34:かけがえのない君にたったひとつの贈り物を

「……君がここへ私をなぐさめに来たわけじゃないことは、よくわかったわ」


「だって、おまえは慰められたいわけじゃないだろ。その程度はわかる」


 朱里がすねた素振りをのぞかせるせいで、苦笑いするしかなかった。


 俺が見た印象じゃ、こいつは自分で自分を見失っているんだと思う。

 昔の夢をあきらめ、代わりに優等生となって、これまでリア充として「正しい自分」を確立してきたつもりだった。


 ところが突然、そこへ藤花が現れて、終始一貫損得抜きで突き進む有様に触れた。

 それで一見奇矯ききょうだが、わかりやすい唯一性を目の当たりにし、混乱したのだろう。


 実際には、どんな自分の在り方が正しいかなんてわからないし――

 同時に誰もが、無二の何かであることは否定できないはずなのだが。


 でも朱里は、そんな言葉を掛けられたって、納得しないだろうな。

 こいつにとっての実感がとまなわなくちゃ、空虚な慰めと大差ない。

 ゆえにもっと別の方法で、俺は朱里の心情にうったえねばならなかった。



「ところでいましがた、ここへ来た理由は三つあるって言ったよな? そのうちふたつはこうして直接話をすることと、古い思い出をたしかめることだったわけだが――」


 俺は、ここまで背負ってきた荷物を下ろす。

 リュックの口を開けて、内側へ手を突っ込んだ。

 そこから引っ張り出したのは、大きな茶封筒だ。


「あともうひとつ、おまえの誕生日を祝うって目的が果たせていない」


 隣に座る幼なじみの方へ、茶封筒を差し出す。

 朱里は、いかにも怪訝けげんそうな顔で、それを見た。

 しかし俺が目でうながすと、不承不承受け取る。


「会話の流れで順序が前後したけどな、プレゼントだよ」


 朱里は、茶封筒の中身を取り出し、わずかに瞳を見開いた。

 一瞬言葉を失った様子で、俺が贈った品を呆然ぼうぜんと見詰める。


 ほどなく丁度、再び周囲が明るくなりはじめた。

 頭上を覆う雲が去って、晴れた空が戻ったのだ。

 陽光は、プレゼントの表面を鮮やかに照らす。


「……これ、『ダブルでハピシェア』の――」


 ちょっと間を挟んでから、朱里はしぼり出すような声を出した。

 そのあとを引き取って答え、軽く肩をそびやかしてみせる。


「おう、俺が描いた二次創作イラストだよ」


 朱里が手に持つ厚紙は、ケント紙製のイラストボードだ。


 そこには、華やかな衣装の美少女キャラクターが二体描かれている。

 どちらも『ダブルでハピシェア』に登場する変身ヒロインだった。

 小学生の頃に一大ブームを巻き起こし、かつて朱里に漫画の道をこころざさせた名作。

 そのファンアートを今日、こいつにプレゼントするために用意していたのだ。



 朱里は、ややあせりがにじんだ口調でたずねてきた。


「ねぇ待って。なんかこれ、凄い手間掛けて描かれたものに見えるんだけど……」


「まあ手間というか、たしか金曜日から五〇時間ぐらい掛けて描いた気はするが」


 今朝方までの作業を、改めて思い返してみる。

 主に彩色で使用したのは、不透明水彩のアクリルガッシュ。CG作画をはじめる以前の、小学生時代から塗り慣れた画材だ。県内移動展で受賞した絵も、同種の絵の具で描いた。


 アナログイラストを描くのは久々だったものの、作業の勘は手が覚えていた。

 制作時間を捻出する都合から、SNS上で公開しているショートコミックの定期更新は休まねばならなかったが……。


 とはいえ我ながら出来栄えも上々で、かなりの自信作である。

 デジタルデータじゃないから、この絵はもちろん世界でただひとつ。

 朱里だけのために描かれた、唯一無二の『ダブルでハピシェア』だ。


 これだけのイラストをプレゼントされれば、さぞかし喜ばれるだろう! 



 ……と思っていたのだが、幼なじみの反応は正直予想外のものだった。


「えっ、やだ……。何これ重くてやばいし、キモいんだけど」


「ちょ、何だよ連日徹夜で描いたのに!? キモい言うなや!」


 半眼で引き気味に見据えられ、咄嗟とっさに抗議の声を上げてしまう。

 だが朱里は、殊更ことさらに自らの主張を繰り返した。


「いやいや重いしキモいし何なら怖いわよ!? プロの漫画家やってる男が、幼なじみの女のために夜なべして手描きのイラスト贈るって、大概痛いと思うけど!」


「な、なな何言ってんだよ!! 真心篭もった最高の贈り物だろうがあ!」


「それはそうかもしれないけど!! なんかこう、まるで『自己陶酔したミュージシャンが恋人に自ら作詞作曲したラブソングを贈る』的な、何年後かに振り返ると圧倒的黒歴史化しちゃうような危険を感じるのよ確実にこれ!!」


 …………。


 妙な事例を比較に持ち出されたが、若干得心させられてしまった。

 今頃自分の痛さに気付いて、じわじわと羞恥心が込み上げてくる。

「うぐっ……」と、思わずうめき声を漏らしてしまった。



 そんな俺の有様を見て、朱里はすっかりあきれ顔になる。


「はあ、もう本当に恥ずかしいなあ君……。いったい何考えてるのよ」


 いささか小馬鹿にした言い草だが、口振りは柔らかかった。

 今日会ってから、おそらく初めて普段の調子が垣間見えた。


 俺は、いったん咳払いし、体裁を取りつくろおうとする。


「――先月、定期考査が終わってからのことなんだが」


 話題を転じて、仕切り直すように言った。


「実は俺さ、ここのところ漫画を描いていて不調だったんだ。特にプロットが上手く組み上がらず、ネームも切れない。キャラクターのいいセリフが思い付かなくて、ずいぶんと手こずらされた。今も正直苦労している」


 おおよそ最近三週間のことを、今一度思い出す。

 クラスメイトのあいだで先月下旬、俺と朱里が幼なじみ同士だと知れ渡った。

 以後はこれまでより、朱里が二人の距離を微妙に意識するようになった節がある。俺が互いの間柄を公言することに消極的だったせいで、気をつかった部分もあるだろう。

 あの時期から俺の中で、徐々に創作行為に関する歯車が狂いはじめていた。

 イラストは一応普通に描けるのだが、どうしても漫画の作業がはかどらなくなった。


「あまりスランプって言葉は使いたくないんだが、まあそれに近い状況だよな。でも原因はわりとはっきりしていて、どうすれば不調を脱せそうか見当も付いている」


 小岩の上で、俺は居住まいを正した。

 それから再度、朱里の方へ向き直る。


「たぶんだけどな。どうやら俺はおまえが部屋に来て、ときどき二人で他愛ないやり取りをしていないと、漫画のネタ出しで詰まることが多いらしい……」


 そう言ってから、またもや強烈な気恥ずかしさに襲われた。

 急激に体温が上昇し、頭が熱っぽくて眩暈めまいを覚えてしまう。


 だが似たような異常を感じていたのは、朱里も同じみたいだった。

 みるみるうちに頬が赤くなって、茹で上がりそうな顔に見える。


「……え、何どういうこと。それって君はつまり、私がいないと――?」


「いや言うな。無駄に追求するのは禁止だ、お互いのために。わかるな」


 あわわと狼狽ろうばいする朱里をたしなめ、言葉をさえぎるように制止した。

 もう半分言ったようなものだが、最後まで口にさせるわけにはいかない。

 そこにたしかな事実が共有されれば、大変なことになってしまうからだ。



 もっとも心の中では、朱里もそれとなく察しが付いただろう……。


 ――宇多見コウのラブコメ漫画は、幼なじみの存在に影響されながら描かれている。


 ああまったく、こんなに恥ずかしいことはない! 

 でも、それこそいつわりなき真相なのだ。この羞恥に比べれば、手描きのイラストを贈り物にするぐらい、どうってことないだろう。


 商業連載作である『天宮昇子は俺にだけ厳しい』も、SNS上で個人的に公開しているショートコミック『学校ではつれないクラスメイトが家で二人っきりになると、デレデレして甘えてくる話。』も、それ以外の作品も……。


 俺が描くラブコメ漫画のヒロインには、どれも大なり小なり、紘瀬朱里に共通する特徴がちりばめられている。例えば、才色兼備で誰からも好かれているところ、放課後にだけ見せる打ち解けた姿、お節介な性格など。

 バストサイズがGだと知って、作中の絵を描き直したくなったのも、自分で作り出したヒロインに朱里の面影を重ねていたせいだ。


 本当に気持ち悪いったらねぇな宇多見コウ、いや鵜多川孔市! 


 そこにはたぶん「幼なじみの女の子がそばにいないと、ラブコメ漫画が描けないってのはどうなんだ?」という疑念を、誰もが抱くだろう。

 プロの漫画家がこんなことで将来もやっていけるのかと問われれば、まるで俺自身にもわからない。いずれは今後、仕事上の課題になるかもしれない。


 とはいえ朱里も、このクソこっばずかしい事実を知って理解したはずだ――

 おまえは少なくとも俺にとって、ずっと前から無二の女の子だったのだ、と。

 そんな朱里はきっと、世界でただ一枚きりの絵を手にするに相応しいと思う。



 ……しかし面と向かってそう告げるのは、やはり俺には恥ずかしい。

 そのせいで実際に口から出た言葉は、やや取り引きめいたものだった。


「とにもかくにもだ。おまえが突然、今日みたいにいなくなると困る」


 俺は、自らの心情を誤魔化すため、幾分早口で言った。


「だから、要するにそのぅ……そう、そのイラストでしたいんだよ朱里を。また俺の部屋に来て、掃除したりコーヒーれたり、くだらない話をしたりだな――そんなふうにこれからも、おまえには身の回りの世話を頼みたい……」


 咄嗟に「買収」という表現を使ったのは、母親から聞いた話を思い出したからだ。

 これまで駄賃をねだろうともせず、ひたすら傍で世話を焼き続けてくれた幼なじみ。

 それほどの献身に対する報酬がイラスト一枚というのは、酷く馬鹿げた話だと思う。


 だが日頃の感謝を表し、かつ今後も同じ間柄をけ合ってもらうため、俺には他に何を渡せばいいかがわからない。

 こいつは元々、何も受け取ろうとはしなかったのだから。


 朱里は、戸惑いの表情を浮かべて、居心地悪そうに身動みじろぎする。

 今の話を聞いて、俺の部屋に「小遣い稼ぎのために来ている」と偽っていたことが露見したのを、こいつも悟ったのだろう。



 ただし俺は、贈った絵が「キモい」と評された点も踏まえ、補足しておいた。


「念のために言っておくとだな。そのイラストはたぶん、俺が直筆サインを入れておけば何万円かの値段は付くと思うぞ。あくまで非営利的な目的で描いたファンアートのつもりだから、フリマアプリに出品したりして欲しくはないが」


「いや売らないわよ!? 君は私のことを、仮にも誕生日にもらったプレゼントを換金して喜ぶような人間だと思ってるの!?」


 万一捨てられたら悲しいと思って言ったのだが、逆に怒られてしまった。

 いやあでもほら、オタクにとっては高価なレアグッズが、一般人にとっては単なるゴミって普通によくあるからさあ……。



 まあ何にしろ、きちんと受け取ってもらえるなら良かった。

 実際はこれ、朱里がうちの母親から駄賃をもらってないって知る以前から、俺が勝手に描きはじめたやつだったわけだし。


「金で買えるものじゃなく、ひとつしかない特別なプレゼントにすべき」っていう判断は、その時点でも見誤っていない自信があったけどな。

 藤花の件からこっち側、朱里が自分自身の在り方を悩んでいることには、春海と学校で話した際に確信めいたものを感じていたから。



「――もう。本当に君ってば、何だか色々とズレてるんだから……」


 朱里は、思い掛けなく脱力した様子で、溜め息を吐いた。

 見れば口元が控え目に緩み、柔和な笑みがのぞいている。


「でもとりあえず、お礼を言うわ。誕生日プレゼント、ありがとう」


 謝意を伝えられ、俺は「……おう」と短く返事した。

 誕生日を祝うだけのことで、今日はここへ来てから散々余計なことをしゃべったような気がしていた。そのせいで今更、帳尻を合わせるような反応になってしまう。


 俺は、体裁の悪さを誤魔化そうとして、山地の景観へ目を移した。

 暖かな陽の光は、辺り一帯の地面を、樹木を、草花を、穏やかに輝かせる。

 それは二人の上にも降り注ぎ、視野に映るすべてにいろどりを加えていた。



「――今日は、ここにもっと遅い時間までいるつもりだったんだけど」


 朱里は、少しだけまぶしそうに目をすがめて言った。


「ずっと同じ景色ばかり眺めているのも、やっぱり飽きてきちゃったわ。そろそろ家まで、一緒に帰りましょう?」

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