31:消え去った紘瀬朱里
その週はSNS上でショートコミック最新話の公開を予定していたのだが、
毎話楽しみにしてくれている閲覧者の皆さんには、やはり申し訳ない。
とはいえ商業活動とは直接関係がない作品だし、たまにはいいだろう。
尚、更新を休んだことには無論、それなりの理由がある。
どうしても手の離せない作業ができて、金曜日の夕方から掛かり切りになってしまったせいだ。翌日の土曜日も丸一日自室に引き
そこでいったん、休憩を挟むことにする。
昼食を取るためにスマホで、デリバリーサービスを注文した。
それから、ふと思い立ってメッセージアプリを起動する。
ひとまず朱里には、明日の予定を訊いておかなきゃならない。
【宇多見】:明日なんだが、うちに来るか?
メッセージを送信してから、そのまま少し待った。
ところがなかなか既読は付かず、返信も届かない。
そのうちフードデリバリーの配達が先に来て、玄関で注文の品を受け取った。
バーガーショップから届いた袋の中身をたしかめ、自室へ引き返そうとする。
その際に母親がリビングから出てきて、廊下で顔を合わせた。俺が配達員に対応したのを、念のためにたしかめようとしたらしい。
「また一人でお昼ご飯を済ませるのね」
俺が抱える袋を見ると、母親は眉をひそめて言った。
「言ってくれれば、何か作ってあげたのに」
「そっちの仕事は減るんだから、別にいいだろ」
「でも、お小遣いがもったいないでしょう?」
「漫画で稼いでるんだし、大したことねーよ」
そう言って、俺は目の前の階段を上りかける。
が、そのとき「小遣い」という言葉から、妙な気掛かりが生まれた。
いったん自室へ向かう足を止め、階段の下を振り返った。
「なあ母さん。昨日も一昨日も、朱里はうちに来てないよな」
問い掛けると、母親は今頃指摘の事実に気付いたみたいだった。
「そう言えば来てないわねぇ、忙しいのかしらね」
「もし今日も来なかったら、あいつに今週の駄賃をいつ払うつもりなんだ?」
たしか朱里は、掃除したり料理したりした報酬を、毎週末に受け取っている――
そんなことを言っていた記憶がある。
ところが今週末は、まだうちに来ていない。
とすれば、どの時点であの子に未払いの駄賃を渡すのだろうか……?
素朴な疑問に対する答えは、しかし余計に当惑を招くものだった。
「……駄賃? それって、手間賃みたいなもののこと?」
母親は、不思議そうに訊き返してくる。
「そんなもの、朱里ちゃんからねだられたことなんか一度もないけど」
「はあ? いや、何言ってんだよ。だって、あいつはいつも――……」
俺は、すっかり虚を
どういうことだ。意外な事実を知らされ、幾分動揺してしまう。
母親は、変なものを見る目つきで、こちらを階下から見上げた。
「昔一度だけ『いつも孔市のことでお世話してもらって悪いし、何かお礼をしたい』って持ち掛けたことはあったんだけどね。それも即座に断られたのよ、朱里ちゃん自身が言うには『あくまで私が好きでしていることですから』って」
いよいよ俺は口を
「たまには孔市からも、朱里ちゃんにお礼しておきなさいよ」
母親から付け足すように諭され、俺は自室へのろのろと引き返す。
――朱里が俺の世話を焼いていたのは、小遣い稼ぎなんかじゃなかった。
唐突な自己嫌悪が胸に湧く。中学生の頃から部屋の中へ出入りを許していて、なぜ今日まで虚言に気付かず、母親にたしかめようともしなかったのか?
……いやわかっている。あいつは真面目な性格だし、あまりに身近で、疑心を抱くような相手じゃないと思い込んでいたせいだ。
それに無償で俺の世話を焼くことには、朱里にとって
照り焼きチキンバーガーを袋から取り出し、
朱里からのメッセージだ。
【アカリ】:いかない。
短くて、にべもない返事だった。
俺は、改めてメッセージを送る。
【宇多見】:じゃあ明日はどうする予定なんだ?
【宇多見】:おまえの誕生日だろ。
そう。明日六月二〇日は、朱里の誕生日だ。
以前にも何度か話題にした通り、ささやかながら祝ってやろうと思っていた。
ましてや「いましがた母親に聞いた話が事実ならば、ますますそうせねばなるまい」という気持ちが強まっている。ほとんど義務感に近い。
それに最近あいつが気落ちしていることについて、この機会を二人で話し合うきっかけにしたかった。
もっとも朱里は友達が多いから、きっと誕生日を祝おう、と同じように考えている人間は少なくないと思うのだが。明日は月曜日だが、放課後にリア充グループの仲間と集まる計画があってもおかしくない。
一方で、カースト底辺な俺は学校じゃ、あいつと長話するのも気が引けるからなあ。
あるいは少し時間を置いてから、別の日に改めて対話の場を設けるべきだろうか……。
なんてことを考えているうち、再び着信があった。
【アカリ】:予定なんかない。
【アカリ】:放っておいて。
取り付く島もない返信を見て、俺は自然と苦笑が漏れた。
コミニュケーション巧者なはずのリア充としては、あるまじき態度である。
露骨に
だが朱里は嫌なことがあるときも、たぶん誰にでもこんな反応を示したりしない。
幼なじみが相手だから、ここまであからさまに不機嫌な返事を
まあ完全なうぬぼれなのだが、そう信じて尚もメッセージを送った。
【宇多見】:明日は放課後、午後五時過ぎにこっちからおまえの家に行くよ。
【宇多見】:たまにはいいだろ?
以後は食事を済ませたら、そそくさと作業に戻った。
……でもその日のうちに朱里から返信はなく、自分のメッセージを今一度たしかめても、既読が付くことさえなかった。
電話で直接話そうともしたが、スマホで通話をタップしても応答がない。
そうこうするうち夜は更け、気付けば不眠のままに月曜日の朝になった。
どうにか予定の作業は終わったものの、週が明ければ学校がある。
俺は、適当に身支度を整えると、あくびを
いつもの時間の通学バスに乗車する。
何気なく車内を見回し、違和感を覚えた。眠気で頭がぼうっとしていて、最初はそれがなぜかよくわからなかった。
だがバスが発車し、数分揺られたところでやっと気付いた。
今朝の通学バスには、朱里が同乗していないせいだ。
――普段よりも、一本早い便で登校したのかな。
吊革につかまりながら、俺はまたぼんやりと考えた。
鐘羽四条でバスを降りたら、高校の正門を
昇降口では、相変わらず藤花が下駄箱の陰から挨拶してきた。
「う、鵜多川くん。おはようございます……っ」
それに苦笑混じりで「おはよう」と返す。
藤花は、ぱあっと笑顔を咲かせると、ぺこりと頭を下げて立ち去った。
毎度のことながら、平日の朝早くに律儀なやつだ。ちょっと怪しいが。
校舎北棟の階段を上がり、二年一組の教室へ入る。
そこで突然、俺は嫌な胸騒ぎを覚えた。
教室の中にも、やはり朱里の姿が見当たらなかったからだ。
おかしい。優等生のあいつが、俺より遅く登校するはずはない。
しかし朱里が現れないまま、ほどなくSHRの時間になった。
担任教師は連絡事項を述べたあと、不思議そうに首をひねった。
「紘瀬から欠席の連絡は、もらっていないんだがなぁ」
SHRが終了し、担任は教室を退出していく。
それを見送ってから、俺は念のためにスマホで朱里に通話を試みた。
つながらない。昨日のメッセージにも、まだ既読が付いてなかった。
いったん教室から廊下へ出て、次は紘瀬家に電話してみる。
呼び出し音が三回鳴ったところで、相手が応答した。
電話口に出たのは、朱里のおばさんだ。
「もしもし、孔市です。お隣に住む鵜多川の……」
<――まあ孔市くん? こんな時間に突然どうしたの>
「いつもお世話になってます。朱里のことで、少しお話が」
まだ朱里が学校に来ていない旨を、手短に説明する。
おばさんが酷く驚き、動揺しているのは、顔を見なくても伝わってきた。
今朝の朱里は、いつもと同じ時刻に家を出ていたので、てっきり普段通り登校しているものだと思っていたらしい。
これはまあ現状を踏まえると、充分に想定されたことだ。もし朱里がもっと早い段階でいなくなっていたら、鵜多川家には今朝のうちに消息をたずねる連絡があっただろう。
ゆえにおばさんも、娘の行方は把握していないみたいだ。
このあと紘瀬家からも朱里のスマホに電話してみるとのことだが、呼び出しに応じるとは考えにくかった。
ちなみに学校からの連絡は、まだ今のところ届いていないという。担任は一応、遅刻の可能性を捨てていないのかもしれない。
<どうしましょう。こういうのって、警察に知らせた方がいいのかしら>
「さあ、ちょっとわかりません。しかし行方不明とはいえ、まだ何時間か前の出来事ですからね。こういう事案は、警察も捜査してくれないと聞いた覚えがあります」
おばさんから相談され、一瞬迷ったが直截な意見を述べた。
朱里の失踪は、突発的で事件性があるようには考えにくい。
ここ最近様子がおかしかったし、本人の意思による行動だと思う。
その場合、警察はあまり本格的な捜査に乗り出すことはないはず。民事不介入の原則があるから、だったかな。
「いずれにしろ、俺の方でも朱里のことを
<えっ……。でも孔市くん、今学校なんでしょう――?>
おばさんの問い掛けには答えず、通話を切る。
教室の中へ引き返し、自分の机に置いてある通学鞄を回収した。
一時間目の始業前に席を離れ、もういっぺん廊下へ飛び出す。
そこへにわかに背後から、俺を呼び止めようとする声が聞こえた。
振り返ってみると、春海がこちらへ駆け寄ってくる姿が見えた。
「ちょっと鵜多川! 今から突然、どこ行くつもり!? ひょっとして――」
「朱里を捜しに行く。あいつが学校サボるなんて、どう考えてもあり得ん」
問い掛けに先回りし、即座に答える。本来こういう能動的な対応は柄じゃないんだが、この際は致し方ない。
春海は、途端に厳しい表情を浮かべた。
「ねぇ鵜多川。あんた、やっぱり何か知ってるわけ? その、つまりアカリが今日、学校をサボった原因とか、最近落ち込んでた事情とか……」
この様子からして、春海も朱里と連絡を取ろうとしたのだろう。
「あと、今どこにいるのかとかも」
「いいや。何ひとつとして知らん」
またしても嘘を吐いてしまった。
朱里の居場所はともかく、学校をサボった原因や落ち込んでいた事情に関しては、漠然と思い当たるところがある。
たぶん昨日、あいつの予定を問い
その辺りも踏まえ、俺には朱里を捜しに行かなきゃいけない理由がある。
しかし今は、詳しく疑問に答えている場合じゃない。
こちらの話を信用したかはわからないが、春海は次の問いに移った。
「じゃあ、どうやってアカリのことを捜す気なの」
「正直それもわからん。手掛かりがないからな」
俺は、自分の頭髪をかき回しつつ、溜め息混じりに答えた。
「とりあえず、あいつが行きそうな場所をぶらついてみるつもりだ」
「何だか鵜多川、頼りないなあ……。あたしも一緒に行っていい?」
春海は、不安そうに俺の顔を見てから、同行の許可を求めてきた。
思い切った申し出だが、すぐさま断る。
「ダメだ、おまえは学校にいろ。普通に授業に出席した方がいい」
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