32:思い出の場所のほうへ

 春海は二年一組でも、朱里と並んでリア充グループの中心的人物だ。

 そんな女子が同時に二人もいなくなったら、事態が大きくなるだろう。普段からいてもいなくても大差ないぼっち(俺)とは、周囲への影響力が違う。

 朱里を連れ戻したあとの状況まで考えるなら、これ以上の騒動は得策じゃない。


 そうした事情を説明してから、俺はちょっと思案して続けた。


「あともしかしたら、実は朱里が学校に来ていて、まだ顔を見せていないだけってこともあり得る。一人になりたくて、どこかに隠れているとか……」


「じゃあ鵜多川が校外を見て回っているあいだ、あたしは休み時間や放課後を使って校内を調べておけってこと?」


 春海は、こちらの要望を先取りするようにたずねた。察しが早い。


「そうしてくれると助かる。まあ朱里は元来しっかり者なんだし、実際は急に姿を消したからって、そう大袈裟に心配するほどのことはないだろうとも思うんだが」


「うーん、それもそうか……。わかった、じゃあ校内のことは任せておいて。いざというときには、高城やよしのんの手も借りるから」


 春海は、思いのほか素直にうなずく。

 それからスマホを取り出すと、連絡先の交換を要求してきた。


「朱里のことを見付けたら、すぐさま相手に知らせられるように」


 提案に応じて、メッセージアプリのIDを互いに登録し合う。

 そのとき丁度、一時間目の予鈴が鳴った。


「あとから朱里が行きそうな場所の候補もいくつか、メッセージで教えてあげる。あくまであたしが知っている範囲の情報だけどね」


 春海は、付け足すように言うと、こちらへ素早く背を向ける。

 片手で合図を寄越しつつ、足早に二年一組の教室へ戻っていった。



 昇降口から屋外へ出たら、校内の敷地を裏手に向かう。

 もう今の時間帯だと正門付近には人気がなく、校外へ出るところが目立ちやすい。

 授業中とはいえ、サボる現場を目撃される確率は高く、そうなれば厄介だ。

 裏門を抜けて学校から離れると、住宅街に入って市道を目指した。

 回り込むようにして進めば、ここからも鐘羽四条へ出られる。


 朱里をさがすにあたって、まずは自宅がある陽乃丘へ戻ることにした。

 あいつが行方をくらましたスタート地点は、そこだろうからだ。一番最初に立ち返り、順番に調べてみるのがいいと思う。


 それに高校の制服を着たままじゃ、何かと不自由な気がした。いっぺん自宅で、私服に着替えた方がいい。ついでに捜索資金も確保しておくべきだろう。


 停留所でバスに乗ったら、陽乃丘二条一丁目まで移動する。

 そこからは常時、朱里の姿が見当たらないかと、身の回りに注意を払い続けた。

 陽乃丘のバス停で降車後は、今朝来た街路を引き返す。隣の家のおばさんに見付かると面倒なので、身を隠すようにして自宅の中へ駆け込んだ。


 紘瀬家と異なり、我が家は共働きなので、平日の昼間には両親が家にいない。

 自室で私服に着替え、通学鞄は外出時に使うリュックと持ち替えた。ふと思い立って、荷物の中に明け方まで掛けて作成した品を入れておく。


 再び外出するために玄関で靴を履いていると、スマホに着信があった。

 春海からのメッセージだ。


【YUI】:アカリが行きそうな場所、以下にまとめて送るね。


 スマホの画面をスクロールすると、様々なスポットの情報が羅列されていた。

 喫茶店、スイーツ店、アパレルショップ、雑貨店、カラオケ店、などなど。

 どれも過去に春海と出掛けたことがある場所らしい。わりと行動範囲が広い。


 とはいえ足取りを追うにあたり、これで一応の取っ掛かりはできた。

 リア充グループの「社会関係資本」ってのは、マジでありがたいな。

 いやまあ、これはあくまで朱里を捜すために得られた助力であって、わば俺はあいつの人徳に便乗しているに過ぎないわけだが。


 何はともあれ自宅を出ると、差し当たり地下鉄陽乃丘三条駅へ向かう。

 春海の情報を頼りにして、手近な場所から順に見て回るつもりだった。




 春海が候補に挙げた場所は、市内の広域に散在していた。

 藍ヶ崎市中心部をはじめとし、鐘羽、陽乃丘、新委住まで……。

 飲食店や娯楽施設に立ち寄って、朱里の姿はないかとたしかめて回る。


 まあ結果については、どこをのぞいても外ればかりだったのだが――

 何箇所かに足を運んでいるうち、俺はある確信を抱きつつあった。


 ――きっと朱里は今、春海が想像しているような場所にはいない。


 改めて思い返せば、朱里は今朝普通に登校するていを装って家を出ている。

 とすればたぶん、ずっと「鐘羽東高校の女子制服姿」でいるはずなのだ。


 俺は、JR藍ヶ崎駅の構内を出て、駅前広場に踏み入った。

 噴水のそばまで歩み寄り、手近なベンチへ腰を下ろす。


 いったん考えを整理しよう。

 今日は月曜日で、今はまだ日中だ。

 高校生が街中を歩いていればどう見られるか。普通は不審に感じるだろう。

 家出した未成年者じゃなくたって、人目に付けば警察がやって来るかもしれない。悪くすれば補導され、そのあと学校や自宅に連絡が行く場合もある。

 そういう面倒が起こる可能性も考えて、俺は自宅で私服に着替えたのだ。

 さもなくば、どうやって世間の目を盗みながら行方をくらませればいい?  


 ……第三者に怪しまれる前に居場所を変え続ける、というのは考えにくい。

 手段としては有効だろうが、移動し続けるにも交通費と体力が必要になる。

 取り分け突発的に姿を消したのなら、手持ちの資金は多くないと思う。


 諸条件を勘案すると、おそらく朱里は「人目に付きにくい場所で、じっとしている」と推測すべきではなかろうか。

 もちろん一番の問題は、それがどこなのかということなのだが……。


 俺は、ベンチに腰掛けたまま、思わず頭上を仰いだ。

 幼なじみの誕生日は、憎らしいぐらいの快晴だった。



 ――いったい、なんでこんなことになったんだろうな。


 難題に悩むうち、徐々に意識は異なる方角へ向かいはじめた。

 なぜか自分と朱里の関係性について、今更のように思案する。

 家が隣同士で、ずっと一緒の幼なじみ。小、中、高と同じ学校に通う間柄。

 そこにいつしか妙な心理が芽生えはじめ、互いのことを比較したりされたりするようになっていった気がする。


 誰からも好かれ才色兼備な朱里と、ぼっちで漫画を描くしか能がない俺。

 ごく近い距離感を維持しながら、現状じゃ対照的な立ち位置を得ている。


 かつては同じものに憧れ、いずれは共にかくあれかしと、願いを掛けたことさえあったはずなのに――……。


「……そうだ。昔『願掛け』したんだ俺たちは」


 俺は、自然と独り言ち、にわかにベンチから腰を上げる。

 古い記憶がよみがえり、電光のようなひらめきが脳裏を駆け巡った。

 子供の頃、二人で願いを掛けた場所。そこは平日の昼間にじっとしていれば、あるいは人目に付かないところかもしれない。


 ――ああ、幼なじみが行方をくらました経緯を、もう一度考えてみろ! 


 朱里は最近、酷く気落ちしていた。

 それが姿を消した理由と無関係なはずはない。


 さあ、ならばどうして気落ちしていたのか? 

 答えは、俺と藤花が急に親しくなったこととも決して無関係じゃない。

 ただし、それを狭い解釈でとらえている限り見えてくるものでもない。


 正解は、朱里自身が己のに関して、きっと疑念をこじらせたせいなのだ。



 俺は、リュックを背負い直すと、駅前のタクシー乗り場へ駆け出した。

 電車やバスを利用して、余計に時間を食うのはもどかしい。

 空車の後部座席に飛び込むと、運転手に行き先を伝えた。


「陽乃丘の雨柳うりゅう神社まで、お願いします!」




 藍ヶ崎駅前中央通からは、星澄方面へ続く県道が陽乃丘を貫いている。

 そこを直進し、オフィス街や繁華街、住宅街を通過すると、やがて郊外に出た。

 地方都市独特な田園風景を車窓で眺めながら、途中から登り坂の脇道へ入る。


 雨柳神社は、その先でそびえる山地の上に位置していた。

 毎年元旦に一度、鵜多川家と紘瀬家が皆でそろって、初詣はつもうでに訪れる場所だ。

 手前にある駐車場でタクシーから降りたら、鳥居を潜って境内けいだいへ踏み込む。

 長い石段をひと息に上り、石畳の参道を駆け足で進んだ。


 拝殿はいでんの前に立って、周囲の様子をたしかめる。人の気配がほとんどない。

 辛うじて社務所の中から、こちらを巫女さんが一瞥いちべつしたようだが、すぐ目をらした。

あまり参拝者には干渉しない方針なのかもしれない。まあ今はありがたいが。

 絵馬掛けの傍へ歩み寄り、そこでまた辺りを見回す。


 やはり朱里の姿は、見当たらない。


 衝動的にここまで来たが、単なる無駄足だったのだろうか。

 いや無論、所詮しょせんは直感頼みの行動だし、元々確証なんてなかった。また当てが外れたにしても、むべなるかなとあきらめるしかないのだが……。


 と、拝殿から少し離れた場所を見たら、いくつも灯篭とうろうが並んでいた。

 そちら側には、たしか神社の本殿ほんでんへ回り込む道があるはずだった。



 このとき再度、頭の中に過去の記憶が蘇った。


 ――あの道の先まで、昔踏み入ったことがある。


 俺は、灯篭の前を横切り、境内を尚も奥へ進んだ。

 本殿の傍に出て、三度みたび付近を見回す。

 左手には草木の生い茂る林があり、その合間にか細い坂道が伸びていた。

 ままよとばかり木々の中へ分け入ると、緩い勾配こうばいを道なりに上る。

 しばらく進んで林を抜けたら、目の前の空間が開けた。


 そこに現れたのは、ささやかな楕円形の土地だった。

 ただし地面は五、六メートル先で途切れ、前方には山の下の景色が広がっている。

 そんな狭隘きょうあいな場所の真ん中には、まるで台座みたいな形状の小岩があって――

 その上に制服姿の女子高生が一人、こちらへ背を向けて腰を下ろしていた。


 ――朱里だ。やっぱり、ここに来ていたんだ。


 いっぺん深呼吸してから、俺は幼なじみに歩み寄った。

 朱里は、小岩の上に腰掛けたまま、正面の遠景を眺めている。

 おもむろにかたわらへたどり着くと、沈鬱ちんうつそうな横顔が見えた。


「……どうして、ここがわかったの」


 ややかすれた弱い声音で、朱里が問い掛けてきた。

 山の下へ向けられた視線は、微動だにしていない。

 小岩の上に並ぶようにして、俺も腰を下ろす。


「おまえのことを色々考えてみたら、ここが一番に思い浮かんだ」


「じゃあどうして、ここまで私を捜しに来たりしたの。漫画を描いていなくちゃ不安になるし、そのせいでいつも忙しいんでしょう君は」


 朱里は、続けて問いただす。


「それに学校を無断欠席したからって、連れ戻しに来る必要まではなかったはずよ。お金も着替えも持たずに家を出たし、私自身も夜になったら帰るつもりだったんだから」


 ……どうやら本人も、あくまで一時的と自覚した上での逃避行動だったらしい。

 悪さをしても過剰にのりを越えない辺りは、腐っても優等生と言うべきだろうか。

 世の中には、家出のためにいかがわしい行為に及ぶ女の子もいるんだがな。



「たぶん、理由は三つぐらいあるな」


 俺も幼なじみの傍らで、遠い景色を眺望しながら返事した。


「一番目は仮に放っておいたら、おまえの誕生日が今日中に祝えなくなるかもしれないと思ったこと。二番目は直接会って話がしたかったことだ」


「ねぇ私、今日は君と顔を合わせたくなくて、学校に行かなかったんだけど」


「それはおまえの側の都合だろ。俺の予定は朱里と会うことになってたんだよ」


「……普段はぼっちな引き篭もりの上、学校じゃ話し掛けるなって言ってるくせに。自分の都合に沿うならこんな場所まで会いにくるの、さすがに身勝手すぎないかしら」


「逆に学校で話し掛ける気はなかったから、ここまで追い掛けてきたんだがな。放課後はうちに来ないって、メッセージで突き放されたし」


 朱里が不平を漏らすので、いつもの調子で言い返した。

 ただし、こちらの言い分に理解が得られたかは怪しい。隣からは「ああ言えばこう言う……」と、すねたようなつぶやきが聞こえてきた。


 それから朱里は浅く呼気を吐き、続けてたずねてくる。


「じゃあ、あとひとつの理由は?」

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