第29話 グラス平原の攻防6

「潮目が変わったか」


 これまで攻める一方だった魔物の群れが、突如として後退し始めた。


 原因は一発の高位魔法だ。


 炎の魔法。


 炎属性は、火属性の高位属性にあたる。


 しかも、魔術ではなく魔法だ。


 火属性の魔法を強さ的に弱い方から順に並べると、


 火魔術→火魔法→炎魔術→炎魔法


 といった具合になる。


 火系統の元素魔法では最高峰の威力を持つ魔法がぶっ放されたのだ。魔物も及び腰になるのも無理はない。


 まぁ、あれだけの魔法を使うんだ。


 使い手は恐らく人ではないだろうな。


 亜人……特にダークエルフではないだろうか?


 特に属性を操る元素魔法は、保有魔力の高いダークエルフが最も得意とするところだ。


 それに、寿命の短い人間では高位の元素魔法を覚えるまでには至れない。


 それは、種族特性というよりも、単純にスキルを覚える為に膨大な経験値と保有魔力が必要で、それを確保するだけの時間が足りないからだ。


 その訓練だけに時間を費やすような生活を続けるなら、炎魔法を修得する事が可能だろうが……人生八十年を捨てて修得したところで、余生をどう過ごすというのだ? という話である。


 しかし、使い手がダークエルフなら、ノアちゃんの知り合いだったりしないかね?


 でも、ノアちゃんはアイドル自体を知らなかったからなー。部族が違うとかそういう事もあるのかもしれないなー。


 とにかく、その一撃で潮目は変わったようだ。


 魔物は怯えて逃げ惑い、ティムロードの防衛部隊は活気付き、「やれる!」と一気呵成に攻め立てようとする。


 確実に流れは変わったように見えるわけだが、それは見せかけだけだ。


 その流れに乗るには少し早い。


「調子に乗るには少し早いんだよなぁ。だって、俺――」


 北の森の全域を震わせるような恐ろしい叫び声が轟き、ゆっくりとそれが身を起こす。


 ……どうやら、お目覚めらしい。


 小山にも見えるソレは、ブルリと体を震わせると全身に付いた土を落とし、自身の姿を確認しながら声にならない絶叫を繰り返す。


 それは、自分の翼が失われてしまった事に対する悲しみだろうか? それとも怒り?


 まぁ、どっちでもいいんだけど。


「――ドラゴン仕込んでるし」


『おのれ! おのれ! おのれぇ! 矮小な人間如きが! この儂の翼を斬って落とすとは! 簡単に死ねると思うなよ!』


 ドラゴンの怒りは北の森に戻り掛けていた魔物たちに恐慌をもたらし、魔物の目標をティムロードの町に変更させる。


 というか、今、森に戻ったら殺されると言わんばかりに森から全力で離れようとしているのが正解なのかもしれない。


 変わった潮目が、また元に戻されたな。


「さて、ソイツはノアちゃんの村を焼いたドラゴンだぞ? 一体どうするよ、ノアちゃん?」


 からかうような、試すような――。


 だが、これは決して俺自身の愉しみの為にやっているわけじゃない。


 戦争をすることで、急激に科学技術や医療技術が発展するように、苛烈な環境下に人を放り込む事で急激な成長を促す。


 それをノアちゃんに課した。


 魔物の群れを相手にし、ノアちゃんは恐らく甘ったれた子供の一面を捨てざるを得なかった事だろう。殺し、殺されの修羅道に足を突っ込んだはずだ。それは、きっと死ぬ気でアイドルを目指してきた他のアイドルたちにも負けない心意気となってノアちゃんを支えることだろう。


 ――だが、足りない。


 必要なのは、それらを上回る精神性である。


 相手の鬼気迫る迫力に負けぬように対抗出来るようになったではなく、それらを飲み込んで、尚も大樹のように揺れぬ泰然自若とした精神性が欲しいのだ。


 常に揺れぬ心は、明鏡止水の境地でもあるが、俺はそれをノアちゃんに修得して欲しかったのである。


 子供に求めるには酷な注文かもしれない。


 だが、俺は逆に子供に求めるからこそ意味があると思っている。


 子供や若者の心は動き易いから、だからこそ、そこに周囲との差が現れると思っているのだ。


 そんな精神性を生み出す為には、魔物の群れに放り込むだけでは生温い。


 あれほどの絶望、あれほどの恐怖を体験した後であれば、この程度の困難なんて毛程にも困難だとは思わない――それぐらいの圧倒的な経験を積んで欲しいと俺は考えた。


 その結果が、ノアちゃんの村を焼いたであろうドラゴンとの御対面というわけである。


 精神的外傷トラウマに加えての圧倒的な実力差。


 それを目の前にした時、ノアちゃんは一体どうなってしまうのか。


 それは、誰にも分からない。


 だが、恐らく……昨日までのノアちゃんとは中身が別人になっている事だけは確かだと俺は思うのだ。


「潰れてだけはくれるなよ……」


 その最悪の場合ケースにだけはならないように、俺は祈るのみである。


 ★


 side ノア


 森の中から起き上がった小山のようなドラゴンを見た瞬間、ノアには分かりました。


 アイツは……村を焼き払ったドラゴンだと。


 フツフツとした怒りが湧いてくるのと同時に、ノアの手足は凍り付いたように動きません。


 まるで、自分の体が自分のものでは無いような倦怠感。


 気持ちは熱く煮え滾っているのですけど、体中の血液が下に下がっていくような、そんな不思議な感覚で、頭に血が回らないせいか、思考が上手くまとまりません。


 何ですか、コレ? 体が重い……。


 これが本能的な恐怖という奴なのでしょうか?


 でも、ドラゴンを最初に見た時は恐ろしいとは思ったですけど、こんな状態にはならなかったです。何が違うんでしょうか……?


 ノアが周囲に視線を巡らせていると、ノアと同じように動きが固まっている人たちが大勢見受けられます。


 その内の一人が大きな猿のような魔物に殴り倒されているのを見て、ノアは改めて気持ちを入れ直します。


 ですが、やはり体が思うように動かないです。


 それでも、魔物にやられまいと武器を構え直したところで、ドラゴンが大声で吼えます。


『なんじゃ、これは! 人間如きが群れてウジャウジャと湧きおって! 儂ら、竜種の世界を我が物顔で闊歩するな! お前らゴミ虫はゴミ虫らしく、世界の隅で震えておれば良いものを!』


 世界は竜種のもの? ……え?


 ノアが驚く中、ミミズクの上半身と馬の下半身を持った魔物が近付いてきて、鋭い嘴を繰り出します。


 それを何とかアダマンタイト棒で受け止めるノアですが、ドラゴンはその間も喋り続けます。


『儂らの領域に手を出した罪は重いぞ! よって、これより貴様らを処断する! そうだなぁ、まずは貴様らのを潰すか!』


 巣? 巣って……。


 えぇい! この気持ち悪いミミズク馬邪魔するなです!


 嘴の攻撃を受け止めながら、【風の弾丸】を近距離から相手の頭目掛けて撃ち、それが貫通したところで、ようやくミミズク馬の体から力が抜けたです。それを蹴り転がしたところで、ノアの前方が眩い輝きを放っている事に気付きます!


 あ、あぁ……。あの光は……。


 ノアの村を焼いた……。


「やめるですぅぅぅぅ!」


 光の束が収束し、一直線にティムロードの町に放たれようとした瞬間――、ノアは見たです。


 一直線に上空に飛び上がった銀線がドラゴンの大きく開かれていた顎をかち上げるのを……。


 収束した光はドラゴンの口の中で爆発して、ドラゴンが思わずぎゃっと短く叫んでよろめくです。


 そんなドラゴンをゆっくりと下に落ちながら睨みつけているのは、銀色の女の人……?


 あ! ノアに指輪を届けてくれた人です!


「ゆ……、勇者だ! 勇者が来てくれたぞ!」


 誰かが叫びます。


 勇者なんですか? あの女の人……?


「S級アイドル【白銀しろがね】が来たなら、あのドラゴンも終わりだ!」


「やっちまえ! 勇者【白銀】ー!」


 大歓声が湧き起こる中、勇者のお姉さんが


 何ですか、アレ?


 勇者というのはあんな事も出来るですか?


 そして、そのまま物凄い勢いでドラゴンに近付くと、ドラゴンの体を縦横無尽に駆け回りながら斬り付けていきます。


 ドラゴンの鱗がドスドスと地面に落ちる中、ドラゴンは勇者のお姉さんの動きに全くついていけてません!


 あまりの早さに銀色の線にしか見えないお姉さんは、ドラゴンの体を螺旋のように駆け上がっていき、ドラゴンはそんなお姉さんを食べちゃおうとして噛み付こうとしますが、空振っている様子です。


 やがて、ドラゴンの首元まで上がったお姉さんが宙に飛びます。


 そのお姉さんの姿が……七人いるように見えるのですが……? ノアの目がおかしくなったですか……?


「――【風精霊の七枚羽シルヴァン・エッヂ】!」


 お姉さんの透き通るような声が聞こえたと思った瞬間には、七人のお姉さんが同時にドラゴンの首元を斬り付けます!


 そして、斬り付けた後のお姉さんの姿は一人に戻っています! 良く分からないですけど、何だか凄いです! ノアも後で練習してみるですよ!


 お姉さんの姿に興奮したのは、ノアだけじゃないです!


 周りの人たちも皆歓声を上げているです!


「決まった! 【風精霊の七枚羽】!」


「超高速の動きに残像が出来て、まるで七人で攻撃してるようにしか見えねぇとかいう大技!」


「かつて、あれを食らって立ってたアイドルはいやしねぇからな! コイツは決まっただろ!」


 お姉さんの活躍を我が事のように喜んで歓声を上げている人たち……。


 先程までドラゴンに威圧されていたのが嘘のようにはしゃいでいます!


 意気消沈していた人々に希望を与えるのが、勇者なのでしたら、確かにお姉さんは勇者なのですよ!


『――鬱陶しい』


「「「え?」」」


 次の瞬間、空中に滞空していたお姉さんはドラゴンの尻尾の一撃を受けて吹き飛び、ノアのすぐ近くの地面へ激突するです。


 地面に大きな穴が開き、爆発したような音と共に土と草が飛び散る中……ノアの中に生まれた勇気が一気に霧散するのを感じるです……。


 勇者のお姉さんの必殺の一撃を受けたはずのドラゴンは、涼しい顔で鋭い爪のついた指で自分の頬を掻いています。無傷……、なんですか……?


『丁度、鱗の生え変わりの時期でなぁ。わざわざ落としてくれるとは、人間も気が利くではないか……。――それで? 何がしたかったんだ?』


 生物としての格が違い過ぎます……。


 それを意識した瞬間、ぞくりとノアの背を何かが駆け抜けた気がします。この気持ちは、恐怖……? それとも……。


「勇者ですら勝てないなんて……」


「駄目だ、もうおしまいだ……。ティムロードはもう……」


「勇者でも傷を負わせられない相手に、どうやって勝てって言うんだよー!?」


 周りの人たちはそう言っているですけど、それは違うですよ?


 だって、ドラゴンは最初に立ち上がった時に、人間に対して『翼を斬って落とすとは〜』って言ってたです。


 だから、人間にドラゴンを傷付ける方法はあるはずです……。


 ぞくり、ぞくりと背筋が震えます。


 あぁ、これは……そういう事ですか?


 駄目ですね、ノアは……。


「トモ先輩! 大丈夫ですか!」


「体中、傷だらけなんよ……。ユイちゃん、何とか時間稼がんと……」


「分かってる! 皆さん御願いです! トモ先輩の傷が癒えるまでの間で良いんです! あのドラゴン相手に時間稼ぎをしますので手を貸して下さい!」


「馬鹿野郎! 勇者がやられちまうようなバケモノ、人間が敵う相手じゃねぇよ! 無理だ! 無理!」


「ケツまくって王都の方に逃げるしかねーよ! ティムロードは……もう終わりだ!」


 ――見るからに弱そうで鍛えていない貴女が、まさかアイドルになれると本気で思っているのかしら?


 ……ノアの心に、あの時の言葉が浮かびます。


 駄目ですね、ノアは。


 こう、無理だとか、不可能だとか言われちゃうと……。


 ――絶対にやってやる! って気になっちゃうんですから。


「無理とか! 無駄とか! やる前から諦めるなんて、アンタたち本当に冒険者!? 冒険もしない冒険者なら冒険者なんて名乗るのやめなさいよね!」


「うるせー! 誰だって命は惜しいんだよ! それに、危険性リスクを考えない冒険者なんて、それこそ二流だろうが!」


「そうだ馬鹿野郎! 誰だって命は惜しいんだ! もし、あのドラゴンに向かって行くなんて奴がいたら、ソイツは確実にイカれてるぞ!」


 近くでやいのやいの言ってるですが、ノアは大きく息を吸い込むと、声を張り上げるです。


「おいッ! そこのクソドラゴンッッッ!」 


「「…………」」


『ほう……』


 周りが音を失くしたように静かになって、ドラゴンの大きな瞳がノアを睨みます。


 怖い……? 勿論、怖いです!


 でも、それ以上にドキドキが凄いのです!


 強者に挑めるドキドキ、無理難題に立ち向かえるドキドキ、村を焼かれた怒りによるムカムカ、何かもう色んなものが混ぜ合わさって――……とにかく凄いんです!


「お前は! ノアが倒しますッッッ!」


 しんっと周囲が静まり返ります。


 私を睨んでいたドラゴンさえも呆気に取られたように言葉を失ったようでした。


 ですが、次の瞬間にはドラゴンに爆笑されます! 何でですか!


『グハハハハ! お前みたいなチビが何を言うか! ……いや、待て。お前の姿、どこかで見た事あるぞ? ――そうだ! ダークエルフの村を焼き払った時、最後まで何かの木を焼くなと抗議していた頭のおかしなダークエルフだ! 人里に出て、今度は勇者ごっこか? しかし、あの時の木たちは良く燃えていたなぁ! グハハハハ!』


「それは…………林のことですか……?」


『んん……?』


「それは、ドングリりんのことですかーーー!」


 ブチ切れましたッ!


 ノアが丹精込めて作っていたドングリ林を焼き払われた事を思い出した瞬間に、冷たくなっていた手足に力が戻ります!


 ノアは勢いに任せて走り出します!


『おぉ? あの時は恐怖で頭がおかしくなったと思って見逃してやったものの……儂に楯突くようなら、今度こそ捻り殺してくれるわ!』


 分かっています! 怒りに任せて何とかなる相手じゃないです! 


 怒りで血液を頭に送り、送った血液で頭をフル回転させるのです! 力や技で勝てないなら頭で勝つ! それが世の中の常識って奴です!


 ノアは手早く地面を【風の弾丸】で掘り返します。そして、土を頭から被ってドラゴンの影に入るです!


『ぬう……っ!? 消えた……!?』


 同化しただけですよ! ノアの銀髪を土で隠せば、肌の色は黒いですし、ドラゴンの黒く濃い影に紛れて見えなくなると思っていました!


『煩わしいわ!』


 ドラゴンが急速旋回して尻尾を振るうです! でも、その攻撃手段は勇者のお姉さんの時に見たですよ!


 ノアはアダマンタイト棒を地面につっかえ棒のようにして挿し込むと、その反動を利用して脚から上空に飛び上がるです!


 その昔、お姉ちゃんに教えて貰った『ニンポー、ボータカトビー』の術です!


 って、高さが足りないです! 【風の弾丸】を自分に撃ち込んで、高さを出すです!


 肩や胸に穴が開きますが、それもすぐに閉じます! 痛いですけど、それももう慣れました!


『むう! 当たったか!? 小さ過ぎて手応えが何もないぞ!』


 背中を向けて尻尾を振ったのが運の尽きです!


 ノアは、ドラゴンが見ていない間に既にドラゴンの背中に取り付いているのです!


 というか、何ですか、この背中!


 槍みたいな鱗が立ち並んでいて、軽く触れるだけで皮膚が削れて痛いです!


 勇者のお姉さんは、こんな場所を平気で走り回っていたんですか!


 つくづく人間技じゃねーです!

 

 ノアはなるべく通れる場所を選んで、【風の弾丸】を自分の背中に撃ち込みながら、先を急ぐです。


 下手に時間を置いちゃうと、ノアじゃなくて勇者のお姉さんにドラゴンの興味が向いちゃうですから……だから、トロトロやってられないです!


 ――見えた! あそこです!


 ノアが目指していたのは、元々ドラゴンの翼が生えていたところ! そこを斬り飛ばされたって言ってたんですから、その傷口はまだ癒えてないはずなんです!


 ノアの実力じゃ、鱗を貫いてドラゴンにダメージを与えることは難しいですが、まだ治りきっていない傷口を攻めれば、少しくらいはダメージを与えられるはず!


 ノアは鱗の間で踏ん張れる足場を見つけて、そこで脚を広げて踏ん張り、指先をドラゴンの翼があったであろう傷口に向けます。


 さぁ、食らうが良いです!


 【風の弾丸】の雨霰あめあられです!


『おのれぇ、何処に――あでっ!? 痛っ!? ぐぉっ! 誰だ! 儂の……ぐごっ、儂の傷口に塩を塗り込むような真似をする奴は! あ、貴様かっ! 痛っ、痛い! 馬鹿! やめぬか!』


 効いてはいるようですけど、全然決定打になってないです! ある程度予想してたですけど、コイツやっぱり強過ぎるのです!


『グオオオオ……、煩わしい! ゴミはゴミらしく、やはり燃やし尽くさねばならぬか! 灰も残さず消えるが良いわぁ!』


 光が、くるりと背中を振り向いたドラゴンの口の中に収束していくです。


 さ、流石に、燃やし尽くされたら、傷が治る治らないの問題じゃない気がするのですけど……? し、死んじゃうですかね……?


『グハハハハ! 怯えているか! 畏れているか! その感情ももう終わる! 炎に巻かれて死にゅが――グフォッ!?』


 長々喋ってたんで、傷口に【風の弾丸】を撃ってやりました!


 そしたら、突然の痛みに驚いたのか、ドラゴンの口の中が大爆発します! 喉の奥に水が入った感じですかね? 苦しそうです!


 というか、爆発の衝撃でこっちに何か飛んでくるです!


 あれは……ドラゴンのキバ


 爆発で抜けたですか?


 って、ギャー! 何か黄色くてバッチィです!


 ノアは思わず飛んできた歯を遠ざける為にアダマンタイト棒をフルスイングして、ドラゴンの歯を打ち返すです!


 過去最高の手応えと共に打ち返されたドラゴンの歯は空気を斬り裂くような勢いで真っ直ぐに飛んで――あ、ドラゴンの左目に突き刺さりましたですね。


『グオオオオォォォォ!?』


 ドラゴンが思わず目を押さえて……ノアの足元の感覚が急に消失します!


 ドラゴンがあまりの痛みに転げ回り始めたせいで、背中から投げ出されたです! 投げ出された時に鱗で削られて、ノアの体からも派手に血がしぶきます!


 って、あ、ドラゴンの大きな背中が迫って――……これは、避けられないですね。


 槍のような鱗に体中を突き刺されながら、ノアの体は地面とサンドイッチにされるです。


 物凄く痛いです。

 

 ちょっと色々はみ出ちゃうくらい痛いです。


 死ぬんじゃないかなーと思うぐらい痛いですけど、ノアの体はあっという間に再生して、土に埋もれた状態になります。ドラゴンは転げ回っている内に、ノアから離れていってしまいました。


 うーん。穴にはまって動けないです。


 後、倒すと意気込んだですけど、ノアの力じゃ決定力に欠けるですね。


 それこそ、冒険者さんの言葉じゃないですけど、勇者のお姉さんの攻撃が通じなかった時点で、今のノアがどうにか出来るような相手じゃなかったのかもしれません。


 ノアが穴にはまってウダウダやっていると、突然日光が遮られてノアの目の前を影が覆います。


 誰ですか……?


 いえ、愚問ですね。


 ドラゴンが転げ回っている中を飄々と出歩ける人物なんて一人しかいません。


「大丈夫か?」


「ししょー……」


「一人で立てるか?」


「引き上げて欲しいです……」


 手を引いて引っ張り上げてもらいます。


 ずぼっと抜けたノアは立とうとして、思わずよろめきます。


 ……何だか、さっきよりも体が重いですか?


 よろめいたところを、ししょーに支えられながら、ノアはその場に座らされてしまいました。そんなノアに背中を向けながら、ししょーが語ります。


「どうだった? 今回の特訓は?」


 その言葉を聞いて気付いてしまいます。


 あぁ、この特訓ももう終わりなんですね、と――。


 寂しいような、嬉しいような……とにかく疲れたというのが一番なんですかね? 疲労が一気に押し寄せてきて、考えた事が全て口から出てしまいます。


「しんどかったですし、辛かったですし、痛かったですし、何回か死んだですし、吐いたですし、はみ出したですし、漏らしたです。けど……」


「けど?」


「楽しかったです!」


「そっか」


 ししょーの声は優しかったです。何となくホッとした気配が伝わります。


 ししょーは魔法鞄の中から、いつもの愛用の木刀を取り出して、だらりと片手で構えていました。


「本当はもう少し特訓の時間を取りたかったんだがな。ティムロード卿が自ら騎士団を率いてやってきて、『ドラゴンを何とかしてくれ』と要請されてはな……。まぁ、ホテルの借りもあるし、やるしかないだろうよ」


 そう言う、ししょーの背中からドラゴンなんか比較にならないぐらいの恐ろしい気配が生まれます。


 何ですか、コレ……。


 震えが止まらないです……。


「丁度良い機会だから、ノアちゃんも見ておくといい。これが俺の剣術の奥義のひとつだ。――おい、クソドラ。こっちだ」


『ぬぐおぉぉぉ――……お前はぁぁぁ!』


 片目を押さえたドラゴンが、ししょーに向き直り、隠す事のない殺気を叩き付けてきます。


 けど、ししょーは涼しい様子で、まるで友達にでも話し掛けるように言葉を投げ掛けていました。凄い図太い神経してるです!


「今ならまだ、ケツまくって逃げ出して他の大陸に閉じ籠もって出てきませんって言うなら見逃してやってもいいんだが?」


『ふざけるな! 誰が卑小な人間如きの言葉に耳を貸すものか! お前らはこの儂に食われて死ぬ運命に決まっておるのよ!』


「そうかい。じゃあ、さよならだ」


 ししょーが軽い調子で歩きながら――、


 えっ、消えた?


 いえ、既にドラゴンの後方にししょーの姿があります! 一体いつの間に移動したですか!?


「お前には勿体ない技だがくれてやる。北神一刀流裏奥伝――……【神威】」


 ししょーはそう言ったですが、ししょーが移動しただけで何も起こって……え?


「空が割れてる……」


 空だけじゃないです。


 空気も、雲も、大地も、全てが今、断ち斬られたとばかりにずるりと滑り落ちます。


 それは、目の前のドラゴンも例外ではなく、真っ二つに斬られて、断面が姿を現します。


 一撃……。


 ノアたちがあれだけ苦労したドラゴンも、ししょーに掛かればたった一撃ですか……。


 ぶわっと激しい風が吹き、ノアがその風に目を瞑った後にはドラゴンの姿はありませんでした。ただ、ししょーだけが涼しい顔をして立っているだけです。


「ししょー、ドラゴンは……?」


「【次元収納】で素材まるごと時間停止空間に収納した。……悪竜アレの血には不老の力があるからな。放っておくと争いの火種になるし、相手が消滅する技だとか言って誤魔化しておけば誰も気が付かないだろ」


「あれだけの技だったら、そう説明されたら信じちゃいそうです……。ふわぁ……」


 何だか緊張から解放されたら、急に眠たくなってきたです。膝から力が抜けて、カックンカックンってなるです……。


「体が休息を欲しがっているんだ。無理するな。町までおぶっていってやるから」


「すみません、ししょー。ヨロシク御願い……し……」


 全てを言い終えるよりも早く、ノアの瞼が降りてきてノアは深い眠りにつくのでした。

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