事件簿3 勝

第31話 コレクション

 人と人とが分かり合える。そんな事って、本当にあるのだろうか。お互いに仮面を被って、分かり合えている気分に、浸っているだけじゃないのか。現に、僕はこんなにも貴子のことを心配しているのに、貴子は分かっていない。昔からそうだ。


――勝手にしろ!


 そんな風に思ったことは、何度でもある。でも、貴子のことを、放ってはおくことは出来ない。どうしても、気になってしまうのだ。手を差し伸べて、何とか、お前を助けてやりたい。それなのに……。


 今回のこともそうだ。どうして、寺沢先輩のモデルになったんだ。尊敬していた先輩だけに、許せない。大体、ヤクザの娘に手を出して、追いかけられているそうじゃないか。先輩って、そんなにもふしだらな人間だったのか。そんな先輩が、貴子と接触しているなんて、心配だ。何とかしなくてはいけない。


 それなのに、貴子と来たら、全然分かっていない。お前は、先輩に騙されているんだよ。モデルになるなんて、絶対に駄目だ。お前を守りたい。


「私は、ジョージに肖像画を描いて欲しいの。お兄さんこそ、ここから出て行ってよ!」


――えっ!


 貴子のその言葉に、僕は目を見開いた。言葉が出ない。どうして、そんな責めるような目つきで僕を見るんだ。おかしいだろ……。貴子は、顔を横に向けると、先輩を睨みつける。


「私は許さない。途中で、投げ出すことは、絶対に許さない」


 貴子が震えながら、尚も寺沢先輩を睨みつける。先輩が、動揺していた。


――やめてくれ!

――どうして、そんな男に付いて行こうとするんだ。

――駄目だ。危険なんだよ、その男は。


 貴子に責められて、先輩が思案している。俯いていた顔を上げると、ゆっくりと深呼吸をした。貴子を見つめる。


「そうだね。ごめん、僕が悪かった。肖像画の制作に取り掛かろうか」


 先輩が振り向き、僕を見た。優しい眼差しをしている。なんで、そんな目で僕を見ているんだ。


「そういう事だから、高井田君、肖像画の作成を続けるね」


 煮えたぎるような怒りが、体の中を駆け上がった。


――嘘だろう!


 先輩を、睨みつける。


「良いのか! ヤクザに連絡しても、良いのか!」


 先輩は、僕を見て、小さなため息をついた。悲しい目で、僕を見る。


「お好きなように」


 頭の中が、白くなった。


「クソッ!」


 僕は、当たり散らすよにして、地面を蹴っ飛ばした。


――正しいはずの僕が、どうしてこんな扱いを受けるんだ!

――絶対、間違っている!

――悔しい! 悔しい! 悔しい!


 寺沢先輩を、睨みつけた。視線をズラして、貴子を見る。「帰れ!」と、目が訴えかけていた。正しいはずの僕が、邪魔なのか……。


 堪えきれなくなって、僕は踵を返した。大股で歩き、その場から逃げだしてしまう。悔しかった。悲しかった。貴子が、あんな男に騙されていることが、信じられなかった。寺沢先輩が、許せない。


――ヤクザに電話をしてやろうか?


 そう思った。だけど、その手段をとることに、少し躊躇ってしまう。再び、あのヤクザと関わる。そう思うだけで身震いが始まった。人を威圧することを生業とするあの人種には、出来ることなら関わりたくない。それに、貴子をあんなヤクザと引き合わせてしまうのはマズイ。やっぱり駄目だ。電話は出来ない。


 重い足を引きずるようにして、家に帰ってきた。家には、誰もいない。いつもの事だ。親父は、仕事から帰るのが遅い。日が変わってから帰ってくることも良くあった。大体、仕事が忙しすぎるのだ。たこ焼き屋から始めた商売を大きくした親父は、大手ショッピングセンターに併設されるフードコートに着目した。デベロッパーの要求に応じて、様々なファストフードを手掛けるようになる。お好み焼き、クレープ、ラーメン、カレー。頭にハチマキを巻いていた親父は、いつしか多くの飲食店を取りまとめる経営者として、背広を着るようになっていた。


 母親も、家にはあまり居ない。親父よりはマシだが、出かけていることが多い。親父が、まだたこ焼き屋だった頃は、一緒に販売を手伝っていたこともあった。しかし、会社が大きくなるに連れて、母親が現場の仕事を手伝うことはなくなった。専務として籍は置いているが、会社での仕事は少ない。母親にとって重要な仕事は、社交的な性格を活かした接待だった。お得意先とのゴルフや食事は、最も重要な仕事となっている。職場を離れても、母親の社交性は変わらなかった。生け花等、複数の習い事に通っていて、その人間関係が忙しい。同窓会の幹事は引き受けるし、僕が通っていた小学校のPTA仲間とも、今でも頻繁に付き合っていた。今日も、どこで遊んでいるのか分からない。


 そんな両親のもとで育ったけれど、僕に不満はない。それどころか、この気楽な生活を手放すなんて考えられない。親からの過度な干渉はないし、お小遣いも毎月まとまった金額をくれた。写真という趣味は、機材にしろ現像にしろ、お金がかかる趣味だけど困ったことはなかった。


 階段を登り、自分の部屋に入る。僕は、壁に掛かっている、幼い頃の貴子の写真を見つめた。僕は、貴子に語りかける。


「貴子、お前は、騙されているんだよ。本当に、何も分かっていない。小さい頃から、僕が居ないと、危なっかしくて仕方がない……」


 僕は、押し入れを開ける。中から、桐で出来た長持ちを引っ張り出した。蓋を開けると、中には様々な衣装が収められている。手を伸ばして、それらの中から麦わら帽子を取り上げた。


「貴子、お前を守ってあげるからね」


 麦わら帽子を床の上にそっと置くと、次に、白いワンピースを取り出した。麦わら帽子も、このワンピースも、壁に掛かっている写真の中の貴子が、当時、身に着けていたものだ。僕にとって、最も貴重な貴子になる。僕の原点といっても良い。この時の貴子をカメラに収めてから、写真を撮ることが大好きになった。成長する貴子の記録を残すようになる。麦わら帽子の下に、キレイに皺を伸ばしてワンピースを広げた。目を細めて、眺める。まるで貴子が横たわっているようだ。幼い貴子には、遊び相手も必要だろう。僕は立ち上がると、部屋に飾っていた熊のヌイグルミを持ち上げた。横たわっている貴子の横に置いてあげる。貴子が喜ぶことをするのは、とても気分が良い。


 そんな貴子を遊ばせながら、僕は机の引き出しを開ける。中から、一冊のアルバムを取り出した。表紙を捲る。貴子が優勝した、この間のテニス大会を収めたものだ。望遠レンズで、貴子の一瞬一瞬の仕草を撮影している。対戦相手を睨みつける、貴子の表情が美しかった。点を取られた時の、貴子が落胆する表情が愛おしかった。胸の中に、熱いものが込み上げて来る。


「貴子……」


 思わず、呟いてしまう。この大会で、納得のいく貴子の写真は、十枚程度しか残せなかった。三十六枚撮りのフィルムを五本も使ったのに、大半は使い物にならなかった。構図が悪かったり、狙った絵が取れていないのは、まだマシな方で、ブレていたり、ピントがズレている。まだまだ腕が未熟だ。それに、機材も新しいものに新調しないといけない。望遠レンズは、この間新しいものを注文したので、次はカメラ本体だ。貴子の瞬間を美しく切り取れる、性能の良いものが欲しい。カメラ屋に望遠レンズを取りに行くときにでも、店主の伊藤さんに相談してみよう。


 アルバムを交換した。次々と幼い貴子が現れて、時間が遡っていく。僕が高校三年生の時、貴子は小学五年生だった。その頃から貴子をカメラに収めるようになったので、もう四年目になる。初めの頃、貴子は素直にモデルを引き受けてくれた。あの頃が、本当に楽しかったと思う。貴子と一緒に自転車で遠出をした。後ろに乗せて、二人乗りをしたこともある。公園や河川敷に、頻繁に行った。走り回る貴子を、追いかけるようにして写真を撮った。帰りには、駄菓子屋に寄って、貴子が好きなお菓子を買ってあげる。貴子が喜ぶ姿も、カメラに収めた。今も目に浮かぶようだ。そういえば、電車に乗って遠出をしたこともあった。貴子が行きたいって言うから、動物園や水族館に足を運んだ。動物園で買ってあげた熊のヌイグルミは、貴子の一番のお気に入りになった。僕は、アルバムから目を離す。視線を移すと、目の前で横たわる貴子が、熊のヌイグルミで遊んでいた。その姿に、ウットリと目を細めてしまう。


 思い出したように、机の引き出しを開けた。小さな箱の中に、熊のキーホルダーが大切に収められている。その、キーホルダーを見て、僕は深い溜息をついた。


――あの事が無ければ、今も貴子と仲良く出来ていたかもしれないのに……。


 そのキーホルダーを手に取った。途端に、僕の中からいきり立つ衝動が込み上げて来る。下半身が熱くなるのを感じた。口の中に、赤い血の味が思い出される。鉄の味がした。

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