第四章「過去も未来も手が届く場所に」

30:幼なじみがすれ違う日々

 藤花の協力もあり、六月分の商業原稿も辛うじて〆切に間に合った。

 PCでメールを確認すると、例によって仕事の連絡が着信していた。



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宇多見コウ様


いつも大変お世話になっております。

少年フォースONLINEの笹野です。


『天宮昇子は俺にだけ厳しい』今月分の原稿をお送り頂き、誠に

ありがとうございます!

今回はネームで苦戦されていたようでしたが、ご苦労された甲斐

あって良い完成度です。


お預かりした作品につきましては、少年フォースONLINEの

公式サイトにて、今月末の更新で掲載させて頂きます。

お疲れ様でした。来月もよろしくお願いします。

次の打ち合わせに関しては、来週二二日(水曜日)に午後七時半

から、リモートで差し支えないでしょうか。


ところで余談ですが、進捗しんちょくはかなり危なかったのに、なぜか原稿

の仕上げがいつも以上に丁寧ていねいでしたね。


少年フォースONLINE編集部

笹野友弘


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 ……普段より仕上げが丁寧だったのは、藤花が作業したからである。

 こなれていて手早く作画してしまう人間より、かえってアシスタント経験の浅い人間の方が、細部まで丁寧に処理しがち……というのはあると思う。


 ていうか毎度なんで担当編集氏は、そこまで原稿の微妙な変化に気付くんですかね。

 マジで漫画の仕上げ、ベタ塗りやトーン貼りではっきり差異が見分けられる部分なんてなかった気がするんですが。


 まあ何はともあれ、完成原稿のクオリティが編集部でも好評なら、藤花のアシスタントとしての適性にも問題はなかったってことだ。

 担当の笹野さんにも一応、今月から藤花がたまに手伝ってくれる件を、今更だけど次の打ち合わせで伝えておこう。まあ少年フォースONLINEは、漫画家がどんなアシスタントを雇ったかとかについて、基本的に口を挟んできたりしない編集部だけどね……。




 かくして、とりあえず目の前の〆切は無事に乗り越えたのだが。

 その後にほどなく、俺は新たな難問に取り組まねばならなくなった。

 身近な異変は、ある日の学校で、移動教室の際に表面化しはじめた。


「なあ鵜多川くん。今日の放課後は空いてるかい?」


 生物の授業開始前、いきなり鎌田が話し掛けてきた。


「何でも春海さんがね、君に紘瀬さんのことで相談があるんだってさ。もし都合が付くのなら、学校の敷地内にある池のところまで来てくれって」


 それはリア充グループの中心的女子である、春海唯からの呼び出しだった。

 おそらく鎌田を介して持ち掛けてきたのは、朱里が一緒にいる場所(教室や学食)じゃ声を掛けにくかったせいだろう。

 連絡先もわからないから、回りくどい手順を踏まざるを得なかったに違いない。


 正直言えば面倒臭かったが、仕方なく呼び出しに応じることにした。

 真剣な話に感じられたし、それが朱里の件だというのは、やはり気掛かりだった。



 やがて放課後になると、所定の池の近傍きんぼうで待つ。

 五、六分遅れて、春海もその場へ一人で姿を現した。

 待たせたことを詫びてから、相談を切り出してくる。


「ここ数日のことなんだけど、アカリが妙に元気ないんだよね」


 春海は、腕組みしながらうなった。


「でも学校じゃ、特に何かあったようには思えないし……」


「だから幼なじみの俺に『朱里が落ち込んだ原因について、何か心当たりがないか』って、訊きたかったわけか?」


 先回りするようにして、用件の主旨をたしかめる。

 春海は、目をすがめてこちらを見ると、ゆっくり首肯した。


「まあ、だいたいそういうことだね」


「でもここ数日ってことは、二、三日の話なんだろ?」


 俺は、もう少し様子を見てもいいのではないか、と言外に指摘するつもりで言った。

 それを春海は正しく読み取ってくれたみたいだが、賛意を示そうとはしなかった。


「それはそうなんだけど、ちょっと心配でさ」


「あいつとやり取りしていて、何かしら引っ掛かるところでもあるのか」


「うん。あたしがあの子のおっぱい揉んでも、反応がいまいちだし」


 問いただすと、奇矯な答えが返ってきた。

 思わず眉根を寄せざるを得ない。


「なあ春海。これって真面目な相談なんだよな……?」


「当然じゃん。そこも含めて絶対におかしいんだって」


 春海は、あくまでも真顔のまま続ける。


「普段はいたずらしたら、あたしとアカリのあいだでボケツッコミがはじまったりするんだけど。昨日は素っ気無く『止めて』って、拒否されただけだったりしてさ。それ以外の会話でも、全然いつものノリじゃないの」



 以前に教室で、春海と朱里がじゃれ合っていたときのことを思い出す。

 あのときも朱里は、胸をまさぐられて明らかに嫌がっていたと思うが……。

 しかし騒ぎ立てながらも、冷たく突き放すような素振りはなかった。

 それに続く漫才みたいな会話に関しては、むしろ朱里も楽しんでいた気がする。


 個人的にあの光景の中には、リア充にありがちな、定型化されたスキンシップの一種を感じていた。たぶん認識としては、間違っていないだろう。

 そうして、どうやら春海にとって「いつものノリ」がそこに存在しないことは、大いに不安視されるらしい。


「こんなふうにアカリがあたしにを作っているみたいなの、初めてでさ……」


 春海は、珍しく意気阻喪した様子で言った。


「あたし、何か悪いことしたかなと思って、それとなく訊いてもみたんだけどね。あの子は『何でもない、唯には関係ないから』としか返事しないの。もしアカリ自身の問題なら、あたしが相談に乗りたいとも言ったんだけど、それには答えてくれないし」


 ひと通り話を聞きながら、俺は少しだけ沈思した。


 ほんの数日気落ちした姿を見せただけで、こんなに心配してくれる友人がいることは、きっと朱里の財産だろう。これも「社会関係資本」の一部分かもしれない。

 あいつも相当お節介だが、あるいは周りの人間も感化されるのだろうか。


「朱里がなんで急に落ち込んでるのかは、俺にも正直わからない。でも何か気付いたことがあれば、春海にも教えるよ」


「……そっか。ありがと鵜多川」


 俺の返事を聞くと、春海はうなずいて礼を言った。




 ……さて実を言えば、このとき俺は春海に嘘をいていた。

 朱里が落ち込んでいる原因については、実際断定できるだけのことを知らない。

 しかし若干の心当たりであれば、いくらか憶測可能な程度の材料を持っていた。

 もっと言うなら、俺も朱里の異変には薄々勘付いていたのである。


 春海は「朱里がここ数日落ち込んでいる」という。

 しからば数日前に何があったかと言うと、漫画原稿の追い込み期間だ。

 俺の家に藤花が連日やって来て、二人で一緒に作画作業していた。

 当初はひと通り仕事を教えたら、あとはリモートで手伝ってもらえばいいか、と考えていたのだが――

 結局、藤花は〆切当日まで、労を惜しまず通い詰めてくれた。

 まあその辺りに関しては、あの子自身が「まだ不慣れなので、直接指示して頂ける方がわかりやすいのですが……」と望んだせいでもある。


 そうして藤花が初めてアシスタントに来てくれた日から、すでに朱里には若干の気落ちした兆候があったように思う。



 さらに思い起こすと、その翌日には尚も気詰まりな出来事があった。

 あの日の朱里は普段よりも、多少遅い時間になってから俺の部屋へ来た。

 下校時に友人から急に誘われ、付き合いで喫茶店に寄り道したためと聞いている。いやそれ自体はリア充のあいつにとって、よくあることだし別にいい。


 このとき事件だったのは、、そこがことである。


 朱里は当時、藤花の姿を室内に見て取り、一瞬言葉を失った様子だった。

 そう。なんとアシスタントを買って出た同級生は、前日よりも早くうちに来て、朱里の代わりに部屋の掃除を済ませてくれていたのだ。


 藤花はこの日、学校にタブレットPCを持ってきていたらしい。なので放課後になると、そのまま俺の部屋へ直接やって来たという。

 なるほど玄関で出迎えた際、言葉を裏付けるように藤花は制服姿だった。


 俺は、不意打ちの展開に幾分戸惑った。

 その日もてっきり、朱里が部屋へ先に来ると、勝手に決め付けていたせいだ。

 だから藤花をうちの中に上げるのも、掃除が済んでからだと思い込んでいた。


 とはいえ、来客を家の外で待たせておくわけにもいかない。

 それで恥ずかしながら、汚い自室へ通さざるを得なかった。

 ところが藤花はゴミが散らかる部屋を見ても、瞳を二、三度瞬かせただけだった。動揺する素振りなど見せず、はにかみながら微笑んだ。


「あの、エミがお片付けしてもかまわないでしょうか?」



 ……そんなことがあって、あの日の朱里は何もせずに帰っていった。


「今日はもう、孔市と藤花さんが原稿制作するだけだろうし、邪魔しちゃ悪いから」

 などと、部屋を辞する前にちからなく言っていた。


 あれからも、早三日が過ぎている。

 藤花は例によって、登下校時に下駄箱の物陰から挨拶してきたり、いつの間にか学食で相席してきたりする。なので最近、一緒に過ごす時間が増えたように思う。

 だが朱里とは、あべこべに言葉を交わす機会が減っていた。


 よく考えてみると、この数日は俺の家にも来ていない。

 今朝は通学バスの中で顔を合わせたが、やはり朱里は何か思い悩んでいるような面差しに見えた。軽く挨拶してみたものの、気のない返事があっただけだ。


 こんなにも不可解な距離を感じたのは、あいつとの間柄じゃ初めてだった。

 家が隣同士の幼なじみな上、同じ学校のクラスメイトにもかかわらず……。


 ――藤花と接点を持つようになってから、朱里は色々混乱しているんじゃなかろうか。


 もちろん繰り返すが、これは俺の憶測であり、断言できるほどの確信はない。

 それに事実とすれば、まるで藤花が悪者みたいになってしまう。だがあの子は、純粋な親切心から、俺の漫画制作を手伝ってくれたりしているんだと思う。

 春海の前で虚言をろうしたのも、藤花のことを誤解させたくなかったからだ。


 ――でもだからって、このまま朱里を放っておけばどうなるだろう? 


 学校から帰宅すると、俺は私服に着替えて思案してみた。

 沢山のゴミが散らかる部屋の中で、しばらくじっと佇む。

 やがて良くない想像が脳裏に浮かび、それをかき消そうとしてかぶりを振った。

 やはり何とかせねばならない。さもなくば、きっと誰も幸せにならないだろう。



 俺は、室内に置かれた収納に歩み寄り、ひきだしを開けた。

 ここにはたまにしか使用しない物品の数々が、いくつも保管されている。

 目当てのものが見付かると、俺はそれをおもむろに取り出した。

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