番外編
姫巫女と氷の精霊王 1
冬である。
誰が何と言っても極寒の冬だった。
肌を突き刺すような透明感のある冷たさも、空をゆく雲の様子だって間違いなく……冬だ。
というか、北の大陸のさらに北の方角にあるこの場所は、年がら年中冬なのである。
時折ふわっと降りてくる眠たさに気を抜けば次に目覚めることは多分ないだろうし、獲物をじいっと見つめてその緩慢な動きについついぼんやりしてしまい瞼が重くなってくるのも……これはまずい。
冬眠したがっている自分自身の本能をどうにか抑えるように、アデルは微睡(まどろ)みの園へと引きずり込まれそうになりながら、どうにかその淵ぎりぎりで戦っていた。
◇
神聖ムゲール王国には四つの大公家がある。
そのうちの一つ、盗賊大公フライの治める城塞都市バーレーンは浮遊島として知られていた。
天空を行く盗賊、ある意味、空賊と呼んでもいいかもしれない。
数十の飛行船と飛行艇を保有して、王国の領域内なら二日あればどこにでも行くことのできる、恐るべき機動力を有していて、いまは北海につながる東の大陸の果てにいた。
浮遊島そのものがででんっと天空の一角を占領しているものだから、地上の人間からしたら迷惑この上ない。
昼も夜も関係なく、辺り一面は暗闇に支配されてしまうからだ。
しかし、それも人間が住む土地があればの話。
二月も半分ほど過ぎたかなというその日、バーレーンはある種族との対立を解消するためにこの地へと赴いていた。
滅多に来ることができない氷雪の大地に興味を示した盗賊公女アデルは十六歳。
大公フライの四女にして古くは氷の聖女を輩出した家系だとも言われている。
だが結界に覆われたバーレーンの中は南国の気候に保たれていて、当人は冬の寒さにはてんでだめな公女様だった。
「姫様、もう宜しいのではないでしょうか。爺(じい)は寒さで凍えそうです」
数メートル向こうで上下に毛皮を着込み、焚火にあたりながら数名の従者とともにいる老人が悲し気な声をあげる。
だが、アデルはそんな声は聞こえないとばかりにゴロン、とまた一回転して寝そべっただけだった。
天空で自分が住む都市が動かないのをいいことに、アデルはお目付け役のラボス爺を伴ってあるモノを狩りに来ていた。
もっとも、雪と氷の大地の上でときたまゴロン、ゴローンと寝転がりながら、目の前に空けた直径一メートルほどの穴から目当てのものが飛び出てこないことはもう理解している。
数度目のあくびが出そうになるのを我慢しながら、
「ふわっ……何なのよーもう。さっさと姿を現しなさいよー。これじゃ、手柄にならないじゃないのー!」
と、苛立ちまぎれにアデルは海面に向かって叫んでやる。
すると、ラボス大神官が呆れたような声を上げた。
「ですから姫様、アザラシはその様な場所からは出て参りません……」
「……知ってるわよ。いいの、当てつけだから」
「どなたに対する当てつけでございますか」
「んっ!」
「そのように天空を指さしても。大公閣下がお泣きになられますぞ。また、姫様が無理難題を申されると」
嘆くように言う大神官をじっと見つめて、アデルは父親はいくら泣いてもいいけど、と心でぼやいていた。
「聞こえておりますのか、姫様! 爺も悲しいですぞ!」
「んー……聞こえてるー」
言われなくてもわかっているわよ、と片方の手を上げてアデルは返事をした。
寒さも冷たさも通さない毛皮越しに、氷の大地の勇壮と冷酷さを感じれるような気がして、仰向けに寝転びながらいくばくか影となってきた大空を見上げる。
爺が悲しむのはちょっと嫌だな、なんだか悪いことをした気分になってしまう。
母親がそれぞれ違う兄や姉、妹たちとは仲がいいように見えて余りそうでもないし、父親は年がら年中、王国のどこかにある古代の遺跡に潜ってしまい、その姿を見ることは稀だ。
だから、今回のように国王陛下直々の命令でなければこんな北海の果てを訪れることは一生なかっただろう。
そう思うと、地上に降りることができる機会が何よりも貴重な空中都市において、自分は恵まれた方だとアデルは思った。
「姫様! このような場所にいて敵に捕まったらどうなさいますか」
「大丈夫よー。あいつらこんなところになんてやってこないから」
「知っておられてこのような遊びをなさっているのですか」
大神官は返事を聞いて絶句する。
アデルはどこが安全でどこか危険かをきちんと知っていた。いや知らされていた、頭上に浮かんでいる父親の側近たちからあらかじめ知らされていた。
「だってしょうがないじゃん。こうでもしなきゃお父様って理解してくださらないんだもの」
「こうでもとは、どういうことですか姫様。まだ決心がつかないとでも?」
「そうねー。そうなるかもしれない」
雪と氷の大地の上でときたまゴロン、ゴローンと寝転がりながら、目の前に空けた直径一メートルほどの穴から目当てのものが飛び出てこないことずっと待機すること数時間。
わずかにその穴に垂れている釣り糸と長い竿の存在が白くまではなく、白いくまの毛皮をすっぽりとかぶった人であることの証明だった。
人であることの証明であり、政治の道具として使われたくないという少女の思いの表れでもあった。
大神官はその事を感じ取ったのか、うーむと一つ唸ると、ですが、と声をかけた。
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