Interlude

 少女の意識が変質したのは、いつからだろうか。


 指を潰されれば、痛い――。


 肺腑を抉られれば、痛い――。


 脚が折れても痛いし、腕が食い千切られても痛い――。


 ――けど、治る。


 ものの数秒で、何事も無かったかのように治る。


 痛みは僅かの間だけで、我慢という程の時間も掛からずに治ってしまう。


 やがて、少女は危うい意識を抱き始める。


 痛みに――、飽きた。


 痛みの度に、ぎゃっとか、わーとか、叫ぶ事に疲れてしまったのだ。


 だから、少女は淡々と痛みを受け入れる。


 無言のままに貫かれ、逆に相手を貫き返す。


 面白いもので、痛みに鈍感になっていく事で逆に分かってくる事もある。


 魔物の攻撃というものは、かなり大雑把で当たるに任せるところがあるのだ。


 だから、回避しようとすると攻撃がしつこく迫るが、急所を外して当てさせれば、それに満足するのか攻撃の手が止まることが多い。


 息の根を止めてもいないのに何で止まるのかと、少女は文字通り肉を斬らせて骨を断つ。


 やがて、少女は自分の現在のおかしな――斬られても刺されても死なない――状態を完全に受け入れてしまう。


 今はもう、そういう体なのだと納得することにしたようだ。


 そこから、彼女の意識の変質が加速する。


 何をやられても死なないのだから、防御は捨てても良いのではないかと考え始めたのである。


 防御を捨てて、攻撃一辺倒へ。


 ただただ相手を観察して、相手の弱点を探して、意識を攻撃の一点に集中する。


 彼を知り己を知れば百戦殆からずとは孫子の言葉であるが、少女は自分のことは知り尽くしているとばかりに、相手のことばかりを観察し続けた。


 そして、少女の師も知らぬことだが、少女には天賦の才があった。


 解析し、理解する――頭の回転の早さだ。


 リザードマンの群れが槍衾を形成して少女を突く。


 だが、穴だらけになりながらも、少女はリザードマンの持つ槍がただの木の棒に魔物の甲殻らしきものを固定しただけの粗末な代物だと理解し、槍の柄を斬って落とす。


 これだけでリザードマンたちの攻撃力が半減し、少女は致命的な傷を受ける事がなくなる。


 武器を失ったリザードマンたちは動揺し、一瞬だけだが動きが止まる。


 そんなリザードマンたちの前で、少女は自分の身に向けて風の弾丸を何度も撃ち込んで傷口を広げるなり、自分の体に鈎のようにして食い込んでいた槍の穂先を取り出して放り捨てていた。


 体中に開いていたはずの傷口はあっという間に治っていく。


 そして、リザードマンを観察する少女は、穂先の落とされた槍の柄を掴んで、力任せにリザードマンを引き寄せようとする。


 突飛な行動に驚いて、槍を引くリザードマンだが、少女はその槍をさっと離す。


 リザードマンの体勢が崩れる中で少女は先程から観察していたリザードマンの鱗の薄い部分を狙って剣を突き入れていた。


 突き刺し、捻り、そして引き抜く。


 運良く急所であったのか、一撃で絶命するリザードマン。


 少女は今度は死んだリザードマンの体を盾として、リザードマンの群れに無理矢理切り込んでいく。


 硬いリザードマンの鱗と筋肉質な体は盾には最適だと言わんばかりに、槍の穂先を受け止めては弾き返す。


 少女は笑う。


 自分の予想や行動、やる事なす事全てが少女の思い通りに動く。


 その出来事に、少女はまるで神の如き全能感を覚えながら――……宙を舞っていた。


 巨大な棍棒に殴打されて全身がバラバラになる痛みを覚えながらも、その痛みは空中を飛んでいる内に消え去ってしまう。


 そして、空中を飛びながら、少女は自分を殴った相手を観察する。


 北の森に生える大樹のような巨躯。分厚い緑色の皮膚に頭の悪そうな顔をした大男が少女を見据えているのが見えた。


 その魔物がトロールだと判断出来たのは、彼女の師がアイドル資格試験の対策として魔物知識の一部さえも彼女に教え込んでいた為であろう。


 知識は武器である。


 トロールの弱点は頸椎の切断――そこだけはすぐに頭の中に浮かんだのだが、少女には巨人に立ち向かうだけの作戦が思い浮かばなかった。


 どのようにして近付けば良いのか……?


 だが、そこは逆転の発想だ。


 少女の頭脳は自分がどうするかよりも、相手がどうされた方が嫌がるかを考えるべきだと結論を下す。


 迫ってくる地面を見ながら少女は考える。


 考えるのは、少女が巨人の立場になった時のこと……ではない。


 それは多分に想像力を伴い、確実性に欠ける。


 だから、少女は自分が羽虫を相手にしてやられた時に嫌な事を思い出す。


 目の前を飛んでいた羽虫が急に消えたり、現れたり、そしていつの間にか近付いて自分の皮膚に止まっていたり――、それらの経験則から、少女は着地と同時に無数の【風の弾丸】を大地へと撃ち込んでいた。


 この魔法にも大分慣れてきた事もあって、少女は既に魔法の特性を完全に自分のものとしているようだ。


 効果範囲こそ狭いが、貫通力が高くて射程が長いために使い易い魔法。また、消費する魔力量が少ないのと詠唱が不要な為、連続での射出が可能というのも素晴らしい。


 そして、減った魔力があっという間に元に戻る現状は、連射し放題といった特典すら付いてくる。


 そんな【風の弾丸】をマシンガンのように撃ち込んで、大地をズタボロとし、少女は自分の全身から垂れ流れた血潮に大量の泥と草の端切れを付けてみせる。


 そして、そのまま地面を這うようにして高速で移動する。


 少女の経験上、羽虫の動きを見失うのは羽虫が景色の色と同化した時、そして急激な速度での方向転換をした時だ。


 だから、それをそのまま実行したのである。


 案の定、トロールは少女の姿を見失ったのか、追撃出来ない。


 だが、巨躯の魔物はそれで誤魔化せても、小さなサイズの魔物は誤魔化し切れない。


 すぐさま大型犬サイズの蜘蛛の魔物の群れに取り囲まれ掛けるが、少女はあろうことか自分の背中に向けて【風の弾丸】を連射する。


 背中の肉が盛大に爆ぜる中、少女は圧倒的な速度で蜘蛛の魔物の群れを振り切ってみせていた。


 それと同時に、遠くの地面に【風の弾丸】を撃ち込んでいく事も忘れない。


 地面に撃ち込まれた【風の弾丸】は少女の背中を爆ぜさせるよりも、より派手に土煙を大地に上げる。


 それを徐々に少女から遠ざけさせれば、まるで土煙を上げながら疾走しているようにも見えるだろう。


 その土煙の行く先をリザードマンの群れにまで届かせたところで、トロールが巨大な棍棒をリザードマンの群れに振り下ろしているのが確認出来た。


 その隙に少女は魔物の群れを強引にやり過ごしながら、トロールへと接近する。


 蜂の一刺しではないが、攻撃を加えたら、まず間違いなく相手に気付かれることは必至。


 少女だって、肌に羽虫が止まったら反射的にパチンとやってしまうタチだ。


 トロールもきっと同じ事をするだろう。


 だから、最初の一撃でありながらも、致命的な一撃を与えなければならない。


 羽虫の羽休めではなく、毒蜂の致命の一刺しでなければならないのだ。


 少女は走りながら剣を構えて、そして振るう。


 乱戦の中で培った『汚い振り方』だ。


 綺麗で鋭く、隙の無い剣筋は基礎を覚えるのには丁度良いだろう。


 だが、それは逆に言えば、剣閃を読み易いという事でもある。


 駆け引き上手な人相手だけではなく、身体能力に特化した魔物にも、鋭いだけでは見切られて躱されてしまう事があるという事実を少女は知った。


 魔物には、魔物を殺す剣が要る。


 そうして、少女が身に付けた剣こそ汚い剣だ。


 振り方に構わず、全体重と勢いを込めて、二の太刀を捨てたかのような全霊の攻撃――。


 少女のその姿を遠くで見守る師は、誰にも気付かれぬような小さな声で「示現流かよ」と笑ったことだろう。


 少女の長大な剣が巨大なトロールの足元に炸裂する。


 狙いは脚の腱。


 それを断ち切ることで動きを封じようと考えたのだろう。


 狙いは良かった。


 刃の滑りも問題なし。


 問題は少女の剣の威力が足らなかったことだ。


 少女の細い体と軽い剣が、トロールの腱を斬る道程の邪魔をする。


 剣がトロールの足首に半ばまで食い込み――……止まる。


 トロールが少女に気付き、ギロリと少女を睨む中、少女はトロールの足首に半ばまで食い込んだ剣を両手にしながら――……止まった剣の背にありったけの【風の弾丸】をぶち込む。


 剣が一気に勢いを取り戻す。


 剣の柄を掴んで離さなかった両腕に一気に力を込めて、少女が全霊で振り抜いた時、トロールの太い足首は汚い断面を見せて切断されていた。


 流石に足首を切断されては立っていられる道理もないか。


 バランスを崩して、その場に駒のように回りながら倒れ込むトロール。


 地面が揺れて、その場にいた者たちの視界が激しくブレる中――、少女の目の前にはまるで斬って下さいと言わんばかりに、トロールのうなじが晒されていた。


 少女は一瞬で回復した有り余る体力を使い、師にあれだけ特訓された唐竹と逆風を使って、実にあっさりとトロールの頸椎を斬り落とす。


 そこでようやくトロールが動かなくなる。


 どうやら、完全に討伐することに成功したようだ。


 その達成感に、思わず少女の口角があがってしまう。


 ――思春期を迎える少年少女が、ふとしたキッカケで見違えるように変わってしまう事は良くある話だ。


 そして、少女にとっては稀有な事に、そのキッカケは恋愛でも、友情でも、夢を追い掛けるような活動でも、没頭するような趣味でもなく――……ただ単に殺し合いだった。


 ただ、それだけの事なのであった。

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