな太田の腕を掴んでいた。動かないように押さえ付けている。小川が口を開き、小さな声で呟いた。
「太田、落ち着いてよ。ここは、僕に任せて」
小川の言葉に、僕は驚いた。素直に凄い奴だと思う。すると、小川は、僕の腕も掴んできた。その手から、小川の緊張が伝わってきた。僕は、大きく息を吐く。この後、勝負が始まるんだ。三人で、力を合わせなきゃいけない。そんな気持ちが、僕の中からふつふつと湧いてきた。
買い物が終わったマサルお兄さんが、おじさんにお辞儀をする。包みを持って、振り返った。出入り口に向かって歩いて来る。入り口で待っている僕たちに、視線を向けた。
「まだ居たの。このカメラ屋に用事なの?」
マサルお兄さんが、僕を見る。でも、緊張して声が出なかった。そもそも、なんて切り出したら良いのか分からなかった。小川が、僕から手を離し、前に躍り出る。似顔絵を指さして、マサルお兄さんに話しかけた。
「この貴子お姉さんの似顔絵で、おじさんと話し合っていたんです」
マサルお兄さんが、その似顔絵を見つめる。見つめたまま、呟いた。
「この絵も、寺沢先輩が描いたんだ……」
小川が、お兄さんの言葉尻をつかんだ。
「ええ、この絵も、ジョージが描いたんです。お兄さんは、他の絵もご存じなんですか?」
マサルお兄さんが、驚いたように小川を見た。
「なに、急に……」
二人が見つめ合う。マサルお兄さんは、視線を外すと、背中を見せた。その場を立ち去ろうとする。僕は、慌てて呼び止めた。
「あの、お兄さん……」
お兄さんの足が止まった。振り返る。
「なんだい。僕も忙しいんだけど」
「いや、だから、その……」
言葉が続かない。そんな僕の肩に手を置いて、小川が前に出た。
「先程、貴子お姉さんと会っていたんです」
マサルお兄さんが息を呑む。目が大きく広がった。
「た、貴子が、どうかしたの?」
「悲しんでいました」
小川の言葉に、お兄さんが固まる。首だけを動かし、小川の事を冷たく睨んだ。
「へー」
お兄さんの視線を、小川も睨み返す。小川が、畳みかけた。
「ねえ、お兄さん。他の絵って、どんな絵なんですか?」
お兄さんが、忌々しそうに息を吐く。
「他の絵って……それが、貴子と何か関係があるのかな?」
「いや、お兄さんなら、貴子お姉さんが悲しんでいる理由を、知っているんじゃないのかなと思いまして」
お兄さんが、小川を尚も睨みつける。
「君、何が言いたいの? 僕に、何か言わせたいの?」
「力になって下さいよ。貴子お姉さんが、悲しんでいるんですから」
睨み合ったまま、暫く沈黙が続いた。マサルお兄さんは大きく深呼吸する。
「貴子の事は、僕は僕で助けるから。じゃ……」
立ち去ろうとしたマサルお兄さんに対して、太田が怒鳴った。
「コラ! 逃げるんか?」
お兄さんの足が止まった。振り返る。
「何なんだ、君たちは!」
怒った顔のお兄さんを睨みながら、太田が前に出る。小川の肩を掴んだ。
「小川、お前は、回りくどいんじゃ。ほんとに、イライラする」
太田が、お兄さんを睨みつける。唾を飛ばして叫んだ。
「貴子お姉さんの肖像画が盗まれたんや。犯人は、お前やろう!」
マサルお兄さんの、目が明らかに動揺した。
「な、何を言っているんだ。勝手に絡んできて、急に、怒鳴り出して……」
太田が、胸を張って、お兄さんを見下ろす。
「俺は、見た。お前の家にあるドロドロの靴を」
お兄さんが、大きく息を吸い込む。
「何を言っているのか、分からないんだけど」
太田が、ニヤリと笑う。
「盗まれた犯行現場には、ドロドロの靴の足跡が残っていた。お前の家のドロドロの靴が、証拠だ」
お兄さんは、大きく息を吸った。
「勝手に人のことを泥棒呼ばわりしているけれど、君の靴は何だね。それもドロドロじゃないか」
太田が、驚いたように俯いた。自分の靴を確認する。確かに、泥で汚れていた。
「こ、これは……」
意外な切り返しに、太田が詰まる。
「本当に何のことか分からないんだけど、靴が泥で汚れていたら、君も犯人の可能性があるんじゃないのか?」
太田が、叫ぶ。
「俺は、違う!」
「違うっていう、証拠はあるのか?」
「証拠?」
「ああ、証拠だよ。下手な推理で、僕を泥棒呼ばわりするのは、やめてくれないか」
小川が、太田の手を掴んだ。太田の前に出る。
「泥棒呼ばわりしてすみません。僕達、盗まれた肖像画を探して、調べている所だったんです」
マサルお兄さんが、忌々し気に小川を見る。
「どいうつもりか知らないけれど、し、失礼だよ。君たち」
小川が、頭を下げる。その上で、お兄さんに質問した。
「昨晩は、どうされていましたか?」
「昨晩! なに、僕のアリバイ?」
「ええ、聞かせてもらえれば、嬉しんですけど……」
お兄さんが、小川を睨みつける。
「君たちは、警察か何かのつもりなの?」
太田が、口を開いた。
「俺たちは、少年探偵団や!」
マサルお兄さんが、目を開く。太田を見て、笑い出した。
「アッハハハハ……少年探偵団。なんなんだ、それ。子供の遊びには付き合ってられないよ」
その時、お客さんがやって来た。マサルお兄さんを見ると、気軽に話しかけてきた。
「あら、マサル君。どうしたの? 楽しそうに笑っているけれど……」
マサルお兄さんが、振り向く。その女の人を見て、嬉しそうな表情を浮かべた。
「いえ、ちょっとね。どうしたんですか? カメラ屋に用事ですか?」
「ええ、休み時間を利用してね、写真の現像をお願いしに来たの」
「そうなんですか。昨日は、遅くまですみません。餃子が美味しいから、毎日でもお店に行きたいくらいです」
「あら、嬉しいわね。そうそう、困ったことがあったら、お姉さんに何でも相談しなさいよ」
「ええ、その時は宜しくお願いいたします。また、閉店まで、居座るかもしれませんよ」
「マサル君なら、大歓迎よ。いつでも、いらっしゃい。じゃあね」
その女の人が、伊藤カメラ店に入って行った。マサルお兄さんが、僕たちを見る。
「昨日はね、商店街にある中華の天津に閉店まで居たんだ。これが、僕のアリバイ」
僕たちは、マサルお兄さんを見た。次の言葉が、出てこない。小川が、絞り出すように、質問した。
「天津を出てからは、どうされましたか?」
「しつこいな、君も。寝たよ。君たちも、寝るだろう。何なら、僕の親にでも会って聞いてくれよ。この僕が、家で寝ていたかどうかを。じゃ、忙しいから、僕は失礼するよ」
マサルお兄さんは、急ぎ足で、この場を立ち去った。僕たちは、そんなお兄さんを見送る事しか出来なかった。太田が、叫んだ。
「クッソ!…………ごめん。俺が勇み足やった」
小川が、太田の背中を撫でた。
「太田は、悪くないよ。僕こそ、追い詰めることが出来なかった」
僕は、二人に視線を注ぐ。
「僕こそ、何も出来なかった。ごめん」
小川が、クスクスと笑う。
「ドラマのようには、上手くいかないな」
太田が、小川を見る。
「なんやねん、ドラマって?」
「刑事コロンボ。ちょっと意識して、迫ってみたんだけどね」
僕は、小川を見た。
「どうする。これから?」
小川が、空を見上げる。
「そうだな~、逃がした魚はデカかったな~。正直、次の手が思い浮かばない」
僕たちは、ため息をつくことしか出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます