第26話 グラス平原の攻防3
お、ノアちゃんの動きが変わったな。
ふっ切れたか?
先程までは魔物の群れの外縁部でセコセコと戦っていたのだが、急に魔物の群れの中に突っ込んでいく動きをノアちゃんが見せ始めた。何か心境の変化でもあったのだろうか。
俺のアドバイスが効いたとか?
はは、まさかね。
あんな分かりにくいので効くとも思えんし。
――って、あー、トロールの大きな棍棒にド突かれて空を飛んじゃってるよ。
でも、飛んでいる間に
あの感じだと、何か掴んだな。
今が楽しくて楽しくて仕方無いって感じに、俺には見える。痛みよりも楽しさが先にきて止まれないんだろう。
オメェ、ツエーな! ノア、ワクワクすっぞ! みたいな状態なんだろうか?
「――北の剣神様。仰られていたようにお届け致しました」
「おう、ありがとさん」
おっと、トモエが帰ってきたか。
今回はS級アイドルの実力も何となく理解出来たし、なかなか良い取り引きが出来たと思う。さて、約束を交わした以上は、次は俺の番か。
「先の話では、剣神様の加護が得られるという話でしたが?」
「そう
俺は魔法鞄の中から装飾過多にも見える一本の儀礼用剣を取り出す。
「あったあった。コイツだ、コイツ」
「それは?」
「俺が作った魔道具だ。対魔族、そして対魔物用の結界を張る道具だな。コイツを握ってスイッチを押す事で、使用者の力を吸収して、それに応じた広さと強さの結界を張る事が出来る。ちなみに今回は――」
本気になれば、王国全土くらいは覆えるけど、面倒臭いから力を抜いて……。
「――グラス平原一帯を覆う事にする。この結界の中で戦えば、魔物の力は削がれ、味方は力を増して戦えるだろう。多少の傷も勝手に治るはずだ。ただし、即死だけは防げないから無茶はするなよ。腕や足が斬り飛ばされた程度なら連れて来い。生やしてやる」
俺は言うだけ言って、椅子に深く腰を下ろす。
その態度に、トモエはジト目を向けてくる。その視線をやめなさい! それなりに、この結界の起動は疲れるんだからね!
「剣神様は戦ってくれないのですか?」
「この結界の弱点の一つを教えてやろう。この結界を張った者は、結界起動地点より大人二人が両腕を広げた範囲しか動けなくなる。つまり、今起動したから俺は動けん」
地球の単位で言うと直径五メートルの円の領域――そこにいる起動した人間のエネルギーを継続的に吸収して結界を維持する造りになっているから、起動地点を外れるとすぐに結界が終わっちゃうのよね。
ちなみに、この結界剣は俺以外の剣神たちにも一応渡してある。
とりあえず、魔族が攻めてきた時の緊急手段として渡してあるのだが、他の剣神たちが言うには『燃費悪すぎ! こんなもん展開しっぱなしにしてたら、半日もせずに干乾びるわ!』だそうだ。
俺は半年でも普通に展開し続けられるのだがなぁ……。
「まぁ、俺の近くに寄ってきた魔物は普通に倒すさ。それとも、俺がいないと自分の町すら護れないほど、ティムロードのアイドルというのは弱いのかね?」
「……分かりました。後の掃討は私たちが引き受けましょう」
「そうしろ、そうしろ。『北の剣神が全部やりました』よりも、『アイドルたちが頑張って撃退しました』って方がティムロードの住民たちも嬉しいだろ」
俺が投げやりにそう言うと、またトモエにジト目で見られる。その目をやめなさいって言ってるでしょ! あ、口に出して言ってなかったわ!
「先程から見ていて思っていたのですが……格好といい、本当にプロデューサーみたいですよ、剣神様」
精一杯の皮肉のつもりか、そう言うと彼女は町の方へ足を向ける。
恐らく、現状を伝えて魔物討伐部隊を募るつもりじゃないだろうか。
別にアイドルだけじゃない。
騎士団でも冒険者でも腕自慢でも、魔物を倒す自信と力がある奴らが我先にと集うことだろう。
何せ、
ならば、ここから先は魔物という名の獲物の取り合いか。
ノアちゃんは一足先に暴れているが、腕自慢の連中相手にどれだけ食らいついていけるか見物だな。
しかし、それにしても――、
「――みたい、じゃなくて本当にプロデューサーなんだよなぁ」
やっぱり、まだらしくないのか……。
俺は苦笑を浮かべて椅子の上でふんぞり返るしかないのであった。
★
side トモエ
「何と! あの北の剣神様が我々に御助力して下さると言うのか! ならば、こうしてはおれん!
私が北の剣神と話をつけてきた内容を聞くと、外縁部の守備隊長はそれだけを言い残して何処かへ走って行ってしまいました。
恐らく、今から騎士団の上層部に話を通して討伐部隊を編成してくるのでしょう。でしたら、出陣出来るのは半刻後くらいでしょうかね。
それまで、この結界が保つのか分からないですし、ティムロードの町の住民も事態の早期解決を望んでいる事でしょう。
……それが分かっている者たちは、すぐに動き出します。
「騎士団のスライム並の動きになんて合わせてられねぇよ……。悪いが、俺たち【光夜】は先に出るぜ。剣神がケツ持ってくれるなんてオイシイ状況で稼ぎが減るのを待つ馬鹿はいねえって。――【
「そうですね。勿論、私も出ます」
【白銀】――それが私の二つ名。
A級以上のアイドルには、アイドルギルドが敬意と称賛を以て二つ名を送ります。
私の二つ名は髪色を元にしているのと、私の剣閃が余りに早過ぎて、素人には白銀の光にしか見えないから……ということのようです。
仰々しくて小っ恥ずかしいですね……。
私としては、自分の身体能力をそこまで意識した事はなかったのですけど、こうして苦もなくS級アイドル【白銀】となってしまったのですから、尋常ではないことを意識せざるを得ません。
それでも、剣神様の前には格の違いを思い知らされましたが……。
「んじゃ、先に行くぜ。【白銀】」
「えぇ、戦場でお会いしましょう」
元外壁の瓦礫の山を踏み越えて進んで行くのは、バンダナをした髭面のガタイの良い男の人です。
そして、そんな男の人に付き従うようにして、傭兵風の装いをした二人と神官風の人、そして魔法使い風の人が付き従っていきます。
あれが、ティムロードでも最強と呼ばれている五人組のA級冒険者パーティー【光夜】です。
元々傭兵上がりであることもあり、戦闘力は一級品で、任務遂行能力も高いらしく依頼成功率は九割を超えるとか。
渋いオジサンたちしかいないパーティーですので、一般市民の人気は低いらしいのですど、冒険者界隈では一目置かれている存在だと兄さんが言っていました。
そんな冒険者パーティーの背中をぼーっと見送っていると、ようやく待ち人がきた気配を感じたので振り返ります。
「トモ先輩! 来てたんですね! よしっ、これで百人力だ!」
「ユイちゃ〜ん、急に走ったら危ないんよぉ〜」
「ユイ、アマネ」
A級アイドルである【ニ刃一刀】のユイと【麗舞】のアマネ。どちらも私が所属するアイドル
アルカディアプロは歴史が古く、昔から少数精鋭を標榜しており、規模としては弱小アイドル事務所と同じレベルなのですが、そこに所属するアイドルたちは誰もが一騎当千のツワモノ揃いとなります。
当然、このユイ、アマネも相応の実力者で、私が背中を預けるに相応しい相手と言えましょう。
「待っていました。共に行きましょう」
「へ? トモ先輩にしては珍しく弱気?」
ユイが驚いた表情を見せますが、普段の私は彼女の中で一体どんな扱いをされているのでしょうか?
普通にあの魔物の数を相手に単身で挑むというのは無茶があります……。
あのダークエルフの少女のように、外縁部でグレーウルフと戯れる程度なら、ともかく、魔物の群れの最奥に潜むトロールやサイクロプス、上位の魔物の類を相手にするのであれば、複数で挑むのは必須でしょう。
「あの数ですので、取り囲まれるのは愚策です。互いに死角を補う為にも、もう二人ほど人が集まるのを待っていたのですよ」
「相変わらずトモ先輩は冷静だ……」
「ユイちゃんは、もう少しトモ先輩を見習って落ち着いた方がえぇと思うんよぉ」
「落ち着いてるし!」
申し訳ありませんけど、貴女たちの掛け合いを見ている時間は無いのです。
既に事態が伝わっているのか、高ランクのアイドルや冒険者たちが続々と外壁の外へと進んでいきます。
此処で出遅れるわけにはいきません。
何せ、私はS級アイドルという肩書きの前に、勇者という立場もあるのですから。
人々の希望がこんな所でまごついているわけにもいかないのですよ……。
「行きますよ、二人共」
「うわ、即断即決! 流石、トモ先輩! 判断が早い!」
二人を伴って、私はティムロードの外へと進みます。ちらりと周囲を見渡せば、見知った顔が大勢います。どうやら、A級以上のアイドルはほとんどが参戦しているようですね。見慣れない顔はB級やC級アイドルでしょうか?
全体を見れば百人以上のアイドルたちの集団となっています。それに加えて、腕自慢の冒険者たちが集って、三百人を超える規模での防衛部隊の出来上がりです。
ですが、それだけの強大な戦力だと言うのに、グラス平原との境界である北の森から滲み出るように湧き出してくる魔物たちの群れに戦慄を覚えざるを得ません……。
数えるのもの馬鹿らしくなる程の数は正直これだけの戦力と、剣神様の加護があったとしても勝てるのかどうか――そんな思いが、私の心を激しく揺さぶります。
……いえ、弱気になっては駄目ですね。
かつての
「おっ、【神槍】や【絶脚】もいるし! 何かこうS級、A級アイドル大集合って感じ! お祭り気分になってきたよ!」
「ユイちゃんは調子良さそうやねぇ〜」
「うん! 絶好調! 何だかいつもよりパワーが出る感じだね! もしかしたら、あの変態プロデューサーのおかげかも!」
「そうねぇ。私も調子良いから、本当にそうかもしれんねぇ〜」
「変態のくせに生意気! でも、有能だから許す! いや駄目! やっぱり
先程から背後で繰り広げられている会話にちょくちょく出てくる変態プロデューサーとは誰のことでしょうか?
ユイが嫌がるような相手なら……正直出会いたくはないですね。
有能そうですが変態ですし……変態はいけません、はい。
「でも、こうして見るとやっぱり桜花プロ所属のアイドルが多いよね一!」
ユイの話題がすぐに変わるのはいつものことですが、この子には緊張感というものが欠如しているのでしょうか? それとも緊張を紛らわせるためなのでしょうか? 私には分かりません。
「業界最大手やからねぇ。所属しとるアイドルも多いんよぉ」
現在、アイドルギルドに登録されているアイドルは五百人ほどでしたか。
その内、一流とされるアイドルはA級以上のアイドルで、数は三十人程しかいません。
そんなA級以上のアイドルの内、実に四割が桜花プロに所属しているというのですから、ユイの言う事も的を射ているというべきでしょう。
「桜花プロと肩を並べるという事実に、怖気付きましたか?」
事務所の規模で言えば、天と地ほどの差。
普通であれば、その名を聞いただけでも謙ってしまいそうなものですが……。
「何言ってるんですか、トモ先輩! こういう時こそチャンスです! 古豪アルカディアプロの力を見せてやりましょう!」
「せやねぇ。何だかんだ、ウチらも一流処には食い込んでいるわけやから、それなりに戦働きを見せんといけんかなぁって思いますぅ」
「良い覚悟です。ならば、私に続きなさい」
静かに、だが迅速に私たちは走り出す。
まずは、邪魔なゴブリンとグレーウルフの群れを切り捨てながら、大物を倒す事を目標としましょう。
トロールやサイクロプス、その辺りの魔物を三人掛かりでやれば、事務所の名を売る事も出来るでしょう。
特に、トロールやサイクロプスは巨大な分、倒せれば派手に目立ちますので狙い目です。
当然、今私が考えている事は桜花プロのアイドルたちも考えていることでしょう。
特に、S級アイドルである【暁の魔女】などは、高い再生力を持つトロールを一撃で倒す為の魔法の詠唱でも始めているのではないでしょうか。
ですが、逆にそこを我々が掻っ攫っていけば――。
「……え?」
ゴブリンの群れを一瞬で細切れにした私でしたが、目標と定めていたトロールがいきなり倒れ伏すのを見て、思わず声を出してしまいました。
え、偶然でしょうか?
それとも、足を縺れさせて転んだとか?
そんな私の淡い希望を打ち砕くかのように、トロールの首筋から青い鮮血が盛大に噴き上がります。
それこそ、間欠泉のように。
あれは、頸椎を断ち切った……?
生命力の高いトロールを殺す方法として、冒険者たちの間で広く知られている方法です。
でしたら、やったのは【光夜】でしょうか?
いえ、【光夜】は私達よりも先行していますが、まだ魔物たちの群れの外縁部に接触したところです。
彼らもまた、魔物たちの激しい猛攻を凌ぎながら、突然倒されたトロールに動揺しているようですね。
驚きがこちらにまで伝わってきます。
「では、一体誰が……?」
私が視線を所在無げに彷徨わせた先――、トロールの巨体を軽々とよじ登る人影があります。
まるで、自分が倒した獲物だと誇示するかのようにトロールの巨体を足蹴にすると、今度はその巨体の上で、登ってくる魔物たちを相手に斬って、噛まれて、蹴られて、投げての大立ち回りをし始めます。
その人影は、私には年端もいかないダークエルフの少女に見えるのですが……私の目がおかしくなってしまったのでしょうか?
先程の少女ですよね? あれ?
「あれって変態が探していた子じゃないの? あんな目立つトコに登ったら、狙われまくるでしょ!? 馬鹿なの!?」
「でも、あの子なんや楽しそうよぉ?」
二人は知らないのかもしれませんが、あの子は先程までグレーウルフにすら苦戦していたんですよ? それが少し目を離しただけで、トロールを倒すまでに成長したというんですか……?
いえ、剣神の加護と
それにしても、あの成長力は……。
子供が急に伸びることはありますが、魔物の群れに放り込まれたことで、私の予想すらも超えて急激に成長している?
……分かりません。
分かりませんが、あの子一人が頑張ったところで、事態は終息しないのです。もっと、一人一人が頑張らないと……!
「ユイ、アマネ。ぼーっとしてないで行きますよ。あの子に遅れを取るわけにもいきません」
「合点です! トモ先輩!」
「町の人たちのためにも頑張らんとなぁ〜」
その時の私はまだ知らなかったのです。
この戦場で一番目立っている彼女が、まだアイドルですらなく、試験中であるはずのアイドル候補生であったという恐ろしい事実を――私は知らなかったのです。
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