休戦協定

「ほお……そんなに若いとは聞いていなかったぞ、『聖櫃せいひつ』!」

「貴方に見る目が無かっただけではなくて、『きらめ炎槍えんそう』様」


 素顔を晒したのをみて、思わず一同は息を呑んだ。

 深紅の髪、紫水晶の瞳、薄墨のような肌。丸い耳を持つ獣人。


 聖櫃せいひつの二つ名の通りなら、聖なる陣営にいるべき美しき麗人は、いま戦争のすべてから解放されてそこにいた。


「その二つ名もいまは邪魔なだけだ。ロディマス・アントレイ。第二方面軍バーノン大隊……終わった軍隊の名だが、管理を任されている。クラスはS」

「ジークフリーダ・ラル・イルーニュ。魔王ディルムッド様の配下、七幹部の一人、イルーニュ軍を任されてる。こちらはまだまだ続くだろうけれど」


 彼女は育ちが良い貴賓のある淑女のように振る舞った。

 いつの間にかあちら側の部下に用意させたグラスを二つに、ワインのようなボトルが一本、その手には届けられていた。


「なんだ?」

「停戦協定。国に戻るから、後ろから撃たないで欲しいの」

「……俺たちはそんなことはしない。少なくとも、俺の隊にはそんなことはさせない」

「あなたはそうでも、部下たちは違うかもしれない。お互いを信じきれないで全滅したら、馬鹿みたいじゃない。死人じゃないんだから、生きる方法を模索すべきだわ」


 簡易的な停戦を結びましょうと彼女は暗黙裡に伝えていた。

 この杯を交わせばそれが証になる。

 どちらの部下たちも、それをじっと見守っていた。


 これを拒んだら、臆病者呼ばわりされるとロディマスは心で考えた。

 まだ本営からの指示は届いていない。

 自分の権限で停戦を結ぶには、少しだけ荷が重い。

 だがもう、戦地に戦いの息吹は感じ取れない。


 わずかに憎しみ合ったことに対する高揚感が、兵士たちを支配しているだけだ。一時的に猫の声を聞き、そして戦意をひっこめているだけ。

 またいつぞろ、復活するかわからないそれを前にして、じっと待つことは愚か者のすることだった。


「いいだろう」

「そう言うと思っていたわ、英雄ロディマス」

「そいつ余計な一言だ」


 それぞれのグラスに真っ赤な葡萄酒が注がれて軽く、挨拶代わりに停戦の合意がグラス合わせた音によって為された。

 戦争が終わったことへの安堵感が、大きなため息をなって両軍の兵士たちの口から漏れてしまう。

 その重たげな声に憂鬱を抱えそうになりながら、両軍は別れを告げ、そして帰路を目指した。



「なあ、おいリジオ。教えてくれないか、猫ってのは……その、なんだ?」

「呆れたな、ロディマス。そんなことも知らずに停戦に合意したのか!」

「いや違う、そうじゃない。猫が鳴くと……どうなった? 俺は神と魔の戦争が終わりを告げるとか。その程度にしか知らんだけだ」


 部隊をまとめあげ、帰路についてすぐのことだ。

 馬上で炎術師は副官の一人に説明を求めた。

 神官リジオはそれを聞くと、やれやれといった顔をして馬を近づけた。


「いいか、ロディマス。ここは西の大陸だ、僕たちは東の大陸から要請を受けてやってきた。西の大陸で魔王ディルムッドと戦う、ルベドナ帝国の皇帝からの依頼だった」

「そんなことは知っている。もう終わったことだ。要点を話せ……お前の悪い癖だ」

「前置きが長いってか? 西の神々の王は聖者サユキだ。世界の神々の王は金色の猫神だ。最高神が戦争を終わりだと告げた。だから終わりだ」


 せっかく説明してやったのに。

 神官は面白くなさそうな顔をになる。

 二歳ほど年下の神官の銀髪を横目に、その肩を抱き低い声で問いかけた


「これは俺の独断だ。お前は副官としてどう思う?」

「どう思うって……あちらが停戦を結ぼうとしたんだ、何もおとがめはないだろう。神が決めたのだし」


 ただまあ、と語尾を濁しながら神官は自分が持つ杖の先をそっとロディマスに近づけた。

 そこには親指大の透明な宝石がはめ込まれていてそれを覗くことで遠く離れた場所の状況を見ることができる。

 映し出されたのは彼らが参加しているルベドナ帝国の帝都の様子だ。


 帝城にはいつもは二つの旗が城壁に掲げられている。

 ルベドナ帝国の帝国旗と、その本家筋にあたるラスディア帝国の帝国旗。

 しかし、いま見えるのは三枚だった。


「おい、これはどういうことだ」

「……」

「リジオ。知っているんだろう?」

「敵の旗だ。いや、敵だったというべきか。四つの対面する菱形とその周りを囲む二つの金色の長方形……分かるだろう?」

「魔王ディルムッドの旗じゃねーか」

「そういうこと」

「つまり、聖戦は俺たちの勝利じゃなく和睦したってことか」

「そうなるね。だから、さっきの場所でジークフリーダを討ち取っていたら大問題」


 答えは出ただろう? とリジオは不敵に微笑んで見せた。

 その笑顔の裏にまだ隠されたなにかがあることを知り、炎術師はさっさと言えよと耳を近づける。

 他の副官たちには聞こえない距離で神官はそっと一言を告げた。


「ムゲールの姫巫女様が引退を表明なされた。時代が変わる」

「おい……嘘だろ」


 ロディマスを始め神聖ムゲール王国出身者たちの多くは、この大隊に参加した。

 ムゲールは城塞都市の連合国だ。太陽神を崇めていて、国王は連合国の象徴にすぎなくて、政治は大神殿の最高権力者である姫巫女が行っていた。


 先代の姫巫女アイギスは戦乙女とも呼ばれ、武勇に秀でた指導者だった。

 もし彼女が引退して保守的な神官達が政治を牛耳るようになれば、王国はまた変わってしまうだろう。

 そのことを思うと、馬上のロディマスは一瞬、嫌な予感を覚える。


 猫神様は鳴かれたが、それはこの西の大陸のことであって、今から自分たちを戻る遥かな遠い故郷、ムゲールではもしかしたら敵前逃亡という扱いを受けかねない。


「戻ってみなければわからないか」

「ああ、そういう懸念も大事かもしれないね、ロディマス」


 次代の姫巫女様はどなたがなられるのだろうと頭の中を切り替えて、ロディマスはそれから二週間かけて仲間たちとともに故郷に帰還する。

 戻ってみたら次代の姫巫女はロディマスやリジオの生まれ故郷、天空都市バーレーンの大公公女だと噂で耳にしてロディマスはふと、懐かしさを覚えた。


 聖戦に参加したのは五年前。

 その前の自分はまだ大公の騎士をやっていて、幼い彼女の護衛をしたこともある。

 あれから随分と時間が経過した。


 いつの間にか炎術師は青年からおっさんになっていた。

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