第15話 心のままに


 次の日。


 私は和泉と羽月の噂について少し探ってみることにした。


 結果は思っていた通り。


 和泉と羽月の仲は今ではそれなりに噂になっているようで、それなりに二人の噂は聞こえてきた。


 生徒会長と役員という学校の中では少し特殊な立場の二人。


 先輩と後輩という関係。


 そしてなにより、あの真面目な生徒会長に好きな人が、等々。


 変に調べようとしなくても自然に耳に入って来るくらいには、色々とある事ない事聞こえてきたし、特に一つ上の学年の間では注目されているらしかった。


 こっち学年では、まだそこまでだったから気が付かなかった。


 けど、羽月の周りでこの状態がずっと前から続いていたとしたら……。


 昨日の帰り際の羽月の様子からすると、何かのきっかけさえあれば溜まっていたものが爆発するかもしれない。


 羽月の感情がどんな形で爆発するかにもよるけど、もしかしたら和泉と羽月の関係は、悪い方へ変わっていくことになるかもしれない。


 私にとっては都合がいいけれど、


 それは和泉がまた傷つくということで、そうなってしまうかもしれないことに事前に気が付いた私はどうするべきなのだろうか……。




 それは私が思っていたよりずっと早く起きた。


 事が起きたのは放課後だった。


 一人、覚悟を決めたような表情で上級生の教室に行く和泉の姿を見て、何をする気なのか気になった私は、いつものように後をつけた。


 和泉の目当ての人物にはいなかったみたいで、そのまま特別教室棟へ歩いていく。


 おそらくは生徒会室へ行くのだろう。


 事が起きたのはその生徒会室だった。


 中に入ろうとした和泉が固まったまま動かない。


 何があったのだろうか。


 私がそう思った時、遠くに離れている私にも聞こえるほどの大きな怒鳴り声が、静かな特別教室棟に響き渡った。


「だから!! 付き合ってなんかないって言ってるでしょ!」



 それは、思わず私ですら驚いて身体が震えてしまう程の、たまりにたまった憤怒だった。


「さっきから五月蠅いんだって! 付き合ってないって何度言えばわかるの!? だいたい、なんで私と和泉が付き合ってるって思われなきゃいけないの!? いつもいつも向こうから寄って来るだけで、私は何もしてないでしょ! 年下に手を出してるとか変な事言わないでよ! そうやっていろんな所で噂されて! もうほんっと迷惑だからやめてくんない! 勝手に寄って来る和泉も! そうやって無責任に噂するあんたも! 私にはどっちも迷惑なのよ!!」


 心の奥深くにしまっておいたものが勢いよく噴出していた。


 あれはきっと紛れもなく羽月の本心で、けれども普段はもっと大切なもののために隠しているものだ。


 心の底に溜まっていた泥のように汚い感情。それが噴き出す様を見た私は、たぶん、笑っていたと思う。


 あぁ……。


 言っちゃった。


 言っちゃった言っちゃった言っちゃった。


 一時的な感情に任せて羽月はとんでもないものを吐き出してしまった。


 和泉が聞いているだなんて考えもせずに。



 和泉は結局、生徒会室に入っていくことはなかった。


 よろよろとした足取りで生徒会室に背を向ける。


 顔面は蒼白で目は虚ろ。


 私が見ていることなんてまったく気が付く様子もない。


 でも、それが当たり前だと思う。


 憧れの大好きな異性から自分があんな風に思われているなんて知ったら、そんなもの誰だってショックに決まってる。


 それに加えて和泉には小学校の頃のトラウマがある。


 私がつけてしまった深い傷。


 今回の事は昔と状況は違うとはいえ、和泉にとっては同じ事だろう。


 仲が良かった、好きだった存在からの一方的な拒絶。


 しかも今回は初めのトラウマから立ち直るきっかけをくれた人からの拒絶だ。

子供の頃から成長した和泉にだって耐えられるものじゃない。


 ふらふらになりながらも昇降口から出ていく和泉の後を、私はいつもより近くから追いかけた。


 家に帰るまで和泉に危険がないように、足取りのおぼつかない和泉はそれだけ見ていて心配だった。



 私にはこうなるかもしれない事が分かっていた。


 それでも私は何もしなかった。


 和泉が傷ついてしまうかもしれない事を知っていながら、私は何もしなかったのだ。


 何故か。


 その方が、私にとっては都合がいいからだ。


 私は自分が最低だという事も自覚していた。


 分かっていながら、和泉が傷づく姿をただ見ていたのだから。


 だから、私は、この罪を償うべきだろう。


 一生をかけて、和泉のために。




 次の日、和泉は学校を休んだ。


 教師は体調不良と言っていたけど、きっと本当は昨日の出来事が原因なんだと思う。


 羽月に会うことが嫌なだけなら生徒会を休めばいい。


 生真面目な和泉のことだから学校には来ると私は思っていた。


 でも和泉は学校自体を休んだ。


 学校にも行きたくなくなるくらい心が弱くなっているのだろう。それだけのショックを和泉は受けたんだ。


 和泉にとっての羽月の存在の大きさを改めて思い知らされる。


 本当なら、昔和泉を傷つけた私が今更出て行ったところで、付け入る隙なんてなかったはずだ。


 だが、羽月は自分で和泉の心に穴を開けた。


 その穴に入り込み、和泉の心を埋めるのは、私だ。


 和泉の心が弱くなっている今が、最大のチャンスだと思った。



 放課後、私はすぐに和泉の家に向かった。


 すぐに玄関のチャイムを押そうとして少しだけ躊躇する。


 私は和泉が弱るほど傷つくのを知っていながら黙って見ていた。


 そして弱っている和泉に付け入るためにここまできた。


 最悪で、最低の人間だと自分でも思う。


 けど、それでも私は、和泉のことを……。



 結局、私は自分の欲望を抑える事なんてできずにチャイムを押した。


 少し待っても何の反応もない。何度かチャイムを押してもそれはかわらなかった。


 きっと親は留守なのだろう。本当に私にとっては何もかもが都合よく進んでいる。


 まるで神様が応援してくれているような気がした。


和泉の部屋は1階にあるのも忘れたことはない。私は庭に回り込んで、カーテンがかかっている窓をノックした。


少しすると、予想通り和泉はいたようでカーテンが開いた。



「開けて、お見舞いにきた」

「……え?」


 驚いた様子の和泉。


 その顔に最近の明るさは面影もなく、顔色は悪そうで目の下にはクマができていた。


「とりあえず、入れて欲しいんだけど」

「あ、ごめ、今玄関開けに行くから」


 こうして私は何年振りかで和泉の部屋に入ることができた。


 懐かしい居心地のよい空間。


 年相応に部屋の中は変わっていたけど、大きな家具の配置はそのままで、あの頃の日々は嘘じゃなかったと教えてくれているようだった。


「あの、梓沢さん? 今日はどうしてここに?」

「何度も言うけどお見舞い、体調大丈夫?」

「大丈夫、ありがとう……ってそ、それだけ? なんか窓まで叩いて重要なことでもあった?」

「別に、昔来てたし部屋の位置知ってたから、窓叩けば気付くかなと思っただけ」

「あ、そう、なんだ。よく覚えてたね」


 忘れるわけない。


 あの日から一瞬でも忘れたことはなかった。和泉のこと、和泉と一緒に過ごした日々を……。


「あの? 梓沢さん?」

「覚えてるに決まってるじゃん」

「え? あの」

「忘れたことなんてないよ、キミのこと、一緒に遊んだこと、この家のこと、あの頃の日々全部!」

「梓沢さん!?」


 私は確かによこしまな想いでここに来た。


 今の和泉なら、心が弱った和泉なら、きっと私のことを頼ってくれる。


 そんなクズみたいな打算を働かせてきた。


 そんな自分が嫌で、けど、それでも、和泉のことが大切な気持ちは紛れもなく本物で、何年振りかでまともに話しをすることができたのが嬉しくて、勝手に涙が滲んでくる。


 もう私はあの頃の弱い自分じゃない。


 これまでの人生で、何度あの時ああしていればと考えただろうか。


 あれから後悔の日々を過ごして私は変わった。


 自分の気持ちを、本当に伝えたいことを今度こそしっかりと伝えたい。


「あの時は、キミを拒絶してごめんなさい!!」

「ちょ、ちょっと梓沢さん!? いきなりどうしたの!? 顔を上げて!」


 いきなり目の前で頭を下げた私を見て和泉は慌てている。


 私はそんないっぱいいっぱいの和泉を勢いのまま押し切った。


 いや、もうそんな計算は出来なくなっていた。


 溢れ出す感情のままに口を開き、流れる涙もそのままにして和泉に想いをぶつけていた。


「だから、あの時はごめんなさい! また私と友達になってください! お願いします!」


 渾身の想いを言葉に載せて頭を下げる。


 私は和泉に謝る事が出来ただけでも嬉しかった。一生あの時の後悔を和泉に伝える機会なんてないと思っていたから。


 でもそれだけじゃ満足なんてできない。


 私は、心の底から、和泉と過ごしたあの日々を取り戻したかったのだ。


 そして、今がその最初で最後のチャンスだろう。


 私は本当に必死だった。


 人生で土下座なんてした事は一度もなかったし、たぶんもうする事なんてない。私は変にプライドが高いから。


 けど、そんなプライドも和泉の前では、あっさりと消失する。


 私は、どんな事をしても、何を捨ててでも、和泉と仲直りがしたいのだ。


 そして、



「僕の方こそ、ごめんね。あの時は何もできなくて、だから、お互い様ってことで、また友達になりたいです。よろしくお願いします」


 和泉の答えを聞いた時、私は嬉しさで意識が飛びそうだった。


 涙はどんどん溢れてくるし、和泉も私と一緒に泣いてくれた。


 私たちは自然と抱き合った。


 私が和泉を癒してあげたいと思っているのと同じくらい、和泉も私を気遣ってくれているのを感じる。


 私たちの心は、また繋がった。




「実は昨日、生徒会長の湊先輩に告白するつもりだったんだ」


 お互いが落ち着いた頃、和泉が昨日のことを私に話してくれた。


 普通なら話しにくいことだと思う。


 けど、もう私に対して和泉からの距離は感じない。


「けどね、偶然聞いちゃったんだ。先輩が、僕のこと迷惑だって言ってた。すごい悲しかったし、自分勝手だけど裏切られたような気もしたんだ。何もする気になれなくて学校も休んだし、今じゃ先輩に会うのも、考えただけで少し、怖い、かな」


 弱弱しく心情を吐露する和泉の姿に胸が痛くなる。


 そうなる事が分かっていて見ていたくせに、もう私の中には羽月に対する怒りしかない。


 小さくなって膝を抱える和泉の姿を見て、これからは私が守ると改めて決意した。


「じゃあさ、まずは私と会うために学校に来てよ」

「え? 梓沢さんに会うために?」

「まぁただの理由付けだけどね。せっかく仲直りした一番の友達に会えないなんて、私悲しいから」

「うっ、そう言われるとなんだか心にくるものがあるね……よし、サボりは今日で終わりにするよ。その、梓沢さんに会いたいから」


 照れながらも私のためにと和泉がはっきりと言ってくれた。


 その言葉に身体が熱くなる。


 我慢しろと自分に言い聞かせて、私は必死に自分の身体を押さえつけた。


 和泉との関係はまだ修復したばかりだ。


 大切に、大切に距離を詰めて行かなきゃいけない。


「あと、生徒会はとりあえず休むか、私は辞めてもいいと思うよ」

「……それは、僕も考えはしたんだ。けど無責任かなって」

「そんな事ないって、あんな酷い事考えてる人といたら和泉の心がもたないよ。私は無理してほしくない。休むにしても復帰を考えられるだろうし、それならきっぱりと止めた方が生徒会にとってもいいと思う」

「そう、かもしれないね。元々先輩に会うためって不純な動機でやってたから、辞めるべきなのかもしれない」

「うん。でもさ、好きな人のために何かするって別に不純じゃないと思うよ」

「はは、そうかな。なんかありがとう」


 ふたりで見つめあって微笑む。


 こうして、私は遅くまで和泉の部屋で話をして過ごした。


 外が暗くなってくる頃には和泉もすっかり元気になって、今まで話ができなかった期間を埋めるようにお互いのことをたくさん話した。


 そこには確かに、最近までなくしていた大切な空間があった。


 私の大切な、大切な存在。


 もう手放したりなんかしないと心に誓った。

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