第38話 どうして?

 秘密基地を出た僕たちは、一旦解散することにした。プールバックを家に持ち帰り、食事をするためだ。家族と一緒に冷やしソーメンを食べた僕は、二階の子供部屋に向かう。表通りに面した窓を開けると、桟に凭れかかった。見るともなく表を眺める。ぼんやりと肖像画の事を考えていた。小川は、勝お兄さんが犯人だと断定した。あの肖像画の事を知っているのは、僕たち以外に勝お兄さんしかいない。確かにそうなんだろう。でも、どうして盗んだのだろう?


 勝お兄さんは、貴子お姉さんの事をいつも心配している。僕が、ジョージを追い出したいと思ったとき、力になってくれた。結局は追い出すことが出来なかったけれど、その事で僕はジョージと再び仲良くなることが出来た。対して、勝お兄さんはどうだっただろう。力を貸してくれたのに、結局、恥をかかせることになってしまった。貴子お姉さんに「帰って!」と言われた時、とても辛かったと思う。あの事を思い出すだけで、何だか胸が苦しくなった。一方的に、勝お兄さんを非難する気持ちが湧いてこない。釈然としない気持ちを抱えたまま、ため息をついた。


「おーい、小林」


 通りの向こうから、太田と小林が自転車に乗ってやって来る。窓から顔を出している僕を見て、太田が手をあげた。僕も手を上げる。


「いま、下りる」


 部屋を飛び出して、階段を駆け下りた。靴を履き、玄関を出る。僕の家の前に自転車を止めた二人が、目を光らせて立っていた。太田の鼻息が荒い。気持ちが高ぶっているようだ。僕の背中に手を回す。


「なんや、ワクワクするわ。貴子さん、俺たちの推理を聞いたら、ビックリするやろうな」


 推理をしたのは小川なのに、太田が興奮している。お姉さんに聞いて欲しくて仕方がないようだ。小川を見ると、そんな太田の様子を見て、肩をすくめていた。でも、小川もなんだか落ち着きがない。僕は、隣の西村家の前に立つ。指を伸ばして、呼び鈴を押した。


 ピンポーン!


 軽やかな呼び鈴の音が、家の中で鳴り響く。


「はーい」


 おばさんの元気な声が帰って来た。玄関が開けられる。


「あら、ヒロ君。それに、お友達の皆さんも……」


 僕は、頭を下げた。


「こんにちは。お姉さんにお伝えしたいことがあって……」


 おばさんが、目を丸くする。


「あら、そうなの。ちょっと待ってね、呼んでくるから」


 おばさんが消えると、家の中から階段を上る音が聞こえた。


「貴子、ヒロ君たちが来られたわよ」


 元気なおばさんの声が聞こえてくる。暫くして、玄関の扉が開けられた。貴子お姉さんが、顔を出す。僕たちを見て、微笑んでくれた。


「いらっしゃい。肖像画の事かな?」


 僕たちの来訪の意味を察してか、お姉さんが先に切り出した。僕は、顔を曇らせてしまう。結んだ口を開いて、僕は言葉を絞り出した。


「……実は……肖像画が盗まれてしまったんです」


 貴子お姉さんが、目を大きく開けた。驚いた表情のまま呟く。


「どういうこと……」


 太田が僕の肩を掴み、身を乗り出した。


「今日、秘密基地に行ったら、無くなっていたんです。でも、犯人は分かってる」


 自信満々な太田を見て、お姉さんが眉間に皺を寄せる。僕たち三人の顔を順番に見つめる。


「ちょっと狭いけれど、家に上がってよ。話を聞かせてちょうだい」


 お姉さんが、玄関の扉を大きく開いた。僕たちを招き寄せる。家の中にいるおばさんに向かって、声を張り上げた。


「ちょっと、お母さん。居間を使うね」


 僕たちは、一階の居間に通される。畳が敷かれた和風の部屋で、漆塗りのおおきな座卓が据えられていた。座卓を囲むようにして座ると、おばさんが麦茶とドーナツを用意してくれる。僕は、頭を下げた。


「ありがとうございます」


 おばさんが、微笑む。


「良いのよ。貴子が元気になったのは、貴方たちのお陰なんですから。ゆっくりしていってね」


 おばさんが居間を出ると、シーンと空気が張り詰めた。僕たちは、無言で見つめ合う。太田は正座をしながら、背筋をピンと伸ばしていた。緊張したまま、お茶に手を伸ばすことも出来ない。僕にしても小川にしても、言い出しかねていた。貴子お姉さんが、そんな僕たちを見つめて、ゆっくりとほほ笑む。


「そんなに緊張しなくても良いのよ。……肖像画が無くなったのよね」


 太田が、身を乗り出した。堰を切ったように喋り出す。


「そうなんです。俺たち、今日、学校でプールだったんです。ビーチボールで遊んで、その……プール開放日だったから、学校に行っていたんです。その帰りに、秘密基地に寄ったら、裏庭がドロドロで、バスの中も足跡があって。それで、一番後ろの座席に、お姉さんの肖像画を王女様みたいに飾っていたんです。そしたら、その肖像画が無くなっていて、床には肥後守が落ちていて。多分、俺の推理では、お兄さんが犯人じゃないかと思うんです」


 僕は、太田を肘で突いた。太田が、背筋を伸ばしたまま、僕を見返す。太田は、汗をかいていた。一気に喋った所為か、少し疲れている。大きく深呼吸をした。僕は、貴子お姉さんに補足の説明を始める。


「昨日、僕たち、ジョージに会いに行ったんです」


 お姉さんが、目を開く。


「ジョージ、元気にしていた?」


「いえ、もう居ませんでした」


 お姉さんが、寂しそうに眼を落した。


「そう、早いわね。ジョージ、もう、居ないんだ……それで、お兄さんが犯人って、もしかして、勝お兄さんの事?」


 僕は、困ったような表情を浮かべる。


「まだ、そうと決まってはいませんが、その可能性が高いかなと……」


「どうして?」


「実は、昨日の夕方、秘密基地から帰るときに、勝お兄さんに会ったんです」


 貴子お姉さんが、目を細めた。


「詳しく説明してくれない?」


 僕たちは、昨日、勝お兄さんと出会ったところから話を始めた。勝お兄さんが、貴子お姉さんの事を心配していたこと。肖像画の事も心配していたこと。プール帰りに秘密基地に寄ったら、お姉さんの肖像画が無くなっていたこと。足跡が残されていたこと。刃を出した肥後守が落ちていたこと。小川の推理では、勝お兄さんの可能性が高いこと。小川と一緒に丁寧に説明した。貴子お姉さんは、僕たちの話を聞きながら、寂しそうに頷く。話が終わると、また、シーンと静まり返った。太田が、身を乗り出す。


「お、おれ、貴子さんの為に、その肖像画を取り返してきます」


 お姉さんが、驚いて太田を見る。口を開きかけて、止まった。太田は、更に身を乗り出す。興奮からか、立ち上がりそうな勢いだ。


「俺たち、ほら、少年探偵団だから……」


 太田が、膝立ちの姿勢から、グニャリと崩れる。僕に、圧し掛かって来た。


「どうしたんだよ。太田!」


 ひっくり返った太田が、顔を歪ませる。


「……足が痺れた」


 そんな、太田を見て、貴子お姉さんが笑った。


「ウフフッ……面白い子ね、太田君は」


 僕に圧し掛かったまま、太田が顔を赤く染める。僕は、そんな太田を押し退けた。お姉さんを見る。


「まだ、お兄さんが犯人と決まったわけではないんです。ただ、お姉さんには今回の状況を報告しないといけないし、どうすべきを相談をしたかったんです」


 貴子お姉さんが、大きく息を吸った。口を噤む。天井を見上げながら、息を吐いた。


「みんな、ありがとうね。私の為に一生懸命になってくれて。嬉しいわ」


 太田が、顔を真っ赤にさせながら、頭を掻く。


「いやいや、そんなことないです」


 お姉さんは、寂しそうに笑うと、僕たちを見回す。


「でもね、今回の事は、そっとして置いて欲しいの」


 僕は、目を見開いた。太田も小川も驚いている。小川が、貴子お姉さんに尋ねた。


「それは、肖像画を取り返さなくても良い……ということですか?」


 お姉さんが、ゆっくりと頷く。


「ええ、君たちの推理の通り、私も勝お兄さんの可能性が高いと思う。だから……」


 僕たちが、何も言えずにいると、お姉さんがニッコリと笑った。座卓の上に置かれているドーナッツに手を伸ばした。一つ摘まむと、太田を見る。


「はい、太田君。お口をアーンして」


 太田は、言われるままに口を開けた。お姉さんは、身を乗り出して、太田の口にドーナッツを運ぶ。太田は、顔を真っ赤にさせながら、ドーナッツをくわえた。目を丸くしている。そんな太田を見て、お姉さんが面白そうに笑った。


「アッハッハッハッ、太田君。可愛いわよ」


 太田は、緊張したまま口を動かす。その様子を見て、テニス大会での出来事を思い出した。お姉さんも意地が悪い。太田は、お姉さんに弄られているのに、分かっていないようだ。とても嬉しそうに食べている。僕たちもドーナッツを食べた。食べた後、話が発展することはなく西村家を辞することになった。お姉さんの為に肖像画を取り返そうと、気負っていただけに、なんだか力が抜けた。目標を見失ってしまう。


「みんな、ありがとう。さようなら」


 それだけを言うと、お姉さんが玄関の扉を閉めた。僕たちは、お姉さんの家の前で、立ち尽くしてしまう。小川が、呟いた。


「なんで、貴子さんは、取り返そうとしないんだろう……」


 僕は、小川を見る。


「ジョージには、『投げ出すことは許さない!』って、凄い剣幕で肖像画を描かせたのに……」


 太田が、俺たちを見た。


「貴子さんは、優しいんだ。お兄さんに、気を使っているだけだよ。だからさ……」


 僕は、太田を見た。


「どうしたの?」


 太田が、ニンマリを笑う。


「俺たちで、取り返そうぜ」


 太田が、小川を見た。


「なあ、小川。ええやろ?」


 小川が、太田を見る。


「そうやな。お兄さんで、ほぼ確定やし……やってみるか」


 太田が、僕の背中に手を回した。僕の顔を覗く。


「小林、それで、ええやんな?」


 僕は、返事をするのに、少し詰まった。貴子お姉さんの顔を思い浮かべる。寂しそうな表情だった。太田が僕の背中を叩き、急かす。


「おい、小林。ええやろ!」


 僕は、頷くしかなかった。


「分かった」


 返事をしながら、どうして気が進まないのか、自分でも分からなかった。

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