第30話 最後の晩餐

 ジョージが描く、貴子お姉さんの肖像画が完成した。ジョージを捕まえる為に、何時ヤクザがやって来るのか分からないので、急ピッチで行われた。それでも、二日という期間を要した。画材が鉛筆から油絵具に変わったとはいえ、短い時間でデッサンを仕上げるジョージにしては、時間を掛けたように思う。二人の様子は、真剣そのものだった。初めの頃は、お姉さんも大人しく椅子に座っていた。しかし、自分の肖像画の進捗状況が、どうしても気になったみたい。立ち上がると、ジョージの絵に質問を投げかけ、更には注文を付け始めた。ジョージは、そんなお姉さんの意見を面白そうに受け取る。素直に耳を傾けつつも、絵に対する思いをお姉さんに語り、筆を進めていった。


 デッサンの時は、強調された表情を描こうとしたジョージなのに、肖像画に描かれる貴子お姉さんは、どちらかというと落ち着いた表情だった。深みのある眼差しで微笑んでいる。太陽の光と、光の影によるコントラストが鮮明で、お姉さんが浮かび上がって見えた。ジョージの言葉を借りると、様々な苦しみを乗り越えてきた微笑みを描きたかったそうだ。確かに、貴子お姉さんは、この短期間に色々と苦しいことを経験してきた。僕は、そんな様子を、傍で見てきただけに、何だか感慨深いものを感じた。


「今晩、皆で食事をしようよ」


 ジョージは僕たちに振り向くと、人懐っこい笑顔で提案した。お姉さんが、問い返す。


「私たちと?」


 ジョージが頷く。


「肖像画が完成しただろう、記念にね……」


 納得をしつつも、お姉さんは、更に尋ねる。


「食事をしに、どこに行くの?」


 ジョージが、悪戯っぽく笑った。


「ここだよ。この裏庭で、バーベキューなんて、どうだろう?」


 ジョージの突拍子もない提案に、僕は飛びついた。


「食べたい!」


 ジョージが、僕を見て微笑む。


「小林君、良かったらお友達も呼んできてよ。沢山居たほうが楽しいだろう。時間は、六時からにしようか。それまでに、僕は買い物を済ませておくから」


 ジョージが、貴子お姉さんを見る。


「貴子さん、夜になるけど、それで良いかな?」


「ええ、良いわ。とっても楽しみ」


 出来上がった肖像画は、一旦、秘密基地のバスの中に保管することにした。買い物に行くジョージと一緒に、僕たちはスーパーダイエーの方角に向かって歩いていく。肖像画を描き終えるまでの出来事を、僕たちは懐かしそうに語り合った。話に加わりながら、僕は少し後悔をしていた。あんなにも憎かったジョージなのに、もう直ぐこの場から居なくなってしまうかもしれないからだ。急がないと、ヤクザが来てしまう。その原因を作ったのは、僕だ。ジョージも、その事は良く分かっているはずなのに、僕のことを責めようとはしない。また、逃げようともしない。それどころか、バーベキューをすると言って、張り切っている。そんなジョージの事が心配になってきた。話題が一区切りついたときに、僕は問いかけてみた。


「でも、いいの? 暢気にバーベキューをしていて?」


 ジョージが、剽軽な笑顔を向ける。


「ヤクザが、やって来るから?」


 僕は、申し訳ない表情を浮かべる。


「うん」


 ジョージが、大きく息を吸った。


「なんだかね、逃げるのに、疲れたんだ。高井田君が、昨日、僕のことを責めただろう。みんな、その通り。ガツンと頭を叩かれたような気分だった。このままでは駄目だなって、思っちゃった」


 僕は、心配そうな視線を送る。


「でも、ヤクザに掴まったら、大変なことになるんじゃ……」


 ジョージが、前を向いて笑う。


「そうかもしれないね。でも、今は、その事は重要じゃない。と言うよりも、ここを出たら、逃げ出した場所に戻ろうと思っている。ケジメをつけたいんだ」


 僕は、ジョージを見上げた。ジョージが笑っている。


「懐かしさから、僕は子供の頃に住んでいた、この街にやってきた。ひっくり返っている所を、君たちに助けてもらったし、お祭りを楽しむ事ができた。それに、貴子さんの肖像画を満足いく形で仕上げることが出来た。とても楽しかったよ。でもね、ここは僕が居るべき場所ではないんだ」


 ジョージが、少しはにかんだ。


「今はね、君たちに何かを返したい。そんな気持ちで一杯なんだよ」


 スーパーダイエーでジョージと別れると、僕はお姉さんと一緒に家に帰った。家に帰るなり、僕は電話のダイアルを回す。太田や小川に、バーベキューのことを連絡した。急なことだけど、二人は快く参加に応じてくれる。太田は、他に参加できそうな奴に連絡をしてみる、と言ってくれた。


 集合の三十分前になった。僕は、貴子お姉さんを迎えに行く。西村家の家の呼び鈴を押した。


 ピンポーン!


「貴子ー、きっとヒロ君よー」


 家の中から、おばさんの元気な声が聞こえてきた。気軽に呼び鈴を押している自分に驚いた。予告状を渡しに来たとき、お祭りに連れ出そうとしたとき、ドキドキしながら呼び鈴を押したことを思い出す。少しはお姉さんに近づけたような気がした。


 カチャ!


 玄関の扉が開いた。ジーンズに履き替えたお姉さんが、僕を見て微笑む。


「行こっか」


 僕も、笑顔を返した。


「うん!」


 日は傾き始めているけれど、まだまだ明るい。僕もお姉さんも、自転車を引っ張り出した。サドルに跨がり、ペダルを漕ぎだす。流れる風が、僕たちの頬を撫でていった。


 カナカナカナカナ……


 ヒグラシが鳴いていた。寂しい音色。もうすぐ日が落ちる。暑かった世界が、少し涼しくなった。廃墟の工場を横目に走り続ける。有刺鉄線が破れた箇所に到着した。自転車を乗り入れ、裏庭に向かう。肝試しに参加した、皆が到着していた。太田に小川、マナブに二宮、加藤に坂口。ジョージが用意した火を囲んでいる。どこから見つけてきたのか、大きな鍋の中に炭を入れて、即席のバーベキューコンロが用意されていた。ジョージが立ち上がる。


「みんな揃ったね。じゃ、各自、ジュースを用意して、乾杯をしよう!」


 色々なジュースが用意されていたけれど、僕はコカ・コーラを手に取った。皆が、ジュースの入ったコップを手にしたことを確認すると、ジョージが音頭をとる。


「肝試しに来ていた皆を驚かせてしまった出会いだったけれど、今日、このように集ってくれたことが、とても嬉しい。君たちの輝かしい未来に、乾杯!」


「乾杯!」


 コップを掲げた。僕は、コカ・コーラを一気に飲んだ。今回は、咽ていない。そんなことに喜びながら、箸を取った。網の上に、次々と肉をのせていく。肉を取り合いながら、肝試しの話をした。ジョージが死にかけていた話をした。予告状の話をした。川添まつりでの、ジョージの似顔絵の話をした。皆で、和気あいあいと笑い合う。太田がジョージに問い掛けた。


「ジョージ、貴子さんの肖像画、出来たんだよな?」


 ジョージが、微笑む。


「ああ、完成したよ」


 僕は、立ち上がった。


「僕、取ってくる」


 箸を置いて、バスに向かった。中から、貴子お姉さんの肖像画を運び出す。太陽は沈みかけていて、裏庭は暗かった。絵を鑑賞するには、十分な明るさではない。でも、肉を焼く炭の淡い光に照らされて、貴子お姉さんの肖像画が浮かび上がった。現実と夢の狭間で、貴子お姉さんが優しく微笑んでいる。


「へー、なんだか不思議」


 加藤裕子が、呟いた。太田が、加藤に問い掛ける。


「なにが?」


「だって、生きているみたい。向こうの世界から、こっちを見ているような気がする……」


 小川が、そんな加藤に悪戯っぽく笑いかけた。


「もしかすると、幽霊だったりして……。中から出てくるんじゃない?」


 加藤が、顔を歪める。


「やめて! 今日は、怖いのはなし」


 加藤が顔をふくらませると、みんなが笑った。加藤は、そんな笑い声は他所にして絵に近づいていく。


「でも、貴子お姉さん、本当に綺麗よ」


 貴子お姉さんが、微笑む。


「ありがとう。ジョージさんが、肖像画を描きたいって言ったときは、ビックリしたけれど、受けて良かったわ」


 加藤が、貴子お姉さんに近づき、横に座った。


「ねえねえ、モデルになるって、どんな気持ちだったんですか?」


「どんな気持ち……そぉねー」


 お姉さんが、ジョージを見つめる。


「泣かされて悔しかったり、殴りつけたい気持ちかな……」


 加藤が、ビックリしてお姉さんとジョージを交合に見つめた。


「えっ、どういうこと、何があったの?」


 お姉さんが、クスクスと笑う。


「ジョージさんって、覗き趣味があるから、モデルになるんなら気をつけた方が良いわよ」


 加藤が、興味津々にお姉さんに顔を寄せた。


「何か、イヤラシイことをされたんですか?」


 お姉さんが、悪戯っぽっく笑う。


「聞きたい?」


 加藤が、激しく頷いた。お姉さんは、胸を張って、演劇の俳優のように右手を前に伸ばす。


「この僕に、君の全てを捧げて欲しいー、って言われるわよ」


 加藤が、口に握りこぶしを当てて、お姉さんを見つめた。


「告白されたんですか?」


 お姉さんが、声をあげて笑う。


「アッハッハッ、告白とは、ちょっと違うのよね。ただの覗き趣味よ。要は、イヤラシイの」


 堪らずに、ジョージが苦笑した。


「イヤラシイとは、酷いな~。僕は、絵に対しては真剣なつもりなんだけど……」


 頭を掻いているジョージを見て、皆が笑った。太田が、ジョージに問いかける。


「なぁ、ジョージ」


 ジョージが、大田を見る。


「なんだい?」


「この絵は、どうするんや?」


「この絵は、もう、僕の手から離れた。貴子さんのものだよ。大体、浮浪者の僕では持ち歩けないよ」


 太田が、驚いた表情を浮かべる。


「持ち歩けないって、ここから出ていくんか?」


 ジョージが、空を見上げた。大きく深呼吸をする。


「そうだなー、もう、潮時かなって思っている」


「えー、折角仲良くなったのに……」


 太田の不満気な表情を見て、ジョージが微笑んだ。


「ありがとう。そう言ってくれるだけで、嬉しいよ」


 ジョージの言葉に、僕は胸が押しつぶされそうになる。僕は、頭を下げた。


「ごめん。僕が悪いんだ……」


 ジョージが、僕を見る。


「小林君、立ってないで、横に座りなよ」


 僕は、持っていた肖像画をバスにもたせ掛けると、ジョージの横に座った。盛り上がっていた空気が沈んでいる。皆は知らないけれど、僕がジョージを追い出したようなもんだ。なんだか居た堪れない気持ちになってしまう。そんな中、ジョージが僕たちを見回した。


「僕はね、ヤクザから逃げていたんだよ」


 ジョージの言葉に、みんなが顔を上げた。驚いた表情で、ジョージを見つめる。暫く沈黙が続いた。ジョージは、ジュースを手に取ると、一口飲む。僕たちが見守る中、ゆっくりと語り始めた。


 ジョージは、キャバレーという世界で黒服という仕事をしていたそうだ。お客さんの為に、お酒を用意したり接客をする。ところが、店の支配人の要望で、ジョージは舞台に上がることになった。舞台の上で似顔絵を描き、お客を笑わせる芸を身に付ける。場数を経験することで、その芸は段々と磨かれていった。


 そうした中で、一人の女性と出会う。彼女は、キャバレーの人気ホステスだった。お互いに強く惹かれ合い、二人の距離は近づいていく。ところが、一つ大きな問題があった。彼女は、ヤクザの親分の女でもあったのだ。


 隠れるようにして付き合う二人を、引き裂くような事件が発生する。ジョージは、その時に、逃げ出してしまった。それ以来、身を隠すように、各地を放浪する旅が始まる。北海道まで自転車で逃げたけれど、また、大阪に帰ってきてしまったのだった。


「ずっと、踏ん切りがつかなかった。でも、今回のことでスッキリした。逃げていては駄目なんだ」


 太田が、ジョージに問いかける。


「じゃ、その彼女に会いに行くのか?」


「うん。過去の自分にケリをつけてくる」


「そうかー、じゃ、仕方がないなー」


 太田が、ジョージの肩に手を置いた。


「ジョージ、頑張れよ!」


 太田の気安い励ましに、僕たちは笑った。深刻だった空気が、なんだか明るくなる。小川が、皆に呼びかけた。


「なあ、花火をしようよ?」


 坂口直美が、目を輝かせる。


「花火、持ってきたの?」


 小川が、意地悪な笑みを浮かべた。


「この間は、坂口が泣いたから、出来なかっただろう……」


 坂口が、小川を睨んだ。


「泣いたことは関係ないでしょう。でも、持ってきてくれたのは、嬉しい」


 太田と小川が、荷物から花火を取り出す。手持ち花火や、噴き出し花火が、沢山詰まっていた。女の子たちは、手持ち花火に火を付ける。噴き出す火花を見て楽しんだ。その横で、太田は噴き出し花火に火を点ける。白い炎が噴き出して、赤や緑の小さな火花がパチパチと弾け飛んだ。世間から隔離された裏庭に、笑い声が溢れかえる。暗かったはずの空間が、今だけは、明るく染め上げられた。そんな様子を、見ていたら、ジョージが僕の傍にやってきた。


「ねえ、小林君」


 僕は、ジョージを見上げる。


「なに?」


「君の気持が、貴子さんに届くことを祈っているよ」


 僕は、目を開く。ジョージが、僕にウィンクをしてみせた。僕は、顔が真っ赤に染まるのを感じた。ジョージは、僕の事を、ずっと見守ってくれていたんだ……。そう感じると、ジョージを憎く思っていた自分を恥じると同時に、何だか感謝したい気持ちが込み上げてきた。思わず、ジョージのシャツの裾を掴んでしまう。ジョージは、僕の背中を、ポン! と叩いた。


 全ての花火が燃え尽きた。賑やかだった宴が終わりを迎える。ジョージが、貴子お姉さんに呼びかけた。


「貴子さん」


 お姉さんが、振り返る。ジョージの事を、黙って見つめた。


「ありがとう」


 ジョージが、頭を下げる。お姉さんが、微笑んだ。


「ううん。私こそ、ありがとう。引っ張り出してくれて……とても楽しかった」


 ジョージが、顔を上げる。


「いっぱい、君を傷つけるようなことを言った……ごめん。肖像画は、記念に受け取って欲しい」


「ええ、ありがとう。大事にする。でも、ちょっと大きいね」


「自転車だと危ないから、今日の所は、バスの中にでも置いておいたら?」


「うん、そうする」


 僕は、お姉さんの肖像画を持ち上げた。


「置いてくるね」


 肖像画を両手で抱えて、バスに向かった。運転席の後ろに、もたせ掛ける。みんなの所に戻ると、自転車が置いてあるところに屯っていた。僕たちはそれぞれの自転車に跨る。これが最後の、お別れなんだ……。僕は、振り返った。ジョージに呼びかける。


「さよなら。また、会えるよね!」


 ジョージは、僕たちに向かって、大きく手を振ってくれた。


「さよなら。またね!」


 皆の自転車が、次々と走り出していく。僕もペダルに足を掛けた。振り返っても、振り返っても、ジョージは手を振っていた。その度に、僕も手を振った。


 次の日から、ジョージは宣言通り、居なくなってしまった。ジョージが居た痕跡として、貴子お姉さんの肖像画と、お姉さんが一杯描かれたクロッキー帳のデッサン画が残された。お姉さんの所有物になるけれど、まだ、秘密基地に保管されている。


「本当に、居なくなってしまったな」


 バスの一番後ろで、ジャンプを読みながら、太田が呟いた。僕は、顔を上げる。


「ホンマに……外のサイクリング自転車もなくなっていたよ」


「思い返すと、ジョージって、本当に怪人二十面相みたいな奴やったな」


 僕は、笑う。


「お爺さんから、お兄さんになったり。学校に忍び込んだり、予告状も書いたしな」


 太田が、真面目な表情を浮かべる。


「最後に、ジョージの正体が分かったということは、少年探偵団の勝利ってことやんな?」


「勝利かどうかは分からんけど、また、会いたいな」


「また、会えるんとちゃうか……」


「そうやな……」


 バスの窓から、風が流れ込んでくる。振り向くと、窓の外に、昨日の宴の場所が見えた。

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