そして、バーは開店する
王都の中心部から離れた沼地に、ひっそりとたたずむ一人の女がいた。
襲撃したはずなのに返り討ちにあい、仲間を沼地に埋めて自分だけは助かった女、パティだった。
「なんで僕だけ……」
無様に生き乗ったよ、とかつての相棒に彼女は語り掛ける。
その手のひらの中には、本日づけで支給された新しい身分証があった。
西区武装警察、広域犯罪捜査局三等捜査官。
先日までは三級だったのに、いきなりの飛び級だ。
格付けとして部課長クラスになる。
あのホテルに押し掛けたグレモンと同格いうことになる。
破格の出世だった。
仲間の死を踏み台にして得た地位だ。
最低で最悪の昇進だった。
「お前を手駒にするのは悪くない」
あの炎術師はそう言い、この沼地に遺体を投棄させた。
それからねぐらへと戻され、特に音沙汰もないまま数日が経過し……そして、今だ。
自分は元北区の人間なのに、どうしていきなり東区の管轄に移動になるのか。
その理由はなんとなく見当がついていた。
大神殿は東と北を。
王宮は西と南をそれぞれ管轄するのだ。
どうやら、東に籍を置きながら西と南を監視しろということらしい。
姫巫女様は王宮と神殿にのさばる悪の根を同時に摘み取りたいようだった。
「その為に、ね。死のうとすれば、それは許されない、か」
家族がいる。
北区の中に、弟と妹がいる。
東区に引っ越すことはできるだろうけれど、安全は保障されない。裏切れば、今度こそ炎術師は自分を生かしておかないだろう。
家族とともにこの沼地にもぐることになるだろう。
そこまで理解できているから、ここに来た。
かつての相棒に別れを告げて。
権力の犬に成り下がる自分を許してくれと、謝罪をするために。
「本当なら栄誉なことなのに。昇進なのに。どうして心が痛いんだろ……」
相棒の魂は何も答えない。
皮肉をいうようにごうっと一陣の風がパティの獣耳と尾をかすめて行った。
◇
「と、いうわけで。しばらく厄介になるから」
なにがと、いうわけなのか。
理解が追いつかない。
リジオは開店初日から頭を抱えていた。
「姫様! どういうことですか?」
「だから、私とクリスが厄介になるの」
「いやだから! おい、ロディマスっ。どうなってるんだよ!」
カウンターの中で開店初日ということもあり、接客業の心得が乏しい大男はその巨躯をバーテンダーの制服に包んだまま、どこか小さくなって反応に困っていた。
だめだこりゃ、とリジオはそちらを見るのをやめた。
客はまだ来ていない。当然だ、時刻はまだ昼過ぎ。
客入りが入るのは夕方からだったから、いまは時折顔見せにくる知り合いの相手をする程度だった。
「あのね、こっちの話を聞きなさいよ!」
「聞いてますよ! 聞いてますから困ってるんです」
「なんでよー? ライシャはお父様がまだ起きれる状態じゃないから、ここに奉公人ということで見習いをすれば将来的に明るいし。クリスはライシャの警護だし、私も同じく警護されるし」
「姫様になにかあったら、僕が大叔父に殺されるんですよ!」
「大叔父?」
思わぬ返事にアデルはきょとんとして首を傾げる。
今日も例によって例のごとく、エミーナはアデルの身代わりだ。
「ラボス大神官は僕の大叔父です! 嫌ですよ、怒りをかって氷結の目にあわされたりするのは!」
と、リジオは拒絶の意志を示した。
ロディマスは変わらず緊張し、その彼の補佐として世話を焼いているのは意外にもルルーシェで。
二人はなかなか良い関係にアデルの目には映った。
ついでに拒否する神官のその目が、夜の街で働く女性たちのようにイブニングドレスに身を包んだクリスの方へと時折注がれているのをアデルは見逃さない。
自身は髪色に合わせたミニスカートのパーティードレスに身を包んでいて、これで男たちの接客をすると聞いたら父親やラボスが卒倒しそうな勢いだった。
「……でも、嫌じゃない、と。なるほどなるほど」
「何が嫌じゃないですか? とにかく……姫様がそう言われるならクリスさんはいいですけれど。姫様は駄目です」
「はあ? 私だって接客したい! メイド服着てみたい!」
「ダメです! その神器のおかげで人目に付かなくなっていますが、もしバレたらどうするんですか。姫様はキッチン。しっかりと料理を教えますから」
「げっ……墓穴だったわ」
嫌ならお帰りを、とリジオに入り口のドアを示されてアデルははーい、とうなだれてしまう。
ランクSの炎術師が引退して開いたバーは、これからもまともではない客を引き寄せそうだった。
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