12:趣味と仕事に境目がない人種

「まあとにかく、いったん私は自分の家に戻って着替えてくるわ」


 朱里は、ラッキースケベの話題を切り上げ、ソファから腰を上げる。

 どうやら俺の部屋着を着用し続けているのは、落ち着かないらしい。

 よく見ると、手足の裾を持て余していて、微妙に所作が不自然だった。


「君に借りたスウェット、あとでちゃんと洗って返すから」


「今しか着てない服だし、そんな気を遣わなくてもいいぞ」


 俺は、律儀なやつだと思いながら、幼なじみの申し出を断ろうとした。

 だが朱里は「シャワーのあとに着たものだから、きっと目に見えない汗や皮脂の汚れが付いている」と言って、譲ろうとしなかった。


「それに洗わないで返したら、孔市が変なことに使わないか心配だもん」


「何だよ変なことって。たぶん裏地の匂いを嗅ぐぐらいだぞ」


「わかっていて言っているなら変態だし、無自覚で言っているなら重病人の発言だからねそれ。どっちにしても救いはなさそうだけど」


 とぼけてみせたら、朱里は冷ややかにツッコんできた。

 それから浅く呼気を吐き出し、こちらへ背中を向ける。


「ところで、孔市はこれからシャワーを浴びるんだよね」


 朱里は、壁掛け時計をちらりと見て、時刻を確認した。


「だったら、そのあいだにお昼ご飯用意しておいてあげようか? いつもみたいに冷蔵庫の中にある食材を使わせてもらって、私が適当に作る料理だけど」


「おう、いつも悪いな。よろしく頼むわ」


 小遣い目当ての提案とはいえ、ありがたく調理を嘱託しょくたくする。

 こちらの返事を聞くと、朱里は「ん、わかった」と手短に答えた。

 足早にリビングを退出し、紘瀬家へ帰っていく。



 俺は、それを見送ってから、浴室でシャワーを浴びた。


 さっぱりして脱衣所を出ると、すでに朱里がキッチンで料理していた。

 紘瀬家で着替えを済ませて、プルオーバーと膝丈のスカートに身を包んでいる。現在は調理中なので、その上からエプロンも着用していた。


 俺は、ダイニングテーブルの席に着き、昼飯が完成するのを少し待った。

 するとほどなく、朱里が木の盆で二人分の器を運んでくる。

 テーブルの上に並べられたのは、どんぶりと椀、それに小鉢だ。

 それぞれ親子丼と味噌汁、白菜の浅漬けだった。


「さあどうぞ召し上がれ」


 朱里は、エプロンを外すと、差し向かいの席に腰掛けた。


「味噌汁はインスタントで、浅漬けは冷蔵庫の中にあったのを器に盛っただけだけど」


「いや充分だよ。それに丁度こういうのが食いたいと思っていたんだ」


 出来立ての丼ものを、はしすくう。

 玉子のとろみに覆われた鶏肉が、艶やかな白米と共に湯気を上げていた。

 強烈に食欲を刺激され、そのまま箸ごと口の中へ入れる。美味い。

 ふた口目からは、やや上体を前へ乗り出し、がっつくように食べはじめた。

 朱里もならうようにして、自分の親子丼に箸を付ける。



「ところで、もう仕事で描いてる漫画の原稿は、おおむね描き上がったんでしょう」


 昼食の最中、朱里は世間話の口調で問い掛けきた。

 俺は、親子丼を口の中にかき込みながら答える。


「まあな。まだ最終チェックして、編集部に送らなきゃいけないが」


「じゃあそれが済んだら、今月は来週からどうするの」


「次はSNSで公開しているショートコミックの作業だな……。ただそっちもネームまでひと通り終わってるから、それほど描くのに時間は必要ないと思う」


「ふーん。……それも描き上がったら?」


「ショートコミックを公開し終えたらか。そうだな――」


 重ねて予定を問い掛けられ、俺はちょっぴり考え込んだ。

 口の中の鶏肉を飲み込んでから、思い付くまま返事する。


「まあ余裕があれば、そのときは『ホシガク』の二次創作にでも手を出してみるかな? 息抜きも大事だし、最近は梅原うめはら小夢こゆめのヤンデレ漫画を描きたかったんだ」


「それどこが息抜きなの!? 結局漫画描くことしかしてないじゃない!!」


 にわかに声を張り上げ、朱里が異議を唱えてきた。

 提示された計画について、まるで「信じられない」とでも言いたげな面持ちだ。

 俺は、幼なじみの癇癪かんしゃくめいた反応に驚かされ、いささか当惑を禁じ得なかった。


「おい何言ってるんだ朱里。仕事の合間に仕事と関係ない漫画を描くのは、当然の息抜きだろ……? 〆切で切羽詰せっぱつまってるときって、大抵仕事に無関係な絵が描きたくて、凄いストレスが溜まるもんだし」


「……ご、ごめん頭が痛くなってきた……。そう言えば君って、そういう変な人だったのよね、失念してたわ。真っ当な人間と接する感覚で話しちゃいけないんだった」


 朱里は、テーブルの上に肘を突き、頭を抱えてしまう。

 食事の箸を止め、うーん……と、低くうめきはじめた。


 いったい何なんだ。長年親交のある幼なじみを、異常者みたいに扱おうとして。

 俺は、やや心外に思いつつも、黙って昼飯の続きに戻ろうとした。



 が、直後に朱里が顔を上げ、いきなり批難してくる。


「ねぇ孔市。そんなに毎日延々と漫画を描いてばかりの生活してたんじゃ、絶対に不健全だわ。今月はもう〆切が済んだのなら、どこかへ遊びに出掛けなさいよ」


「何かと思えば、またそれか。そんな暇ないって言ってんだろうが」


 俺は、口元で味噌汁の椀を傾けながら、思わず眉をひそめた。

 引き篭もりの話題を蒸し返され、うんざりせずにいられなかった。


「だいたいその話だったら、こないだ済んだはずだろ。仮に時間の余裕があるときだって、俺としちゃ録画したアニメやネット動画を視聴する方が有意義だ」


 さらに付言すれば、この部屋には「買ったまま未読の漫画単行本」が山のようにある。

 余暇にはそういうものも、できるだけ目を通していかなきゃいけない。同業者の作品をチェックするのだって、重要な仕事のひとつだからな。


 俺みたいな駆け出しの漫画家には、時間なんていくらあっても足りない。

 一方で健康にも配慮し、隙間時間で筋トレなどするようにしていることも、朱里に以前ちゃんと説明したはずだったと思うが……。


 しかしこのリア充な幼なじみは、あくまでこちらの言い分に納得していないらしい。


「何が君にとって有意義か知らないけど、筋トレさえしていれば引き篭もっていても健全だなんてのはかたよった思い込みだからね」


 そう言って憮然とした表情を浮かべると、朱里も昼食を再開した。

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