26:同級生が熱心すぎるファンの場合

 それからも喫茶店で、藤花とは色々なことを歓談した。


 深夜アニメに関して語り合ったあとは、藤花が同人誌を作ったりしている、という話題にもなった。

【同人誌】というのは、主に専門の即売会(フリーマーケット)などで頒布される書籍や冊子のことだな。大抵は出版社を介さずに制作する、自費出版物の一種だ。

 藤花が同人誌で扱う題材は、やはり<ラブトゥインクル>シリーズの二次創作らしい。


 それで何だかんだと、漫画を描く際に心掛けていることだとか、漫画原稿制作アプリのツール設定とかについても質問を受けた。作画技術をたずねる有様は、真剣そのもので、強い熱意を感じないわけにはいかなかった。


「本気で漫画が上手くなりたい」という相手に相談されると、こちらも親身に答えてやりたくなってしまう。

 藤花は特に商業作家志望というわけじゃないそうだが、絵を描くことが好きな人間で、現状に満足している人間は基本的にいない――と、俺は思っている。

 程度の差はあれプロもアマも、誰だって今より上達したいはずなのだ。


 それが伝わるから藤花のことも、やり取りしていて嫌いにはなれなかった。



 喫茶店「白柊館」を出る頃には、午後四時近い時刻だった。

 当初の予定より、ずいぶん長い時間話し込んだことになる。


「あの。今日はお忙しいところ、沢山時間を割いて頂いてありがとうございました」


 駅前広場へ戻ってくると、藤花は別れ際に再度謝辞を述べてきた。

 大事そうに抱えた革鞄の中には、俺のサインした本が入っている。


「宇多見先生といっぱいお話できて、本当にエミは幸せでした……」


「何だか大袈裟だなあ、ちょっと同級生と会って話をしたぐらいで」


 感激する藤花の姿を見せられ、さすがに苦笑を漏らさざるを得ない。

 だがまあ、これだけ喜んでくれれば、こちらも会った甲斐があるというものだ。

 リアルで<ラブトゥインクル>の話ができて、俺も正直けっこう楽しかったし。



「えっと、それで宇多見先生――」


 藤花は、またしても恥じらいながら、次の言葉をつむごうとする。

 他の話題を持ち出す際は、いまだ遠慮がちになるみたいだった。


「もし差し支えなければ、いずれエミが作る同人誌を受け取って頂きたいのですが」


「……ああ、その話か。もちろん期待しているよ」


 実はさっき喫茶店で、藤花の同人誌を俺が読ませてもらう、という話があったのだ。

 互いに<ラブトゥインクル>を愛する同好の士とわかったし、この子がどういう漫画を描いているのかも、純粋に興味があった。


「本当ですか? ――じゃあ新刊が完成したら、どうやってお渡ししましょう」


「そうだなあ……。とりあえず、こっちの連絡先だけでも教えておこうか?」


 具体的な段取りを問われ、ちょっと考えてからスマホを取り出した。

 藤花は、元々大きな瞳をいっそう見開き、ぱああっと顔を輝かせる。


「い、いいんですか宇多見先生!? エミのためにそんなことして頂いてっ!」


「まあ他の人をあいだに挟んでやり取りするのも、今更面倒臭いからな……」


 メッセージアプリに相手のIDを、各々手早く登録してしまう。

 何だか体よく女の子と連絡先を交換したみたいになったが、致し方ない。

 直接会って話してみて、互いに面識もできたことだしかまわないだろう。


 藤花は、スマホの画面を確認すると、肩を細かく震えさせた。


「はわわわわわ~……。先生、エミは今日の出来事を一生忘れません……っ!」


「いやだから大袈裟だって。明日以降は普通に学校でも会うかもしれないだろ」


 毎回過剰な反応を繰り返すので、さすがに少し呆れてしまった。

 同級生のゴスロリ少女は、誤魔化すような照れ笑いを浮かべる。


「そっ、そうですね。その際にはまた、ご挨拶させて頂きます」


「おう。そんなかしこまらなくてもいいけど、よろしく頼むな」


「はい、はいっ……。それではお引止めするのも申し訳ないですし、今日のところはこれで失礼します!」


 藤花は、こくりこくりとうなずいてから、お辞儀を寄越した。

 そうして背を向けると、逃げ出すように去っていく。

 彼我の距離が広がるまで、途中で何度も振り返り、そのたび頭を下げていた。


 やがて駅前広場からは、特徴的なゴスロリ姿が見えなくなる。

 と、耳に馴染んだ幼なじみの声が、すぐそばから聞こえてきた。


「……藤花さんも孔市も、今日はお互い楽しかったみたいでよかったわね」


 ちらりと目だけで様子をうかがうと、朱里は妙に疲れた顔をしていた。

 まあ今日は、俺と藤花のオタクトークに二時間強も付き合わされたわけだし、こうなるのも当たり前か。

 時折こいつも会話に参加できるよう、学校の話題を振ってやったりもしたのだが――

 それもあまり長続きせず、喫茶店の中じゃ大半は紅茶をすすりながら黙っていた。

 本日の主旨は藤花との面会だったのもあって、全然かまってやれなかったな。


 それを当てこするつもりなのか、朱里は皮肉っぽい調子で言葉を継いだ。


「いつもなら『自分は選択的ぼっちで、友達なんかいらない』なんて言ってるくせして、藤花さんとは連絡先まで交換しちゃったりして」


「……いやいや何言ってんだよ。今日は元々おまえの顔を立てて、藤花と会うことにしたんじゃねーか。でなきゃ村井に不義理だからって」


 多少むっとして、咄嗟とっさに言い返した。

 付け加えれば、藤花は俺の漫画の読者でもある。

 職業的な立場上、わけもなく邪険にすべき相手ではない。そんなことは実際に俺と藤花が合う前から、わかり切っていたはずだ。

 なのにいざ仲良くなったら嫌味を言われるなんて、理不尽すぎる。


 朱里は、こちらの抗議に対し、ちょっとひるんだような素振りを見せた。


「それは……そうなんだけど。何だかこう、藤花さんは――」


 そこまで言ってから、にわかにいっぺん口をつぐむ。

 発話したい事柄を、上手く言語化できずに困っているみたいだった。

 俺は、少しいらいらして、先を急かした。


「藤花は、何だよ」


「……何でもない」


 結局それ以上は何も語ろうとせず、朱里はこちらから顔を背けた。


 いや本当に何なんだよおまえは。




     ○  ○  ○




 週が明け、月曜日になった。


 遅刻を辛うじて回避可能な時刻に起床し、際どいタイミングでバスへ乗り込む。

 車内では、例によって朱里と顔を合わせた。しかしこの日は特段言葉を交わすでもなく、鐘羽四条の停留所まで大人しく揺られる。


 降車後も普段通り、鐘羽東高校の正門目指して真っ直ぐに歩いた。

 同じバスで通学しておきながら、朱里と幾分距離を取って登校する流れも、当然いつもと変わらない。幼なじみは相変わらず、道すがら何人もの知り合いに挨拶している。


 それにかまわず、俺はさっさと正門から学校の敷地へ入った。

 正面玄関を抜け、昇降口で靴を上履うわばきにき替える。


 そのとき、ふと何か奇妙な気配を感じた。


 ――なんだ? 誰かに見られている……? 


 顔を上げ、周囲をぐるりと見回した。


 違和感を覚えたのは、斜向かいにある下駄箱の物陰だ。

 そこに何者かが半身隠れるように立っていて、こちらへ視線を送っているらしい。

 熱のもった眼差しを向けているのは、かなり小柄で、見覚えのある女の子――


「……って、誰かと思えば藤花じゃないか。いったい朝からどうしたんだ」


 すっかり虚を衝かれつつも、俺は物陰に立つ同級生へ声を掛けた。



 そう。そこに佇んでいたのは、あの藤花笑美子だ。

 さすがに今朝はゴスロリ服じゃなく、学校指定の制服を着用しているが、間違いない。

 黒髪ツインテールと大きな瞳、細く小柄な容姿は見紛みまがうはずもなかった。


 藤花は、名前を呼ばれ、一瞬びくっと肩を震わせたようだった。

 物陰から全身を現すと、ぺこりとお辞儀を寄越す。


「あっ、あのぅ――宇多見先生、おはようございます……」


「おはよう。ていうかなんで下駄箱の陰に隠れてたんだ?」


 ひとまず挨拶してから、素朴な疑問をたずねてみる。

 藤花は、恥ずかしそうにもじもじしながら答えた。


「え、えっと……。校内にいるとき、いつも先生は『孤独を愛する気高いアウトローだ』という噂を、村井さんが春海さんから最近聞いたそうなので。エミがおそばに近付いちゃ、ここではご迷惑になるんじゃないかなと思いまして……」


 …………。


 春海はいったい、よそでどんな俺の人物評を吹聴しているんですかね……。

 いやきっと「朱里の幼なじみはどんな人?」って訊かれて、ぼっちな事実をあいつなりに各方面へ配慮した言葉で言い表したんだと思うが。

 西部劇に出てくる流浪のガンマンか何かか俺は。


「まあ面倒臭い人間関係はお断りだから、人付き合いが悪いのは事実なんだが……。学校の中でそんなキャラ作りしているつもりはないし、普通に接してくれ」


 俺は、思わず苦笑いしつつ、念のために誤解を訂正しておく。


「それで、何か用か? いましがたこっちを見ていたみたいだったが」


「い、いえ! 今朝は宇多見先生のお姿を拝見しようと思っただけで」


 改めて問うと、藤花は幾分あわてた様子で言った。

 だが正直、いささか理解に苦しむ回答である。根本的な目的もわからんし、そのために下駄箱の陰で身を隠していたのもわからん。


「俺の姿を見るためにって、なぜそんなことを」


「ううっ。そのぅ、なぜと訊かれましても……」


 重ねて訊いたら、藤花はおろおろして困り顔になった。


「先生をお出迎えしたいという気持ちには、特別な理由が必要でしょうか」


「いやいやそんな、別に海外から久々に帰国したとかってわけでもないし」


「でしたら、国内ツアー中のアイドルを追い掛けるファン的なものだと考えて頂ければ」


「それもおかしいだろ。ていうか海外か国内かの問題じゃないし、アイドルでもねぇし」


「エミは先生のことをおしたいしていますので」


「明らかに慕う方向性が間違ってると思うが」


 藤花はかすかに頬を上気させていたが、色々ツッコミを入れざるを得ない。

 最初から何となく知ってたけど、やっぱ少しおかしいなこいつ。


「あのっ。それじゃエミはそろそろ、自分の教室に戻りますので……」


 そう言い残すと、藤花は足早に昇降口から立ち去ってしまう。


 俺は、それを呆気に取られて見送った。

 直後に気付いたのだが、折角だし途中まで一緒に各々の教室へ向かえば良かったのではなかろうか。俺が在籍する二年一組も、藤花の二年四組も、校舎北棟三階なんだが。

 ていうかあいつは俺より先に登校して、荷物をいっぺん自分の教室に置いてきてから、下駄箱の陰で身を隠していたみたいだな。物好きなやつ……。



 その場で立ち尽くしていたら、不意に不機嫌そうな声でとがめられた。


「ねぇ孔市。上履き履き替えたのなら、早く退けてくれない? 邪魔なんだけど」


 いつの間にか朱里が背後に立っていて、こちらを半眼で見詰めていた。

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