27:無駄に事情通な女子

 本日も午前中は、平常通りに授業時間を過ごした。

 まず一、二時間目は、ひたすら居眠りすることで寝不足を補う。

 次いで三、四時間目は、漫画のプロットやネームの作成作業だ。


 先月末の試験期間がまだ影響していて、実は思ったより今月は仕事の進捗しんちょくが悪い。

 その前には朱里と動物園へ出掛けた上、昨日も藤花と喫茶店で長話したからなあ。



 ――ここのところ少しイカンなあ、よそ事にかかずらいすぎだ。


 英文法グラマーの授業中、ノートに漫画の中で使うセリフを書き付けながら、俺は隠れて溜め息をいた。


 俺にとって、漫画は遊びじゃない。実際的な意味でも、心掛け的な意味でも。

 だからこそ自宅では引きもって作画し、学校では孤独を好んでいるのだ。

 そういう青春の在り方を、俺はずっと望んで選択している。


 ……ただ一方では思いのほか、面倒が起こらずに助かっていることもあった。

「鵜多川孔市は漫画家だ」という事実を、当人(俺)に直接確認してくるクラスメイトは今のところいない。

 二年一組のリア充グループを中心として、それなりに情報は広まっているはずなのだが、想像以上に気遣きづかいいのある人間が多かったみたいだ。


 何しろ、朱里から先日知らされた話によると――

 さわやかイケメンの高城などは、お調子者の鎌田に対し、やや遠回しに「あまり鵜多川のことでさわいだりするなよ」と、陰で釘を刺していたらしい。

 これまで俺が自発的に素性を打ち明けてこなかった点を踏まえれば、現状を維持する方が賢明だと判断したみたいだった。


 ――うーむ。実は高城って、かなりいいやつなのでは……? 


 いったん漫画の字コンテを書く手を止め、そんなことをぼんやり考える。

 四時間目の教室には、英語教師が慣用表現に関して解説する声が響いていた。

 それを適当に聞き流し、目だけで二年一組の中に高城の姿を探す。室内で廊下側寄りの席に座っていた。真面目に授業を受けているようだ。


 思い返せばこいつ、最初に俺と朱里が幼なじみだって話を聞きに来た際も、絶妙に空気を読んで話を切り上げてくれたんだよな。たしか勉強会で漫画家だってバレたときにも、鎌田や村井の会話に参加するのは消極的だったみたいだし。

 あと全然関係ないけど、中間考査の成績もわりとクラス上位だったっぽい。


 ――何だよスポーツマンで顔も頭も性格も良いとか、格差社会のアイコンか? 


 もし女子に生まれてたら、危うく告白してフラれるところだったぜ……。

 などと複雑な感情を抱きつつ、俺は授業中の内職に戻った。




 かくして、おおむね平穏な状況は続いていたのだが。

 実際には同級生全員が、高城のように適度な距離感を保っていてくれたわけじゃない。


 少なくとも二年四組の藤花笑美子は、良くも悪くも「現役高校生漫画家・宇多見コウ」に並々ならぬ関心を寄せている一人だろう。

 あの子の存在に限っては、薄々予測していた可能性が現実になったものかもしれない。

 何しろ今朝は昇降口で、俺のことを「下駄箱の物陰から眺めている」という怪しい行動に出ていた藤花であるが――

 尚も予期せぬ奇矯ききょうな言行は、しばしば続くことになったからだ。



 この日の昼休み、俺は例によって学食へ向かった。

 配膳はいぜんカウンターでは、食券と交換にチキン南蛮なんばん定食をトレイへ乗せる。

 朱里や春海が談笑するテーブルの脇をすり抜け、窓際の席に腰掛けた。


 いつものように一人きりで、黙々と皿の上の料理を口の中へ運ぶ。

 味噌汁のわんを口元でかたむけていたら、思い掛けなく声を掛けられた。


「あの、宇多見先生。相席してもかまわないでしょうか……?」


 ふと顔を上げると、テーブルを挟んで正面に藤花が立っていた。

 両手でトレイを持って、温かい鶏蕎麦とりそばが入った器を運んでいる。


「……空いてるんだから、好きに座ればいいんじゃないか」


 俺は、チキン南蛮をひと切れ、はしまみながら返事した。


 これがもし朱里なら、相席なんて止めてくれ、と断るところだが――

 知り合って日が浅い相手だと、かえって角が立つような真似はできなかった。

 朱里との無遠慮なやり取りは、長年の親交があってこそのものなんだよな。


 藤花は「でっ、では失礼します」と、律儀に礼を言って着席した。

 相変わらず挙措にぎこちなさを感じるが、面差しは嬉しそうだ。


「ところで藤花。やっぱり『宇多見先生』って呼び方は、止めてもらえないか」


 俺は、鶏肉とりにく咀嚼そしゃくしながら、やや声をひそめて頼む。

 昨日も「敬語を使ったり、先生と呼んだりするのは止めてくれ」と要望したわけだが、再度繰り返さざるを得ない。


「うちの学校の生徒に聞かれると、俺としては何となく落ち着かないんだが」


「えっ。そうですか……? でもエミにとって、先生はやはり先生なのですが」


「せめて学校の中でだけは『鵜多川』って呼んでくれ。ここでペンネームを使われるのは正直、かなり心理的に痛い」


「は、はあ。わかりました。でしたら校内では今後、鵜多川くん、と……」


 藤花は、従順に要望を承諾してくれた。

 だが俺の苗字(本名)を口にした途端、急に少し言葉に詰まる。

 何事かと見守っていると、またもや居心地悪そうに身動ぎした。


「……ううっ。男の子を『くん』付けの苗字で呼ぶの、恥ずかしいですね……」


「いやなんでだよ、『先生』呼びよりはるかに普通だろ」


「実はエミ、名前を呼ぶ機会があるほど親しい男の子の友達が他にいないので」


 …………。


 藤花は、頬を桜色に染めながら、こちらを上目遣いに見ている。

 いや何なのこれ。


「苗字で呼ばれていた女子から、下の名前で呼ばれるようになる」

 ってのは、ラブコメ漫画の王道ど真ん中ではあるけど。


「ペンネームで呼ばれていた読者から、本名の苗字で呼ばれるようになる」

 って、わりと変化球じゃないですかね……? 



 などと、若干の謎展開に当惑を覚えていたところ。

 不意に斜め前方の方向から、こちらへ鋭い視線が注がれているのを感じた。


 その眼差しが誰のものかは、改めてたしかめるまでもなくわかる――

 もちろん、朱里のそれだ。近くのテーブルで春海たちと談笑しながら、合間に俺の方を刺すような目つきで見ていた。やばい。


 内心戦慄せんりつしていたら、藤花がきょとんとして問い掛けてきた。


「あの、どうしましたか?」


「……いや。何でもない」


 取りつくろうように言って、昼食に戻る。


「それより昼飯を済まそう。藤花も早く食べないと、鶏蕎麦が冷めるぞ」


「は、はい。そうですね……」


 食事をうながすと、藤花は素直にうなずいた。

 蕎麦の麺を箸の先でひと束すくって、ちいさな口の中へ運ぶ。

 ちゅるちゅると、何やら一生懸命食べているように見えた。

 それから、次は器の中に浮いた鶏肉に箸を伸ばす。


「その蕎麦の鶏肉、けっこう美味そうだな」


「あっ、そうですか? やっぱり宇多見せ――じゃなく、鵜多川くんって、鶏肉がお好きなんですね」


 藤花は俺のペンネームを、会話の途中で本名に呼び直しつつ言った。

 その言葉には、しかし他の部分に微妙な引っ掛かりを覚えてしまう。


「……なあ藤花。なんで俺が鶏肉好きだって知ってるんだ?」


 たしかに俺は、鶏肉料理が好きだ。学食でも頻繁に注文する。

 でも藤花とは、昨日初めて面識を得たばかりなのだ。

 にもかかわらず、なぜそれが好物だと知っているのか。


「えっと。実は、う、鵜多川くんがペンネームで登録しているSNSで、過去に鶏肉料理が好物だという趣旨の発言を見掛けたことがあったものですから」


 藤花は、箸を持っていない側の手のひらを頬に当て、穏やかに微笑んだ。


「それで今日もチキン南蛮定食を食べていたので、やっぱりそうなんだと」


 …………。


 そんな発言、SNS上で投稿したことあったかなあ……。

 仮にあるとしても、かなり昔のやつだと思う。

 半年以上前か、下手したらまだ商業漫画家になっていない頃のものか。

 そこまで過去にさかのぼって、俺のプライベートな情報発掘したのこの子? 


「えと、他にも宇多見、いえ鵜多川くんのことなら、SNSで色々知ってます」


 幾分たじろいでいると、藤花は尚も驚くべきことを口走った。


「一〇月五日生まれの天秤座で、O型でしたよね? エミは八月二五日生まれの乙女座で、B型なんですけどっ」


「は、はあ? いやたしかにその通りだが」


「あと身長、一七五センチもあるんですよねっ。エミは一五二センチしかないので、その、やっぱり鵜多川くんぐらい背が高い男の子は、素敵だと思います……」


 藤花の瞳には、きらきらときらめいている。

 おそらく、崇敬めいた純粋な光彩だと思う。


 が、俺はそれを見て、かすかに妙な悪寒を覚えた。

 どんなふうに反応すべきかも、正直わからない。

 SNS恐るべし。個人情報ダダ漏れじゃねーか……。



 その後はやや呆然として、ただ藤花の話に曖昧な相槌あいづちを打つことしかできなかった。

 朱里は近くのテーブルから、時折こちらの様子をうかがっていたみたいだったが。

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