休日はもちろんふたりで――4

 台湾唐揚げの材料を調達に向かったのは、相原家から徒歩一〇分の位置にあるスーパーだった。


 農業組合の購買部門のひとつであるそのスーパーでは、日曜日に時折ときおり朝市あさいちが開かれる。一緒に暮らしている頃、よく母さんが戦利品を自慢してきた。お買い得商品が手に入るらしい。


「これが五香粉か」

「鶏むね肉もありましたし、材料は揃いましたね」


 カートを押す俺は五香粉のビンをとり、かごに入れる。


 スパイスコーナーには五香粉のほかにも、はじめて見る香辛料が大量に並んでいた。キャラウェイシードとかフェネグリークとかは用途ようとすらわからない。こんなにも品揃えが豊富だなんて、スゲぇな、エス○ー食品。


 俺の隣にいる玲那は、外なので『深窓の令嬢』モードになっている。アルカイックスマイルの仮面を被り、服装も白いブラウスに黒いロングスカートとシックなものになっていた。ちょっと前まで可愛らしいルームウェアを着て、クンカクンカの自由を主張していたとは、とてもじゃないが思えない。


「台湾唐揚げだけでは栄養バランスがかたよりますね。野菜料理も作りましょうか」

「そうなるとサラダか?」

「いえ。主菜が台湾料理なので、せっかくですし同じ台湾料理にしましょう。青菜炒あおないためなんてどうですか?」

しぶいチョイスだなあ。けど、なにげに美味いよな、青菜炒め」

「では、決定で」


 副菜を決めた俺と玲那は売り場を移動する。目指すのは地産地消ちさんちしょうコーナーだ。


 このスーパーは農業組合の一部ということで、農家さんを応援しているらしい。地産地消コーナーは、地元の農家さんが育てた野菜・果物が並ぶ売り場だ。


 俺と玲那が地産地消コーナーにつくと、多くの買い物客が集まっていた。採れ立ての新鮮な青果せいかが手に入るためか、人気のようだ。


「どの野菜にする?」

しゅんのものがいいですね。チンゲンサイでしょうか?」

「了解」


 玲那と相談した俺は並んでいる野菜を眺め回し、コーナー三列目の台にチンゲンサイを見つけた。


 三列目の台まで移動して手を伸ばすと、玲那がポンポンと俺の肩を叩く。


「ストップです、兄さん。そのチンゲンサイではなく、ふたつ右のものにしてください」

「なにか違うのか?」

「兄さんが取ろうとしたものには黄色くなった部分があります。チンゲンサイは鮮度が落ちると変色してしまうんですよ。一方、ふたつ右のものは、緑が濃くて葉に厚みがあります。美味しい証拠です」

「へぇ! それは知らなかった! 玲那は博識はくしきだな!」

「恐れ入ります」


 玲那は相変わらずのアルカイックスマイルだったが、ほんの少し口角が上がっていた。俺に褒められて嬉しいようだ。ブンブンと勢いよく振られる尻尾が俺には見える。


 可愛いやつだよなあ、まったく。


 笑みをこぼしながら、玲那が示したチンゲンサイを手にとった。そんな俺の耳に、そっと玲那が口を寄せる。


「お兄ちゃんと結婚したときのことを考えて勉強したんですよ」

「――――っ!」


 吐息が耳朶じだをくすぐり、ささやきが背筋をゾワゾワさせた。驚いた俺はチンゲンサイを落としそうになり、慌ててお手玉する。


 なんとか無事にチンゲンサイをキャッチしてホッと一息。かごに入れ、俺は玲那に半眼を向けた。


「不意打ちはやめろ! 心臓に悪いだろ!」

「おや? 不意打ちじゃなければよろしいのですか?」

「…………」

「沈黙は肯定こうていととりますね」


 玲那が目を細める。しとやかな微笑みのなかに、イタズラっぽさが小さじ一杯分、紛れていた。


 顔をしかめてみせるが、玲那はちっともどうじていない。むしろ、いまにも鼻歌をかなでそうなくらいご機嫌に映った。


 なんとかして反撃したいが、きっと空回からまわりに終わるだろう。俺の顔は真っ赤になっているだろうから。


「あれー? 涼太くんと玲那ちゃん?」


 俺と玲那が、イチャついていると言えなくもないやり取りをしていると、第三者から声がかかった。鈴を転がしたような可愛らしい声だ。


 声がしたほうに目をやると、小柄な女の子がこちらを見ている。


 俺と玲那の顔を確認した女の子は、パアッと笑みを咲かせ、カラカラとカートを押して走り寄ってきた。


「やっぱり涼太くんと玲那ちゃんだ!」

あんずちゃんか、奇遇きぐうだな」


「うん!」と、小柄な女の子が口元を緩める。


 彼女は熱海杏あたみ あんず――中学一年生の、翔の妹だ。


 ライトブラウンのセミショートが犬の尻尾みたいに結ばれ、茶色い目はクリクリと愛らしい。身につけているのは、オレンジのポロシャツと青いショートパンツ、カーキーのエプロンだ。


「涼太くんと玲那ちゃんはお買い物?」

「ああ。杏ちゃんも?」

「そうだよ! 夜のに向けての買い出し!」


 翔と杏ちゃんの両親は洋食店を営んでいる。杏ちゃんはその洋食店の手伝いをよくしており、看板娘として常連客に愛されていた。ホールを行ったり来たりする様子が小動物っぽくてなごむらしい。


「今日もお手伝いか。働き者だな」

「偉いでしょ!」

「ああ。偉い偉い」


「エッヘン!」と、まったく膨らんでいない胸を張る姿が微笑ましい。うっかり頭を撫でてしまいそうだ。


「おふぅっ!?」


 なんてことを考えていたら突然左脇腹に衝撃が走り、俺の口から奇声が飛び出した。


 ビックリしたのか、杏ちゃんが大きな目をさらに大きくしている。目の前で知り合いが奇声を上げたのだから、無理もないだろう。


「ど、どうしたの、涼太くん!?」

「い、いや、なんでもない」

「そうです。なんでもないですよ、杏さん」

「そ、そうかな、玲那ちゃん? 涼太くん『く』の字になってたけど! 顔が真っ青になってるけど!」

「心配いりません。それより、お時間は大丈夫ですか?」


「あ!」と、杏ちゃんが口をまん丸に開く。


「そうだった! 早く買い出しを終わらせないと、お店の支度したくに間に合わなくなっちゃう! またね、涼太くん、玲那ちゃん!」


 杏ちゃんがカートをターンさせて、慌てた様子で走り去る。途中で振り返ってブンブン手を振ってきたので、俺と玲那も手を振り返した。


 杏ちゃんの姿がレジに消えていくのを確認して、俺はじろりと玲那をにらむ。


「いきなり手刀を食らわせるとはどういうつもりですかねえ?」


 そう。先ほど左脇腹に走った衝撃は、玲那の手刀によるものだ。それも、内臓にダメージが入ったかと心配になるほどの一撃。いまも脂汗が止まらん。


 文句を口にする俺に、玲那が顔を向ける。


「ひょっ!?」と俺は震え上がった。『深窓の令嬢』の仮面ががれ、玲那が冷え冷えとした表情をしていたからだ。


 玲那の瞳孔は開ききり、目から完全に光が失われている。ほとんどホラーだった。


「お兄ちゃんこそどういうつもりですか? わたしという妻がありながら、ほかの女に懸想けそうするなんて」

「け、懸想なんてしてないですよ? 杏ちゃんはあくまで『友達の妹』ポジションでありまして……」

「だとしてもギルティです。女心の勉強が足りませんよ? 女性という生き物は、好きな男性が別の女性のことを考えるのが許せないんです」


 玲那が静かに歩み寄り、俺の左胸に手を当てた――ちょうど、心臓の真上にあたる位置に。


「『女の嫉妬は怖い』と言いますが、わたしの嫉妬は特に怖いですよ?」

「き、きもめいじます」


 ガタガタ震えながら何度も頷く俺に、玲那がニコッと笑う。先ほどの冷え冷えした表情が嘘みたいな晴れやかな笑顔だった。


 玲那の顔に笑みが戻り、俺は胸を撫で下ろす。


 怖かった……俺の妻のヤンデレ度が尋常じんじょうじゃない。


 俺は絶対に浮気できないだろうな。バレた日が命日めいにちになるから。


 まあ、浮気するつもりなんてさらさらないけどさ。

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