憧れる

俺は、走る。

バスを飛び降り、コンクリートを蹴り。

門を抜け、リノリウム張りの廊下を走る。


--


「おまえ、いいよな、ビョーキ」


それが、最初にくーちゃんからかけられた言葉。

少し体調がいいからと出た体育。

張り切りすぎて体調を崩して、うずくまった私に、そんな追い打ちのようなこと。


当然、先生からは叱られ。

それでも、休み時間になるたびに保健室のベッドを訪ねてきた。


身体も丈夫で、足も速くて、明るい人気者。らしい。

そんなくーちゃんが、暇をみつけては訪ねて来るのは、はっきりいって迷惑だった。


「飯は何を食ってるのか? 好き嫌いは?」


「好きな本は? 教科は?」


「フロではどこから身体を洗う?」


私の拒絶は、当の本人にはどこ吹く風のようで。

来るたびに私を質問攻めにした。


一つ答えるたび、私は「そんなことだから」となじられているような気分になった。

弱いくせに、努力を怠っていると。

一つ一つ、確かめるようになぶられるような。


でもそれでも、それはホントのことだから。

じっと耐えるしかなかった。


今にして思えば。人気者を侍らせているという優越感を手放したくなかったのだろう。

ただ普通な私が、普通でない気分になれる一時を。




そんな日が、毎日のように続いて。

もはや足が速いことがステイタスにならないようなお年頃。


ご丁寧にも、私が学校に通わない日があれば、

プリントを届けるという名目で私の部屋に上がり込むことが常となっていた。


その日もそんな、なんでもない日のはずだった。


部屋を訪れたくーちゃんの顔には、血の気がなかった。


「よぉ、いー坊、元気か? ほれプリント」


「くーちゃん!? すごい顔色だよ!?」


「あぁ? あぁ。なんでもねぇよ」


「なんでもなくないよ?!」


慌てて、ベッドの半分を差し出そうと身体を起こそうと。


「だから、なんでも無いんだよ」


「なんでもないって、そんなワケーー」


「なにんも無いんだよ」


起こそうとした身体を、ベッドの端から伸ばされた手に、やんわりと止められる。

進学したころから、ずっと付けているNIKEのリストバンド。


「お前がぶっ倒れた日から、ずっとお前が羨ましかった」


「でも、何やっても、全然なんにも変わんなくて」


「あぁ、お前、良いよな、病気」


くーちゃんが、何に悩んで、何を思いつめているのか。

聞かれてばっかりだった私には、何一つわからなかったけれど。

それでも、心の底から、私のことを羨んでいることだけは、わかった。


「ーー。じゃあ、競争だね」


「……はぁ?」


「競争。私はくーちゃんが羨ましいし、くーちゃんは私が羨ましいんでしょ? だから、競争」


「何の」


「なりたい自分になる競争」


くーちゃんの頬に手を当てる。

彼女の、青い顔に、少しでも熱が伝わるように。


「どっちが勝っても、お祝い言おうね?」


--


私は、走る。

バスを飛び降り、コンクリートを蹴り。

門を抜け、リノリウム張りの廊下を走る。


思い出すまでもない、その番号のドアを開ける。


彼女の親類。

それに、主治医の先生。


彼らが囲むベッドには、あの子が。

満足したみたいに、微笑んだまま眠って。


その手をとって、彼女にだけ聞こえる声で。


「ーーおめでとう」

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