猫が鳴き、聖戦は終結する

「こんな戦争はクソったれだ!」

 

 数週間前。

 誰に言うでもなく、ロディマスは炎をまとわせた長い槍をその手にしてぼやいていた。

 いつの頃からか、聖戦は決まった時間に始まって決まった時間に終わる、そんなビジネスの場所になっていた。


「大隊長ー、俺たちのロディマスー! 勝ってくださいよー! あんたに賭けてるんだからな」

「勝手に俺に賭けるな!」


 味方からかけられる声は男臭いそんな内容だ。

 賭け事の対象にされていると聞いて、神の陣営の一人、炎術師ロディマスはやれやれとため息をつく。


「おいこら、ロディマス! うちのお姫様に手出ししたらただじゃおかねーぞ、聞いてんのかコラ、炎術師!」

「ジークフリーダ様ー! そんなオーガみたいな変人、真面目に相手することないですよ! 無事に戻ってきてくださいねー!」


 敵からは恫喝の声がやんやと降って来る。

 おまけに眼前でこれから戦う相手は本当に魔族か? と疑いたくなるほどに美しい存在だった。目元を覆うマスクが彼女の神秘性を高めているのは疑いようがなかった。


 魔王軍の幹部ジークフリーダは味方からの声援に、嬉しそうな笑みを浮かべると、片手を挙げてそれに応える。

 上司が女性だと、陣営に入る同性の数も増すのだろう。

 魔王軍の女性の割合は、聖軍の野郎どもに比べて明らかに数が多い。


「俺にだけ非難の声が集まるのは不公平だ」


 浴びせられる声の内容に、ロディマスは不満の声を上げた。


「まあ、仕方ないわね。そういうものかもしれないし」

「いつか味方に背中から討たれそうな気がして怖いぞ、俺は」

「なら、せいぜい気を付けてくださいね、ロディマス」

「この茶番もさっさと終わればいいんだが。そうはいかないか」

「お遊びをしていれば神々も魔王様も満足だから……仕方ないわ」


 女将軍は困ったような顔をして、腰からすらりと剣を引き抜いた。

 途端、前後の陣営から溜息と拍手やら剣を叩き合わせてガシャガシャと鳴らした喝采の声が上がる。魔王軍の美しい女将軍は聖軍からの人気も高い。


 後ろから聞こえてくる中には、「俺らのジークフリーダ様ー!」なんて声も混じっていて、お前たちどっちの味方なんだ、と思わず振り返って怒鳴りたくなる。

 この戦地に配属されて二年、また同じ朝が始まるのかと巨躯の炎術師は炎をまとわせた槍を空高く掲げてみせた。


 開戦の合図だ。

 それを待っていたかのように、両方の陣営から銅鑼だの鐘だのが打ち鳴らされて、途端に戦場は血なまぐさい殺し合いの場所に景色を変えてしまう。


「俺が」

「私が」


 どちらかが倒れた時、この戦争はビジネスを終える。

 二人はそれを心の中で叫び、互いに武器を振り上げた。



 ◇



 その記録的な日の朝。

 西の大陸、エクスロー地方の天候はほとほと悪かった。


 雷雲が招来され、飛竜や雷竜の類が天空の航路を防ごうとして、薄暗くも灰褐色な雲間にひっきりなしに巨大な肉体の断片……黒々とした鱗に照り返る雷光を映し出す。


 やつらは敵対する聖軍の戦意をへし折ってやろうとしていた。


 魔王軍の主、魔王ディルムッドがこの地方に出征してはや数年。

 西の大陸のみならず、六大陸すべてから聖軍に有志が参加した。

 今思い返せば、聖戦という名の愚行はその最高潮を迎えようとしていたのかもしれない。

 そんな最中のことだ、水が差されたのは。


 聖なる陣営の一人、東の大陸は神聖ムゲール王国からの参加者、炎術師ロディマスはその巨躯を活かして煌拳と称される左腕で数多くの魔族を屠ってきた。

 金髪碧眼、彫りの深い顔立ちに知的だが野生の狼のような鋭さを持つ瞳が備わっている。

 彼の七色に煌めく炎槍が、もうあと少しで敵将の胸板を貫く、そんなとき。


 どこからともなく、ありとあらゆるところから、みゃーんと声がした。


 猫が鳴いたのだ。


「なんだ!」


 炎術師は小さく叫び、己の犯した失態に気がつく。炎槍の穂先は、狙いを狂わせていた。

 それに救われた女将軍は、生き延びるチャンスを逃さなかった。

 大きく後ろに飛んでから耳に入ってきた異音の正体にきづいて信じられないと声を漏らす。


「終焉の猫の警鐘? まさか、あれは伝説上のもののはず……」


 魔王軍七大幹部の一人、『聖櫃せいひつ』のジークフリーダは流れる風に同化したような優雅さで、己のまとう鎧も衣類の一片も焼かせることなくその場から身を引いて天を仰ぎ見た。

 ロディマスはその隙を見逃さない。 

 新たに一撃を打ち込むが、


「ふふッ、残念」

 深い色を持つ深紅の髪の少女は身を潜めると、炎術師の犯した致命的なミスを見逃さなかった。

 彼女はやすやすと槍の圏内から逃げ延びてみせる。


「すばしっこいやつだ、ジークフリーダ」

「あなたと戦っている暇はありませんよ。猫神様がお鳴きになられたのです」

「猫神ー? あれは神話の……おい、冗談だよな、ジークフリーダ。まさか、これで……」

「ええ、終戦です。聖戦は終わりを告げました」


 穂先を返して炎術師は三撃目を狙いたかった。

 しかし、敵は明らかに槍の圏外にいる。

 ここは追いすがるのをやめるべきか? 炎術師は迷って空をぎろりとにらみつけた。


「まじかよ……」


 そして、二度、猫が鳴いた。

 みゃーんと気高くも鈴の音のように美しい声が、世界を同時に駆け巡った。

 誰にも届くその声は、その音は争いを重ねていた連中に告げていた。

 聖戦は終わった。参加者は国にもどれ、と。


「タイミングが悪いぜ、神様よー。ここまで来て手ぶらで帰れってのか?」


 炎術師のぼやき声に応えるかのように、三度、猫が鳴いた。

 猫は運命の分かれ道で鳴くとされていた。

 多くの複雑な運命の岐路がたくさん集まり、世界の命運が変わる時に猫は鳴く。 

 三度目の声もまた、戦争の終わったことを意志の力で、兵士たちに伝えていた。


 聖軍も魔王軍も、その鳴き声を聞いたら誰であっても戦いの終わりを理解した。

 戦意を失い、故郷や家族や友人を思い出し、だれもが戦争の終結を望むかのように戦地から憎しみの炎は消え去っていく。


「最悪だ、最低だぜ……チクショウ!」


 炎術師が術を解き、炎の槍を虚空にかき消したのをみて、魔王軍の幹部はどこかほっとした顔しつつ、それまで身の回りに湛えて凍てつく氷のような闘気を消し去ってしまう。

 戦う気はない、そんな意思表示だった。


 一度、魔王軍に戻った彼女は二人ほどの従者をつれて聖軍へと足を進めて来た。

 ロディマスは、用心深く警戒しつつ、たった三人でこちらに向かって歩いてくる敵を見やる。止まれと彼が身振りで示すと、ジークフリーダはふんっと一つ鼻を鳴らして、マスクを取った。


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