第8話

薫…違うんだ…俺は…俺はお前のことを…ずっと…お前だけが俺を理解しずっと側に居てくれた…ほんとはお前を誰にも渡したくなんかない…なのに…なのにお前との関係が崩れるのが俺は何よりも怖いんだ…お前だけは絶対失いたくないから…


天斗は苦しかった。薫が徐々に武田剛と仲良くなっていくことが。薫が剛に想いを寄せていく姿が。自分から薫が離れていくことが…どんなに仲間が増えて自分を慕ってくれる者が増えていっても、天斗の中には薫との絆だけが本物の繋がりだった。肉親にも…いや…自分の分身にすら匹敵するほど薫に依存していた。しかし今自分の心の均衡が崩れようとしている。

もし天斗が素直にその気持ちを薫に伝えることが出来ていたのなら、二人の人生は大きく変わっていただろう。しかし突如現れた剛の存在が天斗をねじ曲げてしまった。


薫…頼む…行かないでくれ…どこにも…ずっと俺の側に居て欲しい…ほんとはお前を…心から…


天斗…あんたはバカだよ…私だって…私だってあんたのことが…でも、もういい加減待つのは疲れたよ…ずっと淋しかったのに…ずっとあんたの言葉待ってたのに…いつか私を…でもあんたには一生言ってもらえないだろうね…カッコつけてバカみたい!

そしてお互いの気持ちがすれ違ったままこの恋は終わりを告げる。


ある日天斗が学校の教室の前の廊下で窓から校庭を眺めていた時、剛が天斗の側へ寄ってきた。


「なぁ黒崎、薫といつも一緒に居るみたいだけどあいつと付き合ってんの?」


天斗が不意に核心を突かれて動揺してしまう。


「あ?な…何だよいきなり…薫と?んなわけ…あいつとは長い付き合いで…俺もあいつにも友達が居なかったからずっと一緒に居ただけだよ…」


「じゃあ付き合ってる訳じゃないんだな?」


「あ…当たり前だろ…薫のことを女だと思ったことはねーよ…」


「そうなんだ…じゃあ俺が薫奪っても文句ねーよな?」


「そ…別にそんなの俺に聞くまでもねーだろ…」


「ふーん、わかった。話はそれだけだ」


そう言って剛は教室に戻って行った。この時天斗は言い知れぬ不安にかられる。なんと無く薫がもう自分の手の届かない所へ行ってしまうような気がして…


その日の放課後、天斗は薫とよく特訓をした河川敷で、川の流れをボンヤリと眺めながら座っていた。そこへ剛と薫が通りかかった。剛が天斗に気付き


「薫…あれ…黒崎じゃねーか?」


薫は天斗の淋しそうな背中を見て昔を思い出す。


「そうだね…」


「ちょっと声かけようか?」


「いいよ…何かたそがれてるし…放っておこう?」


「でも、あいつ薫と仲いいんだろ?」


「うん…天斗とは小学校三年の時からの付き合いだよ。あいつに空手や合気道教えた…言ってみれば師弟関係みたいなもんだよ…」


「そっか…じゃああいつも強いのか?」


「うん強いよ…きっと誰よりも…」


「へぇ、でもあいつ喧嘩したとこなんか見たこと無いけどな…」


「うん…虎が爪や牙を剥き出しにして歩いてたら、その辺の獲物はみんな居なくなっちゃうよね。ひけらかす強さなんて必要ないんだよ」


薫がどこか物思いにふけるような表情をしているのを見て剛は感じ取った。薫が天斗に対して何か特別な感情があるのではないかと。


「薫…もしかして…」


「ん?何?」


薫は何か天斗のことを悟られたのかと動揺して答える。


「お前…あいつのこと…」


「は?何が?ただの幼なじみだし!全然何でもないし!」


「そうか?なら良いけどよ…」


天斗と薫の明らかに不自然な態度を見て剛はこの二人の中に何か特別な想いがあると察している。それを感じていても尚剛は薫に詰め寄る。


「てか薫…俺と…付き合わねーか?」


薫は複雑な想いだった。天斗…いいの?天斗はこれでいいの?あんたがちゃんと私を捕まえといてくれないからだよ?


「……………」


「薫?」


剛は黙っている薫の心の中を探るように覗き込んだ。そして薫は自分自身が前に進むため、下を向きながら話し出した。


「剛…私ってこんなんだからさ…今まで誰も男子は近寄って来なかったんだよね…多分…この先も…」


そして天斗にした時と同じ質問を剛に投げかける。


「もし、もし私がお嫁に行けなかったら…剛ならどうする?」


「あ?そんなの決まってんだろ?お前の横は俺しか似合わねーだろ!」


「剛…」


「薫、俺はお前の気の強い所も好きだし、お前の優しさもわかってる。それにお前のことタイプだし…お前のことは俺が守ってやるよ!だから俺と付き合え!」


その言葉は、誰よりも天斗から言って欲しかったセリフだった。誰よりも自分を理解し、誰よりも自分を強く想ってくれた男だと信じていたから…しかし天斗には薫を繋ぎ止めることは出来なかった。薫は自分の中の天斗への感情を全て振り払うように唇を噛みしめ黙ってうなずいた。背中に天斗の哀愁漂う姿を感じながらも、後ろを振り返ることはしなかった…もし天斗にこんなことが言えたら…サヨナラ…天斗…


その後の薫の天斗に対する態度は今までとは明らかに違っていた。どこかぎこちなく、まともに目を合わせようとしない。それを天斗は敏感に感じ取っていた。これまでずっと心の支えになっていた薫はもう自分の手の届かない所へ行ってしまったという淋しさが天斗の胸を締め付ける。どんなに握っても手のひらの中からこぼれ落ちて行く砂のように、薫との想い出がどこかへ消えてしまう感覚に襲われる。とうとう一番恐れていた瞬間がやって来てしまった。天斗は全てのしがらみから解放され、自分の存在すらも消えて失くなって欲しいと願う。

それから数日天斗は学校に姿を現さなかった。

そんなある夜、一本の電話がまた天斗に生きる希望を与える。それは新たなる出会いだった。


「よう!黒崎!ちょっと今暇だろ?外出てこいよ!」


それは矢崎透だった。


「透さん!どしたんすか急に!」


「いいから外に来いよ!」


天斗はすぐに玄関のドアを開けて外に出た。そこには眩しく自分を照らすライトが…


「何すか?バイク?買ったんすか?」


「黒崎、お前は薫が唯一認めた男なんだぞ!あいつに認められるなんてすげぇことだぞ!少しは誇りに思え!」


そう言って透は天斗の背中をバァーンとおもいっきり叩いた。


「痛っ…」


「お前よぉ~、たかだか女にフラれたくらいで何そんなシケた面してんだよ!」


「え?」


「え?じゃねーよ!背中に張り紙なんかしやがってよぉ!」


天斗は背中に手をやり紙を掴んだ。そこには


只今失恋中


と書かれていた。


「透さん!止めて下さいよぉ!」


透は天斗の肩に腕を回し優しく微笑んだ。そこには透の言葉が詰まっているのを感じた。


黒崎…何であいつを繋ぎ止めてやらなかったんだよ…あいつはずっとお前の言葉を待ってたんだぞ?


「透…さん…」


透は天斗の頭をガシッと抑え


「何も言うな…」


そう言ってバイクのヘルメットのスペアを天斗の胸に押し付け


「乗れ!」


ただ一言放ってバイクに跨がった。天斗もヘルメットを被り透の後ろに跨がる。透はおもいっきりアクセルを吹かし一気に加速して風を切る。天斗は数少ない透の言葉とその優しさに救われる思いだった。そして二人は埠頭に到着した。そこには数え切れない程のバイクの集団が居た。


「黒崎!お前は今日からこの族のチームの一員な!ここがお前の新たな居場所だ!お前ならすぐにここのヘッドになれるよ!」


「透さん…でも俺は…バイクなんて…」


「免許か?バイクは免許で乗るもんじゃねーよ!テメェの腕一つだ!乗ってみろよ!何もかも忘れられるぞ?」


「い…いや…そういう問題じゃなくて…」


透は族の頭だったわけでも無いし、メンバーですら無かった。しかし透を慕う者が集会には必ず声をかけるのだった。


「透さん…みんな高校生とかじゃないすか?俺だけ…年下すか?」


その時透がここに集まる全員に向かって


「おいお前ら!こいつは黒崎天斗!俺の秘蔵っ子だ!」


好奇な視線が一斉に天斗に突き刺さる。そしてメンバーの総長が天斗に近づいてきた。


「へぇ、この子があの有名な黒崎か!秘蔵っ子ったって既に名前は知れ渡ってるじゃないすか!」


族の総長、透と同級生の中田修司(なかたしゅうじ)。喧嘩の強さと男気溢れる器量に皆から絶大な支持を集める。


「喜んで迎えるよ!俺は中田だ。総長やらせてもらってる。色んな奴が居るけど、皆気の良い仲間だ。君の噂は聞いてるよ。流石透さんが認めただけあって、君の生きざまや経歴は透さん譲りのようだな。とりあえず新米だからみんなの下ってことになるが…まあ、君ならきっといずれ総長の座に着くだろ!」


中田は豪快だが温かみを感じる雰囲気を漂わせている。天斗は透以外にも自分を即座に受け入れてくれた中田を慕うようになる。


「中田、宜しく頼むよ!こいつは最近元気ねーから少し楽しいこと教えてやりたくてさ…」


透はそう言って天斗の肩に腕を回してそっと耳元で囁く。


「いつだってお前は一人じゃねーぞ!俺がお前を連れて歩いてやれねーのは悪いが…いつだってお前の味方だからよ!」


確かに透は自分を薫に預けたり、いきなり族の中へ放り込んだり、一見人任せのようにも見えるが、実は透には透なりの考えがある。それは…


「透さん…ありがとうございます。いつも俺の居場所作ってくれて…透さんは…俺を自分の手元に置いたら俺が透さんに守られるだけの男になるから…だからあえて俺に強くなるよう仕向けてくれたんでしょ?俺が…自分の力で本当の仲間を作れるようになるために…」


自分の意思をちゃんと理解して、自分の力で自立しようとする天斗を見て透は黙って笑っている。


本当の男、本当の強さ、本当の仲間…透はずっと孤独な天斗に揺るがない大切な物を手に入れさせる為に親心にも似た想いで陰で天斗を支えてきた。それを天斗は今初めて知ったのだった。

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