36:これまでもこれからも

 と、漫画を描きながら、あれこれ思考を巡らせていたら。


「相変わらずこんな漫画ばっか描いてて、ホント孔市やらしーわね」


 朱里が掃除の手を止めて、背後から原稿をのぞき込んでいた。

 液タブの画面上には、ヒロインが路上で転倒した絵が表示されている。

 着衣のスカートがめくれ、パンツを露出したポーズで描かれていた。

 現在はラブコメでお約束な、いわゆるサービスシーンの作画中だった。


「君の絵が上手いことに関しては、素直に認めてあげるけどね……」


 朱里は、原稿をつぶさに眺めながら、以前と同じことを言う。

 でも今回は妙に挙措がそわそわしていて、落ち着きない。


「おい朱里、どうしたんだよ。何だか様子がおかしいみたいだが」


「い、いえ。別に何かおかしくなった、ってことはないんだけど」


 不可解に感じてたずねたら、朱里はあわてて否定しようとする。

 だが面差しは気まずそうで、言葉に取りつくろうような雰囲気があった。

 それで尚もいぶかしんでいると、ちょっと言いにくそうに先を続ける。


「そのぅ、こないだの私の誕生日なんだけどね? たしか孔市、あのとき言ってたわよね――この部屋に私が来ないと『漫画のネタ出しで詰まる』って……」


「はあ? そりゃおおむね、そんなことを言った覚えはあるが……」


 やや虚を衝かれつつも、事実のままに返事した。

 しかし直後に質問の意図を察し、つい押し黙ってしまう。

 なぜ朱里がそわそわしていたのかを、理解したからだ。


 ――あああああ! そりゃあんな会話があったあとじゃ気付いてるよなあ! 俺が描く漫画のヒロインには、こいつをモデルにしている要素があるってことを! 


 絶叫したくなるのを必死でこらえ、俺は作業机の前でこおり付いた。

 いやまあ「朱里の存在がヒロインの描写に影響している」と言っても、実際には限定的な部分でしかない。ヴィジュアル面に関してなら、おっぱいの大きさ(G)こそ同一性を持たせているものの、裏を返すと共通点はそれぐらいだ。


 だから俺以外の誰が見たって、それがこいつの言動を参考にして作り出されたものだと気付くことはないだろう。朱里自身も言われてみるまで、ちっともわかってなかったようだし、熱心な読者である藤花にしてさえ同様である。


 ……ただ、それはそれとして。

 今現在、目の前にある液タブに表示されているのは、紛うことなく「ヒロインのパンツが露出した絵」なのだ。

 それが朱里にどう見えているかを想像すると、正直いたたまれなかった。


 どうしよう? とりあえず、謝罪の言葉は伝えた方が良いだろうか。

「それとわかるほど似ているわけじゃないが、朱里のことをイメージして描いたヒロインに漫画の中でパンツを露出させてごめんなさい」とか。

 いやそれは逆に口に出したら殺されそうだな……。



 などと、冷や汗だらだらで戦慄せんりつしていたのだが。


「こういうシーンも、普段から私と会話していて思い付くの君は?」


 朱里は、該当する漫画のコマに関して、おもむろに問い掛けてくる。

 恐る恐る視線を向けて顔色をうかがうと、頬が微妙に上気していた。

 その反応をどうとらえるべきか迷いつつ、懸命に弁明を試みる。


「いや、ええと。それは必ずしも、そういうわけでもないというかだな……」


「……ふうん、まあいいけど。どうせ漫画の中に出てくる架空のキャラだし」


 しどろもどろの回答を、しかし朱里は意外にも淡泊に受け止めたようだ。

 それはそれで若干肩透かしを食らった気がして、ややたじろいでしまう。

 またもや困惑していると、朱里が先に言葉を継いだ。


「でも、そのぅ――私のことはいいけど、他の子を漫画の参考にしちゃダメよ。それってつまり、女の子のことを色々観察しているようなものだし――……」


 今度は朱里の方が、あべこべに歯切れの悪い口調でしゃべる。



「……孔市は、私のことだけ気にしていればいいの」



 …………。


 ますます何を言っていいか、わからなくなってしまった。


 呆然としていると、朱里は俺のそばから静かに離れていく。

 そのまま部屋の掃除に戻って、家具にハタキ掛けをはじめた。


 結局発言の機会をいっし、俺も大人しく漫画の作画を続行する。

 下描きが数ページ進んだところで、朱里も床の上に掃除機を掛け終えた。

 それから部屋をいったん退出し、階下のキッチンへ向かった様子だった。

 やがて引き返してくると、朱里は改めて声を掛けてきた。


「孔市もこっちへ来て、ちょっと休憩しなさいよ」


 作業の中断をうながされ、俺はタッチペンを持つ手の動きを制止する。

 ローテーブルの上には、二人分のコーヒーと焼き菓子が置かれていた。


「今日は丁度、頂き物のアップルパイがあったから持ってきたの」


 いつものごとく、どこからか便宜を受けてスイーツを入手したらしい。

 言いなりに原稿ファイルを保存すると、漫画原稿制作アプリを閉じる。

 ローテーブルの傍へ歩み寄って、朱里と差し向かいの位置に座った。

 アップルパイを手でつかみ、齧り付く。甘くて、さくさくした食感がいい。

 コーヒーで喉をうるおわせながら、しばらく無心に焼き菓子を食べ続けた。



「……ところで孔市、実はちょっと見てもらいたいものがあるんだけど」


 くつろいでいると、朱里がおずおずと切り出してきた。

 トートバッグの中から何やら取り出し、こちらへ差し出す。


 それは一冊のスケッチブックだった。

 何事かと思いつつも受け取り、表紙をめくってみる。


 ……そこには、白地に鉛筆でイラストが描かれていた。


 A4サイズの片面を使用し、全部で三ページ分。

 厳密に言えば、どれもイラスト未満の習作というか、ラフ画に近いものだ。

 男女のキャラクターが全身図やバストアップの構図で、まばらに複数描かれている。

 わりと絵柄は個性的だった。オタク受けするようなアニメ絵じゃないが、技術的に洗練されれば女性層に受け入れられるかもしれない。


 ――朱里が描く漫画の絵を、久し振りに見たな。


 俺は一瞬、密かに息が詰まりそうになった。

 そう。この鉛筆画は間違いなく、朱里の手で生み出されたものだ。俺にはわかる。

 作画に甘さやつたなさは多いものの、過去にいくらか筆を握っていた者が描いた絵――

 ずぶの素人は、たとえデッサンがいびつだろうと、なかなかいきなり全身図を描けない。


 ああ、やっぱり朱里は今でも漫画が好きなのだ。

 そんなことはもちろん、この部屋へ来るたびに棚の単行本を引っ張り出して読んでいたわけだから、はっきりしていたことなのだが。



「あのね。誕生日に孔市と色々話してから、ずっと考えていたことがあるの」


 鉛筆画を眺めていると、朱里が居住まいを正して言った。

 真剣な面持ちで、こちらへ語り掛ける声音も神妙だった。


「きっと私は、身の回りにいる友達を、まったく意識しないで好きなことに打ち込んだりはできない。だから君や藤花さんと同じようにして、ひとつのことに夢中で突き進むような真似もできないと思う。一人になるのは不安だし、たとえ自分が好きなものでも、他人から否定されそうなものは好きだとはっきり言うのが怖い。失敗したらバカにされるし、損するだけで得にならないことには、何の意味があるのか悩んじゃうし……」


 そこまでひと息に話してから、朱里は俺の顔を真っ直ぐ見詰めてきた。

 互いの視線が重なる。幼なじみの瞳には、意志の光がちらついていた。


「でも私ね。周りの空気を読んでばかりで、自分が自分でいられなくなるのもって、今はそう思うの。『こう在りたい』ってことに対して、私自身には嘘をかない自分でありたい」


「……だから子供の頃を思い出して、もう一度漫画を描いてみようとしたってわけか?」


「もちろん今更頑張りはじめて、孔市よりも上手くなりたいとまでは言えないけどね……」


 率直に問い掛けると、朱里は薄い苦笑を口の端に浮かべた。

 やや自虐的な表情で、悔しさとも寂しさともつかない感情が垣間見える。

 それを探るように見ていたら、朱里は途中でふいっと目を脇へらした。


「ね、それよりどう思う? 私が描いた絵のこと……」


 次いで若干恥じらいながら、鉛筆画の感想を求めてくる。

 俺は「そうだな……」と言ってから、ほんの少し考え込んだ。

 それから笑みを浮かべてみせ、手短に伝える。


「いいんじゃないのか。趣味で描くなら、何を描いても自由だからな」


「……それ全然めてないでしょう。アマチュア相手に容赦ようしゃないのね」


 朱里は、即座に感想の行間を読んで、不本意そうな声を上げた。

 バレたか。リア充だけあって、言外の真意を酌んだようだった。


 ただ付言すると、自由な創作が素人の特権なのは、まぎれもない事実だろう。

 たとえ好んでぼっちを選び、人目を気にせず好きなことをしていても、プロの漫画家になれば他人の評価を無視して生きられはしない。


 たぶん世の中は、ひとつの解で割り切れるほど、単純にはできていないのだと思う。

 優等生の朱里だって、突然学校をサボりたくなることはあるわけだし、心の中では漫画を描きたいという願望を持っていた。

 そうして俺は多くの他者を遠ざけつつも、藤花から仕事に協力を得ている。

 だが一方では俺と朱里の関係でさえ、合理的な説明にたどり着けていない。




 アップルパイを二人で食べ終えると、朱里はおもむろに立ち上がった。

 スケッチブックを回収し、トートバッグを抱える。わざとらしくスカートのすそを伸ばしながら、もう自宅に帰るという。

 時計を見ると、午後五時半過ぎだった。


「おう、今日は早いな。何か用事でもあるのか」


「ええ。これから自分の家で、また絵を描くわ」


 何気なく訊くと、朱里は部屋の外へ向かって歩きながら答えた。

 出入り口のドアを開け、こちらへいったん振り返って付け足す。


「そのうちに孔市だって、絶対に褒めざるを得ないような漫画を描いてみせるんだから。たとえ実力的には、もう追い付けないとしても」


 朱里は、決然とした言葉を、強く言い放った。

 頬が微妙に上気して、桜色に染まっている。


「それでいつか、そういうものを本当に描けるようになったら、そのときには――……」


 幼なじみの面差しには、明らかに興奮がにじんでいた。

 しかし急に口篭くちごもり、そこでわずかな間が生じてしまう。

 何となく気詰まりな空気を感じて、俺は先をうながした。


「そのときには、何なんだよ」


「……何でもない。さよなら」


 朱里は、自分の言葉を打ち消すように返事した。

 不機嫌そうな態度で、そのまま退室してしまう。



 部屋の中で一人切りになると、たちまち静寂せいじゃくが訪れた。

 俺は、ローテーブルの前に座ったまま、室内をぼんやりと見回す。

 すぐに手近な棚のところで目を留め、心惹こころひかれたそれを取り出した。


 それは劇場版『ラブトゥインクル・ハーモニー』のBDだった。

 華やかなイラストのパッケージを手に持ち、じっと視線を注ぐ。


「《……たとえむくいがなくても!》か……」


 劇中のセリフを、ひとちてみる。



 俺も朱里も、二人で共に多くの過去を過ごしてきた。

 だがおそらく、それよりもずっと長い時間を、未来に残している。

 できることなら、あいつには将来も幸せであって欲しいと思った。


 どんな「在り方」が正しいかは、わからないけれど。






<ラブコメ漫画を描いていると、リア充かわいい幼なじみが部屋に来る。・了>

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ラブコメ漫画を描いていると、リア充かわいい幼なじみが部屋に来る。 坂神京平 @sakagami

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