エピローグ
35:幼なじみたちの帰還
こうして俺は、朱里を見付けて連れ帰った。
雨柳神社の境内を出たあとは、のんびり二人で付近の公道を歩いた。
陽乃丘の郊外では、タクシーが上手く捕まえられなかったせいだ。
県道沿いの地下鉄駅までは、徒歩で約二〇分掛かる距離があった。
とはいえ平日の昼間に田園地帯を
子供の頃、こいつと一緒に遊んだ日のことを、何気なく思い出す。あてもなく遠い場所を目指し、あのときも並んで細長い道を歩いたっけ……。
感傷的な気分になり、県道へ出るまでのあいだはひと言も話さなかった。
朱里も一切しゃべらなかったが、何を考えているかは特に訊かなかった。
地下鉄駅の構内へ入ったところで、時刻を確認する。
午後三時過ぎ。これから学校に戻っても、今日の授業にはひとつも出られない。
まあ仮に出席したって、俺は居眠りするだけだと思うが。ここ数日の寝不足が今改めて意識を侵しはじめており、正直寝床が恋しくて仕方なかった。
ひとまず紘瀬家に電話し、おばさんには朱里を無事に発見したと報告しておく。
次いで学校の春海にもメッセージを送ると、安心した、という旨の返信があった。
それから地下鉄陽乃丘三条駅まで移動し、俺と朱里は各々帰宅した。
翌日。学校に登校すると、クラスメイトが次々と朱里に声を掛けてきた。
本人の想像を遥かに超えて、皆は前日の無断欠席を案じていたみたいだ。
朱里も心配掛けたことを、友人一人ひとりに謝罪していた。
それを取り分け大きな反応で迎えたのは、やはり春海だった。
朱里が教室へ姿を現すや否や、全速力で駆け寄り、半泣きで抱き付いた。
改めて本人に無事をたしかめ、良かった良かったと繰り返す。
ただし互いの身体を離す直前、しっかり朱里のGカップを揉むことは忘れなかった。
朱里は悲鳴混じりに抗議したものの、春海は「この触り心地、本当に本物のアカリだあ……」とうなずくばかりだった。どういう
高城や鎌田を含む他のリア充グループの面々も無論、そんなやり取りを微笑ましそうに眺めつつ、朱里の無事に安堵していた。
ちなみに春海は、昨日「朱里が行きそうな場所」の心当たりを、俺にメッセージで教示してくれたわけだが。その際は高城や鎌田も、候補の洗い出しに協力してくれたという。
雨柳神社は結局、それらのスポットの中には含まれていなかったものの――
あのメッセージにあった候補をまとめて排除できたからこそ、逆に朱里の居場所を特定できたとも言える。素直に感謝しておくべきだろう。
休み時間になると、隣のクラスから村井もやって来て、同じように朱里が再び登校してきたことを喜んでいた。すでに話は春海から伝わっていたらしい。
もちろん、こうした反応について「たかだか一日サボっただけで、そんなに
しかし大多数のクラスメイトにとって、紘瀬朱里(※リア充で可愛い)が無断欠席した事実は、無関心になれない出来事だったみたいだ。
とはいえ担任教師は、今回の件に関して思いのほか素っ気無かったように思う。
「たまに優等生もこういうことはあるだろう」と、過度に心配する素振りを見せなかった。
実は朱里の両親も似たような反応で、あまり一人娘を叱り付けたりはしなかったらしい。
だが一方、俺はサボったことについて、かなり厳しめの叱責を受けたりした。
まさか平時真面目に学業に取り組んでいないせいで、行方知れずだった当人よりも強い批難を浴びてしまうとは。理不尽すぎる。
おまけにクラスメイトの反応も対照的で、こっちの無断欠席は誰も心配していなかったみたいだ。そりゃあらかじめ、俺が朱里を捜しに行ったと知っていたなら、最初から気にするはずもないだろうけど。そんなやつは春海含め、ほんの数人だよね?
やっぱり日頃ぼっちな男には、世間の風は冷たいぜ……。
まあ、何はともあれ。
朱里が一七歳になった次の日には、いつも通りの日常が戻ってきた。
いや正確には、何もかもが過去と同じ状況というわけじゃなく、ここ最近の変化を継続している要素もあるのだが……。
それも朱里に関わる出来事というより、俺の身辺における問題で。
具体的に言ってしまえば、それはつまり藤花笑美子の存在だった。
藤花は現在も、朝に昇降口(の下駄箱の物陰)から挨拶してくるし、昼休みには学食で相席を求めてきたりする。授業の合間にも廊下から二年一組の教室をのぞき、例によって俺の挙措を観察しているみたいだ。
まあ無論、そこに悪意は感じないし、別段迷惑しているわけでもない。
なので強いて藤花を遠ざけようとも思わないが、少し怖いなとは思う。
朱里は、俺の周りで藤花を見掛けても、以前のように思い悩む様子がなくなった。
自分と他者の在り方について、無闇に比較するのは止めたようだ。それで自意識が充足されたとも思えないが、もうこれまでみたいな不安はなさそうだった。
ところで藤花とは、ようやく正式なアシスタント契約を交わした。
これで来月以降、商業原稿の仕上げ作業では楽ができそうだ。
幸いにして、オンラインで原稿データを共有できる環境も整った。今後は俺の家まで、あの子がわざわざ通う必要もない(あまり藤花は歓迎していなかったが)。
もっとも藤花の方も漫研の活動もあるので、いつでも必ずヘルプに入ってもらえるとは限らないと思う。今月下旬にも校内では「文化発表会」なる行事が催されるため、展示物を制作するのに頑張っているらしい。
俺の周りをうろうろしているわりには、けっこう多忙そうなんだよな。
ただいずれにしろ藤花は、いまや数少ない友人であり、貴重な理解者でもある。
漫画家とアシスタントという立場を差し引いても、藤花は俺を助けてくれることがあった。
それでいて俺の原稿に触れることで、藤花も漫画を描く人間として得るものがあるようだ。
考えてみると、そこにはある種の「社会関係資本」が創出されているのかもしれない。
自分が朱里以外の誰かと互恵関係を構築する日が来るとは、思ってもみなかった……。
俺は二年一組の中じゃ相変わらずぼっちだし、リア充グループの面々から見れば、それもごくささやかな便益にすぎないのだろうが。
〇 〇 〇
七月に入って、夏場の蒸し暑さを感じる日が増えた。
平日は学校の登下校も
かくいうわけで放課後に帰宅すると、以後は自室に頑として引き篭もった。
まあ「今日に限らず普段から引き篭もってるだろ」という指摘は正しいが、こんな日はいつにも増してインドアで過ごすに限る。
速攻でエアコンを付け、制服はTシャツとハーフパンツに着替える。
コンビニで購入してきた炭酸飲料で喉を
ブラウザを立ち上げたら、SNSのマイページへ飛ぶ。
ショートコミック画像付きの投稿を、改めて確認した。
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【 宇多見コウ 】
学校ではつれないクラスメイトが家で二人っきりになると、
デレデレして甘えてくる話。[23話]
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公開後にひと晩で「いいね」が二万四〇〇〇を超えたのは、たぶん初めてだ。
先月下旬からはネームの調子が戻ってきて、作画作業も全般的に捗っている。
――次は余勢を駆って、商業連載の漫画も下描きを進めてしまおう。
俺は、漫画原稿制作アプリを起動し、所定のファイルを選んで開いた。
液晶タブレットの画面上で、気分良くタッチペンの先を滑らせていく。
そこへほどなく、いつもみたいに朱里がやって来た。
室内を軽く見回すと、途端に渋い面持ちになった。
床の上やベッド周辺など、本日も至るところにゴミくずが散乱していたからだ。
毎度のことで見慣れた光景のはずだが、やはり掃除する側としてはうんざりさせられるものらしい。まあそりゃ当たり前か。
「ねぇ孔市。前々から思っていたんだけど――」
朱里は早速、部屋の清掃に取り掛かりながら言った。
「実は君って漫画を描くことより、家の中を散らかすことの方が才能あるんじゃない?」
なかなか的確な指摘である。おまえもそこに気付いてしまったか……。
反論する術もないので、俺としては黙って漫画を描き続けるしかない。
液晶タブレットに向き合い、大ゴマのキャラクターから描き込んでいく。
下絵にアタリを取りつつ、合間に目だけで幼なじみの様子をうかがった。
朱里は、プラスチック容器や包装紙を拾い集め、ゴミ袋に分別している。
今日も今日とて、まめまめしい世話焼きっぷりだ。
――こうして朱里が部屋を掃除してくれることも、実は俺にとって「社会関係資本」の一種だと
急にふと、そんな考えが思い浮かんだ。
だが頭の中で、すぐにそれを打ち消す。
おそらく俺と朱里のあいだにあるものは、そんなふうに取って付けたような概念で言い表せるものじゃない、と思う。
かつて藤花は、アシスタントの話が持ち上がった際、対価など不要だと言った。しかし現在は結局、規定の報酬を受け取る契約で、仕事を請け負うことになっている。
一方で朱里は、これまで四、五年に渡って「駄賃をもらっている」と虚言を
この二人との関わり方をそれぞれ踏まえたとき、俺は複雑な心理に
藤花が当初対価を
……実利的な答えは、まるで思い付かない。
そもそも「無報酬ではない」と
にもかかわらず益体もない嘘を吐き続けていた理由は、きっと俺からの気遣いを嫌ったせいだろう。逆に本心から、何らの便益も求めていなかったということだ。
――つまり朱里は、俺とただ一緒にい続けようとしてくれているのではないか。
そうして、幼なじみが夢を追い続けている姿を、見守っているのかもしれない。
だとすれば、それは互恵関係でもなく、社会関係資本と呼ぶにも相応しくない。
きっと、より大きな感情に
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