休日はもちろんふたりで――5

 台湾唐揚げも青菜炒めも大変美味びみだった。


 台湾唐揚げは外の衣がザックザクで、なかの鶏むね肉はしっとり。アジアンな香りが食欲をかき立てる絶品。


 青菜炒めはニンニクのパンチが効いており、シャキシャキのチンゲンサイで米が進みに進んだ。


 結構な量があったがペロリと完食。やはり玲那の料理は最高だ。玲那以外の料理では満足できなくなるんじゃないかと危機感を覚えるくらいに。


 間違いなく玲那に胃袋を捕まれている。それが嬉しいと感じるのだから、俺は救いようがないほど玲那に惚れているんだろう。


 夕食後は、それぞれダイニングで宿題をこなす。


 高校の勉強は難しい。一年のときも苦労したが、二年になるとさらに難度が上がった。


 平凡な頭脳しか持たない俺にはかなりキツい。最後の問題を解き終えたのは、ノートを開いてから一時間が経とうとする頃だった。


 ペンを置いて大きく息をき、椅子いすの背もたれに寄りかかる。強張こわばった関節がパキパキと音を立てた。


 そんな俺の正面では、玲那が黙々もくもくと問題を解いている。ちなみに宿題ではない。三〇分以上前に玲那は宿題を終えている。


 玲那は自主勉をしているのだ。


 玲那は、五教科五〇〇点満点のテストで四九六点という、驚異的な成績をたたき出す才媛さいえんだ。説明するまでもなく頭がいい。


 しかし、玲那はただ頭がいいだけじゃない。淡々たんたんと、粛々しゅくしゅくと、一般人が投げ出したくなるほどの努力を続けている。


 才能の上にあぐらをくことなく、たゆまぬ努力をしているからこそ、玲那は『深窓の令嬢』と呼ばれるまでに至ったんだ。


 感心を通り越して畏怖いふすら覚えながら、俺は玲那に声をかけた。


「そろそろ一休みしないか、玲那?」

「んー……いま解いてる問題が終わったらにします」

「じゃあ、飲み物でも用意してくる。なにがいい?」

「ココアでお願いできますか?」

「了解」


 立ち上がり、キッチンへ向かう。


 ピンクと水色のペアマグカップを棚から取り出し、水の代わりに牛乳を注ぐ。俺も玲那も、牛乳で作ったココアのほうが好きなんだ。


 レンジでチンしたあと、温まった牛乳にココアのもとを加え、ダマにならないようスプーンで丁寧ていねいにかき混ぜる。


 ダイニングに戻ると、玲那が「んんーっ」と伸びをしていた。ちょうど問題を解き終えたところらしい。


 頑張る玲那の姿に、俺の口元に笑みが浮かんだ。


「お疲れ」

「ありがとうございます」


 持ってきたマグカップのうち、ピンクのほうを玲那の近くに置く。


 もともと座っていた正面の席に戻ろうとしたところ、玲那が自分の隣の席をポンポンと叩いた。「こっちに座ってください」という意味だろう。


 本当に甘えん坊だよなあ、玲那は。


 苦笑して、俺は玲那の願い通り隣に座る。


 玲那が柔らかく微笑み、俺に体を寄せてきた。両手でマグカップを抱えるように持ち、ふーふー、とココアを冷ましている。


 心地よい重みを感じながら、俺はココアを一口すすった。不思議と、いつもより甘い気がした。


 ふと、玲那の手元にある教科書が目に入る。そこにしるされている内容は、俺たちがまだ習っていないものだった。


「もうこんなとこまでやってるのか? 一学期後半に習う内容だろ、これ?」

「予習です」

「……いつものことだが、いつまで経っても慣れないなあ」


 平然と告げる玲那に、俺は感嘆かんたんきんない。


 フライングスタートは、玲那の勉強における基本スタンスだ。前倒しで勉強しておけば、授業が復習の時間になり、より身につきやすくなるらしい。


 理屈はわかるけど、とてもじゃないが実践したいとは思えない。教師のアドバイスなしでは、内容が理解できるかも怪しいし。


「これだけ勉強しながら家事までこなすんだから、ホント、玲那には脱帽だつぼうだよなあ」

「慣れれば普通にできるようになりますよ? それに、わたしとお兄ちゃんの将来のため、勉強しておいて損はないですからね」


 玲那がカラッと笑う。嘘偽うそいつわりなく、微塵みじんも苦労を感じていないようだ。


 屈託くったくのない玲那の笑顔は、しかし俺には眩しすぎた。つい、心の暗い部分が表に出てきてしまう。


「玲那はスゴいな。勉強量はもちろんだけど、俺たちの未来を見据みすえて努力を続けているんだから……俺には、とても真似できない」

「わたしはわたしのやりたいことをやっているだけです。お兄ちゃんがむ必要なんてないですよ?」


 俺が落ち込んだのを察したのだろう。玲那の声音こわねが、こちらを包み込むような優しいものになった。


「お兄ちゃんも早朝ランニングを続けているじゃないですか。あれも将来のためになりますよね?」

「ランニングはやめられないだけだ。それに、トラウマを克服こくふくできなかったら、いくら努力しても無駄になる」


 ランニングを続けているおかげで、俺は全盛期の体力を維持できている。しかし、コートに戻る勇気がどうしても出ない。心臓が早鐘はやがねを打ち、汗が噴き出し、浴びせかけられた罵倒ばとうよみがえってくるんだ。


 俺がうつむいていると、冷ましたココアをすすり、玲那が口を開く。


「お兄ちゃん。どうして『三日坊主』が起きるか知っていますか?」

「……は?」


 まったく予期しない話だった。いまの流れで、なぜ三日坊主が話題に上がってくるのだろうか?


 俺がポカンとしていると、玲那が勝手に話を進める。


「それは『人間は継続が苦手な生き物だから』です。お菓子好きの女子高生のダイエットが続かないのも、仕事終わりの一杯が生き甲斐なサラリーマンが禁酒できないのも、新人YouTuberが動画投稿を中断してしまうのも、『そもそも継続が苦手』なことがひとつの要因なんです」


 そこまで語って、玲那がこちらを見上げた。聖母の肖像画しょうぞうがみたいな、慈悲じひに溢れた微笑みをしていた。


「それでもお兄ちゃんはランニングを継続しています。これはスゴいことなんです。誰がなんと言おうと、『継続している』ことは賞賛しょうさんあたいするんです。オリンピック一〇〇メートル走の金メダリストも、はじめから一〇秒の壁を越えられたわけじゃないんですよ? 走って走って走って走って――走り続けたから超えられたんです」


 いいですか、お兄ちゃん?


「『継続できること』は才能なんです。なによりも大切な才能なんです。ランニングを継続しているお兄ちゃんは、素晴らしい才能の持ち主なんです」


 玲那の言葉が、笑顔が、胸に染みこんでくる。鬱々うつうつとした心を照らしていく。


 未来がどうなるかはわからない。トラウマを克服できるかはわからない。俺の努力が実を結ぶかはわからない。


 それでも玲那が認めてくれる。俺の努力を見ていてくれる。


 たとえ努力が報われず、ドン底に落ちぶれたとしても、きっと玲那は隣にいて、俺の手をとってくれるだろう。一緒に立ち上がろうとしてくれるだろう。


 理解して、寄り添って、励ましてくれるひとがいるのは、かけがえのない幸せなんだな。


「ありがとな、玲那」

「いいえ? 夫を支えるのは妻の特権ですから」


 俺と玲那は身を寄せ合った。


 玲那の温もりを感じながら俺は思う。


 も玲那は、俺に寄り添ってくれた。俺のために泣いてくれた。


 俺はあのとき、玲那に心を奪われたんだろうな。

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