09:アイドルアニメで泣く人間は信用してもいい

「それにしても、おまえも今日はここへ来るのがずいぶん早かったな」


 俺は、着替えの話題がバカらしくなって、話題の方向を転じた。


 幼なじみが早々と来訪した点に関しては、素朴な疑問を感じる。

 普段の放課後なら、俺が着替えを済ませ、机の前で漫画を描きはじめてから、ようやく鵜多川家にやって来るのだ。

 今の朱里を見ると、すでに鐘羽東の制服姿じゃない。つまり自宅で私服を着用してから、この部屋を訪れている。


 それは平時と比べて、かなり迅速な訪問だった。

 俺が鐘羽四条から乗ったバスには同乗していなかったはずだから、おそらく学校からは次の便で帰ってきたのだろう。もっともコンビニで買い物しているうちに、こいつの方がかえって紘瀬家へ先に到着したのかもしれない。


 そのあと俺も帰宅したわけだが、すでに朱里は自宅で身形を整えていた。

 で、何も知らずにこの部屋へ来て、上半身裸の男子に遭遇した――……

 まあ事態の顛末としては、そういったところだろうな。


 だがこの子がなぜ、そんなに急いていたかはよくわからないのだ。



「だって……。学校で昼休みに言ったことの続き、もっとちゃんと話したくて」


 朱里は、やっと少し落ち着いた様子で言った。


「なのに帰り際、私が唯にちょっと挨拶していたら、そのあいだに君ってばさっさと一人で下校しちゃうんだもの。メッセージで連絡取って呼び止めようかとも思ったけど、今日もどうせここへ来るつもりだったし……。でもそれなら早くしようと思ったの」


 ふーむ、なるほど。要するに昼の話題が気掛かりだったらしい。

 それでもう一度仕切り直して、何か意見したかったのだろう。


「何だよ授業中に勉強しろって話か」


「えっと、それもあるけど。……一番は、学校で君に話し掛けちゃいけないって話」


 仕方なく態度を改めると、朱里は幾分逡巡しゅんじゅんする素振りをのぞかせて言った。

 もっとも一度言及した以上は、もう話題を取り下げる気はなさそうだった。


「前々から思ってたんだけど、やっぱり少し不自然じゃない? 君と私が幼なじみだってことぐらいは、同級生の中にも知ってる人がいるんだし」


「不自然でも何でも、他人と関わり合いになるのは億劫なんだ」


 俺は、わざとらしく肩をすくめてみせる。今更な話だと思った。

 こちらとしては、とっくに結論が出ていることだからだ。

 もっとも優等生の幼なじみは、納得してくれなかった。


「でも学校でだけ距離を置くなんて、極端すぎるわよ。ここでは普通に話してるのに」


 朱里は、俺の顔を真っ直ぐに見詰めて言った。

 瞳の中には、やけに真剣な光彩が宿っている。


「たしかに君って、学校じゃぼっちだと思う。でも本当は陰キャじゃない――というか、自ら進んでカースト底辺みたいな立ち位置に納まってるわよね? コミュニケーションも本当は苦手なわけじゃないし、普通に友達作ったりできるはず」


 時折わずかに考えるような間を挟みながら、朱里は言葉をつむぎ続ける。


「なのに孔市、誰とも積極的に関わろうとしていないでしょう。そういう部分も含めて、とっても歯痒はがゆいの。何かに付けて面倒臭いからって、周りの人を避けてばかり。それで、そういう他人の中の一人に自分が入っているのは、やっぱり寂しいわ……」


「……そんなこと言ったって、仕方ねーだろ」


 俺は、ひと頻り耳を傾けてから、呼気を吐いた。


「無駄に他人と関わらないのが、俺としては一番都合がいいんだから」


 苦笑混じりに告げると、リア充な幼なじみに背を向ける。

 机の前で椅子に腰掛け、PCの電源を入れた。漫画制作アプリを立ち上げて、普段通り液タブでの作業に取り掛かることにする。


 朱里は、急に黙り込んでしまった。

 背後を振り返って確認しなくても、言葉に詰まっているのがわかる。



「いいか朱里。俺はな、選択的なぼっちなんだよ」


 作成中の原稿ファイルを開きながら、俺は淡々と続けた。


「ぼっちを好んでいる理由について、面倒臭いという表現が気に食わないなら、そんな暇がないからと言い換えてもいい。俺は時間や体力を、人間関係に費やしたくないんだ」


 交友関係を広げれば、それに伴うコストを要求されてしまう。

 例えば、放課後や休日に誘われて、どこかへ遊びに出掛けなきゃいけない機会もあるだろう。

 そういう親交を持つことは、個人的にありがたくない。


 ――なぜなら、俺は漫画を描かねばならないからだ。


 無論、同世代の友人と青春を過ごす経験も、創作活動において無意味だとは言わない。

 むしろ漫画を描く上で、大いに役立つこともあろう。


 とはいえ俺は現在、商業連載の漫画を描き、しかもSNS上でショートコミックを定期更新している。その合算ページ数が毎月三〇ページを下ることはない。

 それも現状、高校に通いながら描いているのだ。


「漫画原稿一ページ仕上げるのがどれだけ労力を使うか、おまえだって知ってるだろ? ここで俺が漫画描いてるところを、いつも見てるんだから」


「……それはもちろん、何となくわかってるけど」


 たしかめるように訊くと、朱里は渋々といった調子で認めた。



【絵が達者な描き手は皆、鼻歌混じりに漫画やイラストをさらさら描いている】

 というのは、実際に作画したことがない人間の、無知から来る思い込みだ。

 いやまあ、そういう特殊な才能の持ち主も一部に存在することは否定しないが……。

 俺を含む大半の作者は、地味な作業の積み重ねで作品を完成させている。


 それを踏まえれば、交友関係を広げて、創作活動以外に時間を割く余裕はない。

 だから学校の中では、朱里とも極力親密にしたりしたくないのだ――

 リア充との接点が増えれば、きっと人間関係のわずらわしさも増える。



「ついでにもうひとつ、教えてやる」


 俺は、液タブの画面上にタッチペンを滑らせながら言った。

 選択範囲をツールで取って、ベタの箇所を塗り潰していく。


「高校生活の良し悪しを、俺は他人の物差しで測られたくない。リア充にはきらきらした毎日が必要だとしても、そんなもの俺には不要なんだ。この部屋で漫画を描き続けることこそ、俺にとって理想の青春さ」


「……わかったわよ。もう君に学校で話し掛けたいとは言わない」


 そこまで言うと、朱里もとうとう引き下がった。

 ただし尚も俺の日常については、実態に即した懸念を訴えることを忘れない。


「でも漫画を描くのに忙しいからって、ほとんど自分の部屋と学校を往復するだけの生活に満足してるっていうのはどうなの? そこはリア充とか青春とか関係なく」


「俺は俺なりに日々、原稿の進捗スケジュールがあるんだよ」


「ねぇ孔市。今年に入ってから、君が登校したりコンビニへ買い出しに行く以外で、一番最近外出したのっていつ? 年始の初詣にはおじさんやおばさんと来てたけど」


「…………その初詣だな。あとは出掛ける用事もなかったし、書籍やBDブルーレイを買ったりするのは大抵ネット通販で済ませてるから」


 過去の記憶をさかのぼり、幼なじみの問い掛けに答える。

 沈思の間が生じたのは、心当たりが全然なかったせいだ。

 朱里は、文字通り「あんぐり」と口を開く。


あきれた……。じゃあ君、あれ以来どこにも出掛けてないの? え、今年もう五月も中旬なんだけど。まさか藍ヶ崎駅前にすら行ってないわけ?」


「うるせぇなあ、たまに時間の余裕があったって原稿以外のノルマも多いんだよ! ほら、例えば『ホシガク』のBD鑑賞して感動したりだとか!」


「……たしかそれ、深夜のアイドルアニメじゃなかった? ひと頃ここへ来るたび、君がいつも原稿描きながら別のモニタで観返してた記憶があるんだけど。もう何度も視聴したアニメを、どうして貴重な余暇までつぶして観直すのかしら」


「は? そりゃ定期的に『ホシガク』で号泣しなきゃ面白いラブコメ漫画が描けないからに決まってるだろ、近未このみ久遠くおんちゃんの当番回で彼女が奨学金をもらうために日々苦学してバイトして家族のために家事までしている中で夢をあきらめそうになるエピソード視聴して現代社会が抱える経済格差や子供の貧困に対する問題提起を真摯に受け止められないやつが描く漫画なんて信用できないだろうが!!」


 俺は、かっとなって反射的に力説した。

 作業の手を止め、机の前に座ったまま朱里を振り返る。

 リア充な幼なじみは、冷ややかな反応を示していた。


「ごめんちょっと早口すぎて何言ってるかわからないし、たぶんわかってもキモいわ」


 はあ……そうやって視聴してないやつほど、きちんと内容を把握していないくせして、美少女アニメファンを短絡的に叩こうとするんだよな……。いやまあ最初から美少女系コンテンツ自体が気に食わないやつは視聴しても結局叩いてくるし、何ならわざわざ作品を具体的に叩くために視聴しようとする悪意満点なやつもいるが。何だよ地獄か。

 などと、世界の不条理に密かな憤りを覚えていたのだが。


 朱里は大きな溜め息を吐くと、おもむろに部屋の掃除をはじめた。

 それによって「もうこの話題はおしまい」と、暗黙のうちに示すかのようだった。


 ていうか例によって、ここには俺の世話を焼くために来ていたんだよなこいつ。元々の来意を、うっかり失念していた。

 俺も作業机の前に向き直って、漫画原稿の仕上げ作業を再開する。



 それからは二人共、しばらく自分の仕事に専念した……。

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